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石田裕己 この人を見よーー「手なずけるとか手を噛まれるとか」展評

2023年の3月1日から19日にかけて、北区の東十条にあるオルタナティブスペース・JUNGLE GYMにてキュレーションした展覧会「手なずけるとか手を噛まれるとか」。それについて全肯定ペンギンさんという方がご執筆いただいた批評を公開いたします!!僕からこれ以上補足することはない気がするので、さしあたりお読みいただけると…!
告知されているパフォーマンスなのですが、批評さえ読んでいただければ展覧会をご覧になっていなかったとしてもとても楽しんでいただけるものとなっているので、ぜひお気軽にご来場ください!!!初台やオペラシティからめっちゃ近いので…(個人的には展覧会見たけどちょっとハマらなかったな…という方に来てほしいな、という思いもあります。あの展覧会のトロの部分だけを抽出したようなところがあり、毛色の違いゆえに面白いかもしれず、また展覧会の印象もガラリと変わると思うので!!)。提示したフォームからの予約はなるはやで、なんなら読んですぐにしていただけると嬉しいです…

noteで2万字の長文を読みたくない、という方(僕が割とそうです)のためにpdf版も用意いたしましたので、ぜひダウンロードしてご利用ください。



 私は石田裕己の2番目の姉である。展示「手なずけるとか手を噛まれるとか」に(なんせ家族なので)足を運んだところそのキュレーターをしていた石田に批評の執筆を依頼され、しかし私には美術批評の経験なんてないし、プライバシーも秘匿したいし、でも家族だからそれなりに書けることはあるし、というわけで、せっかくだしこのペンネームを使って書いてみることにした。
 わりと長くなりそうなのでさしあたり結論を述べておこう。石田は未来のアートを牽引していく有望なパフォーマーである。1人でも多くの人に石田のパフォーマンスをみてほしいので、私は8月の19、20日に初台のアートサロン えん川で石田を出演者とするパフォーマンスの企画をすることにした。
 なるたけ来てほしいな、と思っている。この人を見よ!

「てなかま THE LIVE」
企画者:ペンギンプラネット
制作者1:全肯定ペンギン
制作者2:石田裕己
出演者:石田たち
スペシャルサンクス:小倉久典

会場:アートサロン えん川(〒151-0061 東京都渋谷区初台1-37-7、京王新線初台駅南口より徒歩2分)
日時:2023年8月19日、20日(各日14時・18時から開始、各回45分から1時間程度を予定、計4回)
料金:500円

予約フォーム


 改めて断ると私は美術の専門家でもなんでもない。そんな私が書くとなると、一番いいのはひとまず石田の部屋にある本を読んでみることだ(まあ石田の専門家ではあるので)。そういうわけで私は石田の展覧会を論じるにあたって、石田の本棚を使ってどれだけやれるか試してみるという戦略を採る。

 さっそくで申し訳ないのだけど、私は「手なずけるとか手を噛まれるとか」の出品作品群について詳しく説明や解釈を施すつもりはあまりないし、そもそもできない。というのも私は作品を実質3分間しか鑑賞できなかったから。作品のある展示スペースは13時00分から19時03分までの間、30分おきに3分間だけ開放された。だからよほど時間に余裕がない限り客はせいぜいトータル3~10数分程度の鑑賞しか許されていなかったはずだ。
 このことについて事前のアナウンスはなかった。駅から10分以上は歩く会場のJUNGLE GYMにつくとスタッフにまだ入れませんと言われてそこでようやく事情を説明されるつくりになっていたのだ。場合によってはかなり長いこと待ちぼうけをくらうわけだから人によっては怒るかもしれない。
 とはいえそんなに退屈はしない。待合スペースにある情報量がちょっと尋常じゃなかったからだ。客は禁足の展示室が開くまで手前の廊下で待つことになるのだけれど、その両壁には石田の展示解説と各作家へのインタビューがとてつもない文量で張り出されていたのだ。おまけにハンドアウトまで手渡されて、そこにもまた別のテキストが書いてある。廊下はかなり狭いから長居しようとするとしんどいのだけれど、部屋に貼ってある解説とインタビューはQRコードを読み込めばデータでも参照できたので、近くの公園に一時避難して読むこともできた。このテキスト群とつきあってあげる時間や心の余裕さえあれば、待ち時間はけっこうすぐ過ぎるので、実はそんなに高負荷な展示ではなかったと思う。
 とはいえこれでは作品を観に来たというよりも解説を読みに来たって感じだ。けれどもそこは石田、エンターテイナーである。なんと石田はそれぞれの作品を自分なりに解釈して再構成して別の作品にして発表してしまったのだ。当日配られたハンドアウトには「『手なずけるとか手を噛まれるとか』ルール」という項目があって、次のようにある。

