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東大日本史過去問解答例(2018~2020)

過去10年分の過去問解説を採点基準とともに作ろうと思っていたんですが、できなかったので、過去問解答例(と少々のコメント)を公開します。そもそもの難易度が高い問題(どう考えても試験場で十全な答案が作れないだろうと思うもの)以外は、「書けそうかつ、十全な」答案を目指して作成しました。

東大日本史の解答は割れるものです。他の解答例も参照してみてください。塚原先生「東大の日本史27ヵ年」、野島先生「東大日本史過去問題集」(note)がおすすめです。

とりあえず今日は2018〜2020の直近3年分です。

2020年度

第一問と第二問が鬼なので、第三問と第四問を高い水準に仕上げて点数を確保したいセット。

第一問

A官吏は儒教の教養とともに戸籍や徴税記録の作成のため文筆能力が求められ、儒教知識と漢字の習得用に木簡が利用された。(57字)
B書は、律令国家が重視した儒学と共に官人の必修項目として中央・地方の官人層に広まったほか、鎮護国家思想に基づく写経事業でも利用された。遣唐使が持ち帰り天皇家が所持した唐代の模本は、唐の文化を吸収する方針のもと、文化としての書の定着を促した。(120字)

◯Aは「儒教」「漢字練習」の二つが入っていれば大丈夫でしょう。
Bは少し書きにくいです。前半が律令国家パート、後半が天皇家パートです。

第二問

山鉾の運営は町ごとに行われ、町が住民から税を徴収すると共に町の財産が他町に渡らないよう尽力した。巡行路を中心に区分された領域、山鉾由来の町名など、町は山鉾の存在が前提にあり、祇園祭を通して町は住民に一定の義務を負わせて町という単位の自立性を再確認すると共に、惣町は団結して幕府との交渉主体ともなった。(150字)

◯難しいです。4行以上の問題は、まず解答の構成を決めます。この問題では「運営のされ方→町の自治への影響」でしょう。

第三問

A幕府は専門部署を置くと共に専門家を登用し暦を作成した。朝廷は暦を定める権限を保持しており、権威をもって承認した。(57字)
B初期は中国の知識に依拠し、18世紀後半には享保期に輸入制限が緩和された漢訳洋書の間接的な西洋知識に、天保期に蛮書和解御用が設置されると洋書から直接得た蘭学知識に依拠した。(86字)

◯得点しておきたいセットです。暦を制定するのは、元号を制定するのと同様、「時を支配する」皇帝・天皇の特権でした。

第四問

A政府は地方三新法の制定で民意の反映を意図すると共に漸進的に立憲体制の樹立に向けて動いてはいたが、新政府の政策を不十分とする自由民権運動も盛んであり、未だ士族反乱の可能性もあった。(90字)
B政府が国会開設を公約した一方で、民権運動を弾圧したり自由党が結成されて政府批判が高まる中、徴兵された軍人が政府批判になびいて天皇への忠節を軽んじ軍が弱体化することを防ごうとした。(90字)

◯「1878年」「1882年」の時期判断が必要となりました。

2019年度

全体的に、「一つ踏み込む」ことが大事かなと思うセットです。

第一問

A責任者として、年中行事を先例と違うことなく主導する能力。(29字)
B年中行事の執行の際には先例に則った細かな行動規範が必要であり、家柄が固定されていた当時は世代を超えて同じ行事を担当した。そこで日記をつけて行動規範を未来の自分や子孫に残し、行事を正確に行えるようにすることで家の維持と個人の栄達を図った。(119字)

解説はこちら↓

第二問

A後鳥羽天皇が挙兵したが幕府が勝利した。乱後の幕府は朝廷の意見を覆す力を持ち、公武二元支配は幕府優位の関係に転換した。(60字)
B両統迭立は厳密に運用されたわけではなく、皇統のさらなる分裂も予想された。そのため両皇統は皇位継承に関して発言権を持つ幕府に対し競って働きかけ、皇位継承上優位に立とうとした。(87字)

◯Aは情報の取捨選択と抽象化が必須です。Bは、家系図が示されている意味を考えるといいでしょう。この時期の皇統をめぐる政治対立は複雑です。それを家系図から読み取らせるのは少し難しいと思います。なお、幕府は発言権をなまじ持っているために、自身の皇統を確立したい後醍醐天皇の目の敵にされました。

