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東大日本史の理論Ⅲ

よくある誤解

①知識詰め込み論
平たくいうと、普通の論述問題のように、問に対して自分の知識だけで答えてしまうこと、さらには「単語を詰め込むことが何より大切」と考えてしまうことです。

批判1:先ほどから見ているように、東大日本史は少し変わった視点から問題を出してきます。中には資料文で初見の内容を出してくることがあります。ですから、答案には当然その内容を反映させなくてはなりません。

批判2:資料文からは「イイタイコト」が読み取れます。ですから「この単語が入っていれば◯◯点」というよりも、「◯◯が読み取れていて、答案に反映できていれば◯◯点」の方が本番に近いでしょう。

②要約論
資料文の内容をただ使うだけでいいと考えてしまうことです。資料文で初めて出てきたような固有名詞が入ったものになります。つまり抽象化作業の欠如ですね。

批判1:資料文を使ってはいますが、同時に資料文の内容だけに終始してしまっています。「イイタイコト」が反映できないでしょう。

批判2:「設問で与えられた情報と関連づけて分析的に考察」=評価のプロセスが欠落しています。採点者から見て、思考の放棄と判断されかねません。

(参考)「歴史は科学であるということ」E.H.カー
E.H.カーというのは、「歴史とは現在と過去との間の尽きぬことを知らぬ対話」という名言を残した歴史学者で、「歴史とは何か」(岩波新書)という歴史哲学の本を残しています。そこには次のような一節があります。
『歴史家が本当に関心を持つのは、特殊的なものではなく、特殊的なもののうちにある一般的なものなのです』
示す範囲に多少の違いはあれど、東大日本史にも応用できる考え方でしょう。

どちらも「イイタイコト」にたどり着けていないのがお分かりでしょうか。

一応言っておくと、先に見た①知識詰め込み論、②要約論ともに、完全に間違っているわけではなく、極端すぎる解釈というだけです。知識を使うこと、資料文を大切にすること両方が必要になってきます。

通史学習の方法

では、東大日本史に対応できるためにはどのようなことに留意して通史を学習すればいいのでしょうか。

問題はいずれも、①日本史に関する基礎的な歴史的事象を、個々に暗記するだけでなく、互いに関連づける分析的思考を経た知識として習得しているか、②設問に即して、習得してきた知識と、設問で与えられた情報を関連付けて分析的に考察することができるか、③考察の結果を、設問への解答として、論理的な文章によって表現することができるか、を問うています。歴史的な諸事象が、なぜ、どのように起こったのか、相互にどのような関係や影響があったのか。それを自ら考えつつ学んできた深さを測ろうとしています。(東京大学「『地理歴史(日本史)』の出題の意図」2020年)

再三引用しているこの文章のうち、通史学習段階で身につけられるのは
「①日本史に関する基礎的な歴史的事象を、個々に暗記するだけでなく、互いに関連づける分析的思考を経た知識として習得しているか」
です。

もちろん、何か特別なことをする必要はありません。教科書が歴史学という学問を専攻している先生が書いたもので、東大日本史が学問の営みと近いものである以上、教科書を基調とした正面からの勉強を積み重ねるのが最善手です。

まず、通史学習段階では、

(授業がない人)実況中継など、口調が柔らかい本で歴史の大まかな枠組みを形成する。

授業か参考書でだいたい各時代の特徴が掴めたら、教科書の記述を見てミクロの視点(細かい内容理解や具体的事象ごとの因果関係など)とマクロの視点(歴史的背景など)を身につける。補助として『日本史実力強化書』『詳説日本史ガイドブック』で深めたり、『日本史の論点』で比較の視点を導入してもよい。(以上3参考書はレビュー済みなので記事を見てください)

一定量進むごとに、書いてアウトプット。ウイニングコンパスのような文章穴埋め型、年表穴埋め型のものは記憶の定着には優秀。重要な点は文章で書きたいので、記述問題がある『日本史総合テスト』(山川)などを使うこともおすすめ。

これがしっかりとできれば、知識面で困ることはないでしょう。
長いこと書きましたが、結局は
単語にいろいろくっつけて覚えるのではなく、まず枠を作ってそこに細かい知識をはめていく
というのが理解が早いでしょう。因果関係から覚えることになるので、単語知識が強固に紐付けされます。

東大入試研究会の情報誌『東大生の教える勉強法』の日本史記事に自分はこう書きました。(一部修正)

木の幹と葉に喩えるのがわかりやすいかもしれません。歴史の大きな流れ(教科書のいわゆる「地の文」)を幹、単語を葉とします。幹がしっかりしていれば葉が茂るように、流れを理解していれば、単語を覚えるときにその単語が流れの中でどこに位置するのかわかります。もし葉が落ちても(=忘れても)、それがどこについていたものなのかわかります。しかし幹(=歴史の大枠)がしっかりしていないとせっかく覚えてもすぐ散ってしまい、付け直そうにもどこに位置するものなのかわからず,結果的に落ち葉(=聞いたことあるけどなんかよくわからない単語)の山を作ります。

今読むとけっこうわかりにくい例えですが、要するに、単語から覚えて大まかな流れへの意識を疎かにすると、危うい日本史理解になってしまうということです。

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