アーティスト自身が出品作品に関する説明を行う。それを受けてキュレーター(石田)は、アシスタント(北里)の協力のもと、それらを別のかたちへと再構成して街中において実現する。以下では、まずアーティストによる説明の石田による要約を、その後に再構成に関する説明を提示する。

ここで「アーティストによる説明」と言われているものは廊下に張り出されていた作家インタビューのことを指すのだろう。つまり石田はここでまず作品を作家による説明に還元し、それを自分なりに要約し、そこから作品を再構成し、さらにその作品の説明さえ自分で書いてしまっているわけだ。そして観客は作品の実物を3分間しか鑑賞できないわけだから、むしろこれらの解説や再構成作品の方が鑑賞体験としては主役になっていくだろう。私も作品探しの街歩きを楽しんだ。
 しかし石田は展示に作家ではなくキュレーターとして参加していたわけで、キュレーションと創作の境目をなしくずしにするようなこうしたふるまいははたして正当化されうるのだろうか。あるいはこうも問える。石田はキュレーターと批評家と作家のキメラとして横暴を振るっているのではないか。石田はこれまでキュレーターなのか批評家なのか作家なのかよくわからない存在として活動してきた人間である。ひとりの人物が場合に応じて批評も書いたり、作品も作ったり、キュレーションもしたりといったことは、まあふつうにあるだろう。しかし石田はキュレーター、批評家、作家という三つの仕事の区分をひとつの活動のうちで積極的になし崩しにしていくのだ。

 石田のこれまでの経歴を紹介しよう。2021年11月、目黒rusuで開催された「お泊まり会」展に「おのれん」名義でキュレーターのひとりとして参加。同展で石田は「スペシフィック・キャラクターズ」という1万字にわたる論考を執筆し、配布している。そこで主たる石田の仕事とされていたのは、キュレーターが書くものにしては主張が激しくうるさすぎるそのテキストだった。
 2022年5月15日には、布施琳太郎キュレーションの「惑星ザムザ」展について展評をweb版美術手帖に掲載し注目を集める。存在が広く認知されるようになったのはこの頃だったはずだから、石田はキュレーターとしてよりもまず批評家として世間に登場したといえそうだ。しかし同時期に石田はペンギンプラネットというソロコレクティブを結成、Twitterのアカウントを作成している。批評家としてのデビューに時期的に並行するかたちで作家としての活動を準備してもいたのだ。
 そして年末にはペンギンプラネットの第一作が発表された。「TOMO年越美術館 2022-2023 いる派PRESENTS 身体アンデパンダン24時」での≪奈落のいる派マスター≫だ。同イベントは「いる派」を名乗って展示空間の中に身を置くことを作品としている、小寺創太が企画したもの。参加者は大みそかの0時から24時までの間ずっとパフォーマンスすることを求められるという過酷なイベントだった。そこにパフォーマンス経験などないはずの石田が突如名乗りを上げた。無茶にもほどがある。しかも石田は「いる派」メンバーでもなんでもないはずなのに平然と「いる派マスター」を名乗っている。
 ≪奈落のいる派マスター≫とはフリッパーズ・ギター「奈落のクイズマスター」のパロディだろう。石田は昔の小山田圭吾みたいな服でずっとギターみたいにほうきをかき鳴らし、よくわからない台詞を大声でシャウトし続けていた。「作品と較べたら展示技術は全て蛇足」!「何言ってもやっても身体がそこにいたら『パフォーマンス』に翻訳されて括られることに失望している、訂正する気力も湧かない」! そしてガンギマリの目でこっちを見つめてくるのだ。
 石田が読み上げている謎の文章。これは実は小寺のツイートなのだった。繰り返すと、小寺は「いる」ことを作品にする作家である。しかしたとえば自分の作品が「パフォーマンス」と括られるのを拒否して客の解釈を方向付けるという、そのうるさすぎるTwitter上でのたたずまい=い方は、展示空間に「いる」ことからそう明確に区別できるものだろうか? 石田はそう言いたかったのだろう。そして石田はTwitter上での小寺のい方を展示空間にもち込んでしまう。さらに、なぜか時おりサンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」を絶唱していた。石田にとって小寺のTweetの質感はサンボマスターの熱い歌声と同じテイストのものだということだろうか。
 なぜフリッパーズ・ギターの服でサンボマスターを歌っているのかは正直よくわからないのだけれど、ひとまずこのきわめて皮肉な作品があくまで小寺への批評としてのみ機能していることは間違いない。そうでなければどう面白がっていいのか正直私にはわからない。つまりここには作品と批評の間の区別がない。石田の横には段ボールが設置されていて「普段は批評書いてます!『石田裕己』で検索を!!」と走り書きされた紙がはりつけてあった。
 このように、石田は作家とキュレーターと批評家のどれをやっていきたいのかさっぱりわからない。あるいはどれも選ぶ必要などないとでもいいたげにふるまっているのだ。
 ちなみに《奈落のいる派マスター》では「演出:電通ペンギン」という謎の人物がクレジットされている。ペンギンプラネットがソロコレクティブである以上は石田のことな気もするが、私のような別のペンギンがいた可能性もある。
 忘れないようにここで繰り返しておくと、石田は8月19, 20日に初台のアートサロンえん川でパフォーマンスをする。なかなか見れないタイプのパフォーマンスになるかなとは思うので、みんな来てほしいなって思う。