第三問

A国内の金・銀山が枯渇し金銀が不足したため、貿易による金銀の海外流出を防ぐべく、輸入に依存していた商品の国産化を試みた。(60字)
B戦乱がなく平和な時代であることと商品経済の発達により人々の生活に余裕が生まれ、生糸から作られる絹製品、朝鮮人参から作られる薬、砂糖を用いた菓子など奢侈品の需要が高まっていた。(88字)

◯確実に得点しておきたい問題です。いい具体化の練習になるでしょう。

第四問

A第一次世界大戦の影響で連合国向けに軍需品の輸出が増えた。欧州から各国への輸出も途絶えたため、国内の化学工業や船舶業が盛んになると共にアジアの綿織物、アメリカの生糸需要にも応えた。(90字)
B政府主導で産業の合理化が進み、電力業は水力発電所の建設などで発展したほか、造船業も政府の計画造船により輸出額を伸ばした。戦時中の技術者が軽機械の開発に携わり、技術革新に貢献した。(90字)

◯全体的に、試験場で出会って十分な答案が書ける人はそうそういないだろう、という問題でした。Aで軽工業にも目を向けるのは厳しかったかもしれません。ここでは山川教科書ベースの平易な答案を。
また、Bで「戦時中の技術者が軽機械の開発に携わり、技術革新に貢献した」としましたが、これでも正解だと思います。光学兵器の技術→カメラ、航空機の技術→自転車・エンジンなどは複数の書籍で示されています。
自分は当日時間がない中これをパッと思いついて書きました。朝鮮特需については言及しませんでした。開示得点と他の大問の出来から考えるに、おそらくそれで点は来ました。⑵を素直に取ると、「出題の意図」が言う通り「朝鮮戦争に論及しないような解答も考えられ」るので、もしかすると出題者が本来意図していたのはこっちなのかもしれません。朝鮮特需を書かなかったことで、資料文に沿ったとみなされ、さらに評価されたのでしょうか?(というかそうでないと、あの開示得点はありえない気がしています。)
塚原先生は朝鮮特需に言及する答案と、そうでない答案を示しています。

2018年度

第一問は傾向から外れた出題形式で、当時の受験生は混乱したでしょうが、全体的に難易度の高くないセットです。

第一問

藤原京より前は一代ごとに大王宮が営まれ、王族や豪族もそれぞれの本拠地に邸宅を構え活動した。対して藤原京は永代の天皇の都として造営され、条坊制に従って王族や豪族に宅地を配給し彼らを集住させた。宮には政治の場として礎石建ちで瓦葺きの大極殿・朝堂院が建設されて天皇の権威を可視化した。藤原京は氏族制から官僚制への転換を促すとともに、中央集権国家を象徴する都であった。(180字)

解説はこちら↓

第二問

A経済の中心地である京都に位置する幕府は、京都の金融業者である土倉・酒屋から恒常的に徴収した営業税を主な財源とした。(59字)
B土倉役・酒屋役を主な財源とする幕府にとり、徳政令発布による土倉・酒屋の窮乏は自らの窮乏を意味した。そのため幕府は債権者・債務者から手数料を取る分一徳政令を発布して収入を確保した。(90字)

◯要求に慎重に沿っていけば、得点できます。

第三問

A当時問題になった異国船は漁船などの民間船で、薪水を求めて日本に接近しており、政治的・軍事的脅威ではないという認識。(58字)
B異国船打払令で異国船の撃退を命じた上で、民間人が異国人と接触することは禁止である旨を再確認し、禁教の徹底、密貿易の禁止、幕府による海外情報独占という従来の状態を維持する意図。(88字)

◯資料文を大事にする姿勢が求められる問題でした。これもさして難問ではありません。

第四問

Aイギリスとの条約改正が実現し内地雑居が実現するが、外国人に対して日本人が排外的な行為を行い国際関係が悪化するのを恐れ、天皇の名を借りて文明国の国民としての自覚を促そうとした。(88字)
B教育勅語は、主権者たる天皇が勅語の形をとって国民の教育・精神生活の指針を示すものだった。この点で、国民主権、象徴天皇制、思想・良心の自由が定められた日本国憲法に矛盾するとされた。(90字)

◯Aは、明治日本の「文明国」(=西洋の価値観を共有する国)たらんという空気を知っていれば楽でした。Bは日本国憲法との矛盾が具体的に指摘できればいいでしょう。

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