 ここに一冊の書物がある。
 椹木野衣の『日本・現代・美術』。もちろん、石田の机の上にあるのだ。
 椹木は彦坂尚嘉のテキストを出発点に、同じ問題が何度も回帰する堂々巡りの非歴史的な「悪い場所」として日本を位置づける。そして「われわれの不幸は、いまだにジャンルがジャンルとして機能しておらず、それゆえに最初からそれらが渾然一体となって現れざるをえないような『悪い場所』に生きることを余儀なくされていることにある」として、無根拠なジャンル概念からは距離を取ってさまざまな文化事象を軽やかに接続していきながら、「この円環のなかにさまざまな抑圧や分裂、錯綜や矛盾が渦巻いているということ、〔…〕それがどんなに薄っぺらで奥行きを欠いた表象の戯れに見えたとしても、目を凝らせば、そこに無数の矛盾と対立の素顔が書き込まれているということ」を示していくのが椹木のスタイルだ。歴史もジャンルもないならその不在を引き受けていくことからしか始まらないだろうというのが椹木の立場なのだ。
 この「悪い場所」の図式は椹木の以降の著作でも反復される。たとえば『後美術論』では「アート」という言葉がartの音のみを模倣し、意味内容の理解を放棄した空虚な和製英語であることを指摘したのち、「仮に『現代美術』が無効となり、アートについていかなる定義もないのであれば、そこではあらゆるジャンルが結合可能となる」として、「音楽と美術の結婚」の事例をつぶさに追っている。《奈落のいる派マスター》がいる派とサンボマスターの結婚だったことを思い出そう。いや、そこでは批評と作品の結婚さえ行われていたのだった。

 とはいえ、「無数の矛盾と対立の素顔」の存在に気づいた人間が、なぜ「悪い場所」の話を続ける必要があるのだろうか? 椹木のような影響力のある人間が「悪い場所」という立論を反復することで、「無数の矛盾と対立の素顔」よりもむしろそちらの方が優勢になるということは十分に考えられる。椹木は凝らした目をなぜ再びぼやかすのだろうか。「悪い場所」に気付き、その彼方を求めるのなら、その話はそもそもしないのが一番いいのではないだろうか。もちろん忘却するのでも、慰めるのでもなく。
 椹木が描き出す世界の複雑な様相は、世界が一枚岩で単純なものと想定されていればいるほどその衝撃力を増す。「薄っぺらで奥行きを欠いた表象の戯れに見え」るものに覆い隠されてこそ複雑さは経験される。そこで行われているのは「悪い場所」を舞台にした複雑さの上演と消費で、「彼方」への運動性は上演の口実に過ぎないとしたら? そしてそれを可能にしたのは「悪い場所」の心理学化だった。「悪い場所」はもはや暇とか退屈といった感情同然なので、椹木のなかで何度も反芻できるのだ。
 このように書いてきたのは石田のとあるツイートが気にかかるからだ。石田は3月10日にツイートを連投して展示の内容や意図に言及している。そして「『世界が複雑であるという、当たり前だけど普段は意外なほど意識されていない事実に接近するもの』という僕の芸術観を吐露する」ことで、展示の動機の説明に代えているのだ。
 石田の芸術観それ自体は問わない。しかしながら、世界を平面的なものとして見る目をあらかじめ客と共有するときにこそ、その複雑さは経験されるのではないだろうか。「手なずけるとか手を噛まれるとか」展のもくろみも、世界の平面化の操作を経由するときにこそ達成されるのだ。
 だから作品は解説文が書かれた壁面へと平面化されなくてはならなかった。

 石田は2022年の東京大学の文化祭で評論系の同人誌を発行している。その名も東京大学芸術鑑賞同好会『点描』。ここに石田が発表したテキスト「展覧会という装置を観察してみる」は「手なずけるとか手を噛まれるとか」展を図解する文章として読める。実際、文章が発表されたのは11月だから、執筆と展覧会の構想作業は並行していただろう。そもそもこの文章は半分くらい展示のイントロダクションに流用されていた。
 引用してみよう。「少なくとも近代以降の芸術作品は、作品によってその範囲に差異はあれど、『無限にも近いほど数多くの経験可能性に関わること』をその特性として持っている」。しかし、「それらは展覧会全体を通して語られる一つの物語のため、挿絵のようなイメージへと作品を還元されます〔原文ママ〕。かくして、物語に即して『この作品はこうやって経験するものだ』というメッセージが発せられ、もともとあった複雑さは手なずけられます」。
 このように展覧会は観客に特定の解釈を強制して作品の複雑さを縮減する装置として説明される。そしてもう少し先の文章では、展覧会が提示する物語と作品が噛み合わないように感じられるとき、作品の複雑さに直面するその経験は「まさに『飼い犬に手を噛まれる』ということわざに例えられるもの」だと言うのだ。
 この文章はちょっと心配になるくらいわかりやすく「手なずけるとか手を噛まれるとか」展を手なずけてしまう。だからここで注目しておきたいのはむしろ次の意外なくらい正直で風変りな石田の告白だ。「自分は芸術作品を取り出してきて論じるのはあまり得意ではない。むしろ、それを何らかのキュレーションを通して展示する営みとしての展覧会という場への批評こそが自分の根幹にあるのだ」。
 「手なずけるとか手を噛まれるとか」展における石田のキュレーションが、作品論を不得手とする石田なりの展覧会批評だったのだとしたら? つまりキュレーション評としてのキュレーション、メタ・キュレーションだ。しかも石田は作家になることによってそうするのだ。
 3分しか作品を鑑賞できないとき、本来はもっと複雑に感じ取ったり思考したりできたはずの作品の姿や論理に観客は思いをはせるだろう。そしてほんとうに信じてよいものだろうかと疑いながら作家やキュレーターの説明を読み、石田の作品を観ることになるのだ。作品をほとんど鑑賞できない以上は解説と作品を照合して答え合わせにふけることもろくにできない。こうして観客は通常の展覧会の在り方を反省しつつ作品に手を噛まれる。
 しかし「観れないからこそ崇高なように感じられる」という論理は正直ずるいのではないだろうか。このキュレーションが作品の歴史のなかの位置づけを度外視できるまさにメタな立場からこそなされているのも指摘しておこう。それにこれでは石田のメタ・キュレーションこそが大事なので展示される作品は何でもいいという話になりはしないか。そしてもし展覧会がその根っこでふるっているこの抽象化の暴力までもが客が作品の複雑さを感じ取るためのしつらえだと言い張られるとしたらマジでずるすぎる。
 なぜずるくなるのかといえばキュレーションが批評を先取りしているからだ。せいいっぱい必死で手なずけるからこそ手を噛まれたら痛いのであって、ライオンに食べられたムツゴロウおじさんの右手中指第一関節も自分から噛ませてたら救えなかっただろう(R.I.P.)。キュレーターと作家と批評家を兼ねるのが悪いことかどうか私は知らないしわからない。でもこの場合は失敗だったんじゃないか。

 ちなみに、同同人誌に収録された石田の別の文章「接客がアートになるとき:ティノ・セーガル《これはあなた》評」を読むと、再構成された作品が街中で発表された意図もまあわかる。石田は接客サービスが展示芸術の制度に回収されることで作品となりうることを指摘してそれを言祝いでいる。
 もう少していねいに論理をたどっておこう。石田はティノ・セーガルの作品を引き合いに出しながら、個別的で親密な経験を与えるのが作品で、非個性的でマニュアル化されているのが接客だと主張したうえで両者を対比する。しかし日頃の接客風景にもここで石田が言う意味での「作品」的経験は内在しているという。そして逆に、作品も接客のように収益性が見込まれることがあるので両者には一層の共通点が認められるとされて文章は締めくくられる。作品と接客それぞれの定義も共通点も正直すなおには納得できないのだけれど、いずれにせよ大事なのは石田が収益性まで引き合いに出しながら接客を作品に真剣に近づけようとし、そこに喜びを感じていることだ。
 接客が作品だとなぜ嬉しいかというと、これまでの議論に即していえば、都市の風景の中に複雑なものがたくさん出現するからだろう。実際石田はアイスクリーム屋の店員と交わした親密なコミュニケーションの嬉しさをそこで真剣に語っている。地図を片手に街中に点在する作品を観に行くとき、ひとは視界に入るものすべてが作品であるかのような心持になりうる。そして「世界が複雑であるという、当たり前だけど普段は意外なほど意識されていない事実」に気づくのだ。私に言わせれば会場のあった王子は展示なんかなくても歩くだけでかなり変で複雑でおもしろくて、悪くない町だったのだけれど。

 石田の再構成作品たちはこうした解釈を後押しする。たとえば宮坂直樹の《3 spaces》は《インストラクション↓》という作品にかたちを変えて、会場周辺の物体の下をくぐるように客を促す指示書になった。これはハンドアウトによると「表面的なテクスチャの差異とは無関係に、特定の行為を行えるという点では等価なオブジェクトが並び立った場所として街を認識する主体となるよう鑑賞者を誘う」作品であるらしく、実際このインストラクションに従えば雲や看板や高架線はみなその見せかけとは無縁の機能――くぐれる――を開示して、その複雑な姿を提示するだろう。
 手塚美楽《痴話喧嘩のエチュード》をもとに制作された《17-M》は、北区のシンボルとして建設された複合文化施設こと北とぴあの17階に貼られていた「17-M」と書かれた用途不明のテープを石田が勝手に作品ということにしたもの。作品がどこにあるのかわかりづらく、客は17階をあちこち探し回ってようやく作品を見つけることになる。こんなところにあった! という宝探し的な驚きとともに、他の通行客にとってはなんの変哲もない業務用のテープが作品としても経験されるという意味で、「17-M」は日常生活に潜むひそやかな複雑さを開示する作品であると言えそうだ。
 ところでここで石田がつくった作品は基本的にごくシンプルなつくりだ。つまりハンドアウトに記載されている出展作品の要約と石田によるその再解釈から作品の内実がはみ出ないようにつくられているのだ。ハンドアウトの内容をなるべく文字通りにそのままかたちに落とし込んでいる。それらは石田自身の語りにまったく従順に手なずけられているのだ。単純すぎてそこは作家性を見いだすこともしづらい。
 とはいえこれは石田のキュレーターとしての良心に由来していたのだろう。石田の作品において説明と内容がちぐはぐであったとしたら、展覧会という装置の暴走は歯止めが利かなくなって、どこに照準を合わせて鑑賞していいか定まらなくなる恐れはたしかにある。石田の作品が観られる時も、おそらくそこで観客の手を噛むのは出品作品の方であるべきだという考えが、石田の作品を言行一致したごく単純なものにしていたのだろう。
 実際、石田の提示する解釈はきわめて疑わしい。詳細な比較はしないけれど、宮坂や手塚の作品への再解釈もかなり単純で突飛でおいおいと言いたくなる乱暴なものだ。しかし特に暴力的だったのは水野幸司への再解釈だ。インタビューの内容からもうかがえるように、水野の作品は「墓は語るか」など岡崎乾二郎の一連のテキストや作品をその理論的支柱というか主な影響源としていたようで、その背景にある議論はなかなか複雑な感じであったけれども、石田はこれを「過去に何らかの事物がそれに及ぼした作用の蓄積として、世界にあるすべては構成されている」という思想に還元した。そして街に刻まれた痕跡を列挙していく音声作品や公園を歩き回りながら目に入ったものについて感想を述べていく音声作品へとこれを再構成したのだ。
 つまり石田は作品を特定の語りへと手なずける展覧会の形式を暴走させていて、誰でもすぐ気づくくらいひどい単純化をわざと施しているのだ。それを通じて示そうとしたのは作品の複雑さだ。しかし「手なずけるとか手を噛まれるとか」展の限界もここにあったと言わざるをえない。
 というのはさっきも書いたように、意図的に単純化された解釈から想像される作品の複雑さというのはあらかじめお膳立てされて演出されたものにすぎず、真剣には信じられないからだ。直接にでも間接にでも、客は作品それ自体に内在する複雑さの方に目を向けるのでなくてはならない。しかし客は3分しか鑑賞を許されていないのだった。
 だとすれば、たとえば、石田が再構成する作品からそうした複雑さが間接に感じ取れた方がむしろよかったのではないか。石田は他者の表現に触発されて自分の解釈にも還元できないような作品を作り出すべきだった。あるいは語られた作家の言葉に対し、乱暴な要約とはまた別種の緊張を抱えた表現をかたちにするべきだった。そしてそうした作品を介してこそ長居できない展示空間内の作品の複雑さがあらわになるという事態に賭けるべきだった。もちろんそれはそう簡単な話ではないはずだし、それをやってみてほんとうに面白くなるのかも正直分からない。しかしこのような発想を採りえなかったというところに作家としての石田の現状の限界があったのは確かではないか。そこには賭けが、冒険がなかっただろうからだ。石田が作品にほんとうに手を噛まれる危険はあらかじめどこまでも回避されてしまっていたのだ。

批評が批判できるのは美術について語られた言葉だけであって、最終的に作品を批判できるのは超絵画性を現象的に仮託された別の作品でしかありえない〔…〕逆に、批評が作品に対して有効なのは、作品そのものに触れることができないことの代償に、作品について語られた言語を徹底的に批判できるからである

椹木野衣「芸術は爆発だ」『日本・現代・美術』


 このままでは全否定ペンギンになっちゃうので私はもう少し書かなければならない。
 展覧会の物語による作品の手なずけに重きを置く視点はボリス・グロイス「キュレーターシップについて」に多くを負っていると石田はわざわざ(とてもていねいなことに)展示のイントロダクションで書いてくれている。そういうわけで私はその文章が収録された『アートパワー』を読んでみることにした。
 ここからは石田圭子・齋木克裕・三本松倫代・角尾宣信ら四氏の訳に基づいて議論を行う。

 「キュレーターシップについて」を読んでみて分かった。石田がしていたのは偶像破壊(イコノクラスム)としてのキュレーションの徹底だったのだ。
 芸術作品は展示されることなくしては観客にみてもらうことができない。そのような作品のありかたをグロイスは病人にたとえる。「見舞客が病院職員によって入院患者のベッドに連れて行かれるように、来訪者は芸術作品の元に導いてもらわねばならない。『キュレーター〔curator〕』という単語が、語源上『治療する〔cure〕』という言葉に関係するのは偶然ではないのだ」。イメージを可視化するキュレーティングの実践はこの意味で「まず偶像愛好に奉仕するものとなる」が、「しかし同時に、キュレーティングは偶像愛好を蝕む。その施療的な策略は、観者から完全には隠しておけないためである」。
 「手なずけるとか手を噛まれるとか」展のあり方はキュレーティングのこのような両義性に由来している。作品を客に現前させるためには展示する必要がある。しかしこれはある特定の文脈にそれを位置づけて物語ること、すなわち手なずけてやること、偶像破壊でもある。こうなると作品が手を噛んでくること、すなわち破壊されたはずの偶像が物語に還元されないかたちで再来するのを期待したくなる。しかしながら、そのためには作品は手を噛む気力を持つくらいには治療され養われていなければならないのであって、展示という物語行為から逃げるわけにはいかない。
 グロイスは言う。「完全な自己隠蔽が結局のところ不可能なら、戦略上、キュレーティングが目指しうるのはその実践を明確に可視化することだけだ」。作品をテキストに還元していくような石田の暴力は、この一文の暴走したありようであると考えられる。つまり、物語行為としての展覧会の性質をあからさまにしてみせることで、破壊された偶像の姿にもう一度目を向けるよう促しているのだ。
 実のところグロイスは偶像破壊についてむしろ肯定的だ。偶像は破壊されてこそそこに新たなイメージが呼び込まれるから。石田のほとんど嘘のような再解釈=偶像破壊は作品を再生させるための方法として理解できるのだ。
 しかしそうであったとしても、なぜあそこまで石田は展覧会を暴走させたのだろうか。作品を3分間しか見せなかったり、自分で作品を作ってしまったりなどという暴挙はまだ説明しきれないのではないだろうか。もう少し読んでみよう。

 「生政治時代の芸術」という文章でグロイスは展示会場におけるアート・ドキュメンテーションについて論じている。アート・ドキュメンテーションとは「芸術それ自体ではな」く、「芸術を指し示すだけ」で記録にすぎないのだけれど、にもかかわらずしきりに展示される。それというのもアート・ドキュメンテーションとは「記録という手段を用いずには決して表現できない芸術活動を指し示すことのできる、唯一の形式」だからだ。そのような芸術活動としてグロイスは日常生活への芸術的介入、政治的動機による芸術行為などを挙げている。これはすなわちパフォーマンスなど一過性の強い性質を持つ作品にほかならない。
 アート・ドキュメンテーションを通じて芸術は生政治的になるとグロイスは述べる。「なぜなら、芸術はさまざまな芸術的手法を用いて生それ自体をある純粋な活動として作り出し、記録しはじめているからである。そして事実、アート・ドキュメンテーションが芸術形式として成立可能になったのは、生そのものが技術的、芸術的な造形の対象となった、今日の生政治時代の状況下においてのみのことだ」。
 このようなアート・ドキュメンテーションは「生の形式や、持続性や、歴史の制作物として理解される芸術の、唯一の成果物として表れるものだ」から、たとえば絵画や彫刻作品について書かれる解説文をアート・ドキュメンテーションと同一視はしづらい。しづらいけれども、してもいいのではないかという気もする。というのも先ほどの引用でグロイスは作品を病人に、つまり生にたとえていたから。生政治時代の芸術作品は一般にキュレーティングを通じて遡及的に生を与えられる、とここで強弁してみる。
 実際グロイスの議論にはユレがある。「生政治時代の芸術」時点でのグロイスは「芸術の記録は、現実とフィクションとを問わずとりわけ物語的なものであり、それによって、生きられた時間の反復不可能性を呼び起こす」と述べている。記録される生は反復不可能な生きられた時間の渦中にあるので、絵画や彫刻などには見出されなかったのだろう。
 しかし後年に書かれた『流れの中で:インターネット時代のアート』ではもはやドキュメンテーションの対象の区別は論じられていない。グロイスは同書の中で作品の消滅とその情報の存続について繰り返し論じている。作品も物である以上はいつか滅びる。ただ生物よりも長生きしやすいというだけなのだ。とはいえ同書でのグロイスは「生」を「流れ」という言葉に代えて問題系を移行させているけれど。
 グロイスはアート・ドキュメンテーションには文章だけでなく絵画やドローイング、写真、ヴィデオ、インスタレーションなど自由な形式やメディウムを用いることができると言っている。そうであるとしたら、だ。石田が再構成した一連の作品群やその解説、そして作家インタビューは一種のアート・ドキュメンテーションであったと理解できないだろうか。ちなみに「手なずけるとか手を噛まれるとか」展のテキストの膨大な分量からはそれらがオンラインで後日ゆっくり読まれることを想定されていたとしか考えられないが、『流れの中で』のグロイスは「インターネットを導入することによってのみアート・ドキュメンテーションにその正当な場が与えられた」と書いている。
 こう強弁することの何が嬉しいのか。石田の作成した諸作品諸テキストが同じアート・ドキュメンテーションという位相に置かれることによって、Ⅰ章で観てきた批評とキュレーションと作品のなし崩し的に見える統合に一定の根拠を見いだせるようになるのが嬉しいのだ。グロイスはドキュメンテーションの作り手を主に作家と想定しているようだけれど、原理的に考えれば誰でもいいはずだろう。つまりキュレーターでも批評家でもいいのだ。
 美術の活動のフィールドがインターネット上のドキュメントに重心を移行しつつある現在、旧態依然とした作家・批評家・キュレーターという三職能の区別も自明性を失う。その無根拠を引き受けるところからしかいまや始まらないのではないか。グロイスは言っている。「伝統的な美術は芸術作品を生み出した。現代美術は芸術イベントに関する情報を生み出す」。作家・批評家・キュレーターはそれぞれ異なる制度上の位置に立ち、異なる方法をとるにせよ、情報の生産者であることには変わりはない。だとしたらその生産の新しい技法や経路は積極的に発明していくべきだ。もちろんここからはさまざまな問題が生じてしまうはずだけど、石田はこの開いたパンドラの箱をひとまずふさがなかった。その個別のケースでは失敗は生じるだろうこともⅠ章で確認したけれど、それでも。
 だから石田は作品をつくったのだ。ただしアート・ドキュメンテーションとして。

 ところで、3分で作品が鑑賞しきれないのは展示されていたのがもっぱら映像インスタレーションだったからだ。
 宮坂直樹のインスタレーションはコンピュータ上で構築された幾何学的な立体物をもとにして会場に手を加えて、観者の体性感覚に作用することを狙うものだが、そこに目立ったオブジェクトはないので3分という時間制限の中では見過ごされるだろう。水野幸司の作品も目立たず無視されることを狙うつくりで、私の見る限りみな一瞥して素通りしていた。つまり4つの作品の内2つは3分では見過ごされやすいものが選ばれていたのだ。
 そして逆に客の注意を引く対象物として設定されていたであろう残り二つの作品が手塚美楽と百瀬文の映像インスタレーションだ。手塚と百瀬の作品の尺はどちらも明らかに3分を超えていたので単純に観終わらない。そして私は、石田の口癖を思い出す――「人は映像インスタレーションの前で3分も立ち止まらない」。これら4作品のジャンルや形式は石田によって戦略的に選択されていたと考えるのは当然だろう。
 さて、グロイスは映像インスタレーションについて「新しさについて」という文章の中で注目すべき議論を展開している。そこではキルケゴールの議論が引かれ、ほんとうに新しいものは見かけ上そう見えないと主張される。キルケゴールによれば見かけ上の新奇性は単なる差異に回収される。しかしたとえばイエス・キリストは普通の人間と見かけ上は異ならなかった。だからこそキリストは単に異なるのではなく、本当に新しい存在となったのだ。それを踏まえてグロイスはデュシャンの《泉》をはじめとするレディメイド作品はまさにキルケゴールの言うキリストに当たると主張し「新しい芸術作品が本当に新しく生き生きとして見えるのは、ある意味において、作品ではない平凡で世俗的な事物や、大衆文化のなかの普通の製品とそれが似ているときだけである」と述べる。こうして目に見えない差異、差異のない差異が問題になる。そして美術館こそがそのような差異を生み出す制度的な装置なのだ。

 このグロイスの議論は映像インスタレーションに言及する段階になって屈折する。理由はおそらく二つある。まず映像インスタレーションはかぎりなくアート・ドキュメンテーション的な性格を持つこと。次に、この二点目が重要なのだけれど、平凡で世俗的なながめをとらえた映像作品を「本当に新しく生き生きとして見える」ようにする制度的装置として、美術館よりも映画館が先行していること。グロイスは映画館にはない「目に見えない差異」を映像インスタレーションに見出す必要があったのだ。
 そしてグロイスはそれに成功した。ここでグロイスが持ち出すのが鑑賞時間の有限性である。つまりふつうの鑑賞時間では見切れない「美術館における映像は、いわゆる現実の生における映像の場合よりも、なおさら観客の制御を離れている」ので、「映画は美術館に置かれることで、観客にとって不確定で見えにくくなり、不明瞭なものになるのである」。こうして映像インスタレーションはほんとうに新しくなる。
 とはいえこれは賞味期限のある戦法だ。いまや誰もヴィデオ・インスタレーションを観て「本当に新しく生き生きとして見える」とは感じないだろう。だからこそ石田はすごいのだ。石田は3分という時間制限をつけることで、展示空間における映像の新しさをふたたび更新したのだ!
 この素敵な展示をつくった石田の新作パフォーマンスが8月19. 20日に初台のアートサロン えん川で発表されます。お待ちしています。
 ちなみに「手なずけるとか手を噛まれるとか」展と同時期に石田が敬愛する泉太郎の個展「Sit,Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎」が東京オペラシティアートギャラリーで開催されていたので、これにも足を運んでおいたが、映像インスタレーションを中心とするこの展示ではなんとモニターが
観客に伏せられていてどの映像もまったく見えなくなっていた。「『わからないもの』に向きあい続けるための永久機関を立ち上げる」ことをコンセプトに掲げていたこの展示についてはさまざまな疑念の声を目にしたが、たぶん泉にも私がここまで論じてきたのと同じことが言える。なぜなら映像以外のものはわりといろいろ見せてくれていたからだ。

 アート・ドキュメンテーションを中心に構成されていたことからは「手なずけるとか手を噛まれるとか」展の別の性格も浮き彫りになる。『流れの中で』からまた引用しよう。「記録された芸術作品によって呼び起こされるノスタルジーは、イベントを『真にそうだった』状態で再活性化させたいという欲望をわれわれに引き起こす」。次の文も気になる。「『自然=造物主』の中で生きて動くものに対して提供される、美しい美的経験もしくは崇高な美的経験」はいまや「現代美術に取り囲まれる中で見出す特別な経験なのである」。
 このように、石田のドキュメンテーションが展示室に対してもつ関係性は、初期ロマン主義の作品が自然に対して有したそれに近しい。3分しか入ることのできない展示空間に対して観客が覚えるのはノスタルジーの感情ではないだろうか。そして手なずけるとか手を噛まれるとかする生、すなわち自然に類比されている作品に対して観客は崇高の念を抱くのではないだろうか。

 いま崇高と書いて、私はふと、石田が聖書同然に祀っている星野太『崇高の修辞学』のことを思い出した。それで読んでみた。
 星野によると、崇高という時に従来論じられてきたのはもっぱら美学的な概念としての崇高だった。しかし崇高を題材にした最古の古典であるロンギノスの『崇高論』とその受容をあたっていくことで、それとは別に連綿と続いてきた「修辞学的崇高」の酷薄な系譜の存在を星野は浮き彫りにする。
 「修辞学的崇高」といってもそれは文体の問題には収まらない。「ロンギノスが『崇高』と呼ぶのは、詩、演説、歴史などのジャンルの区別を問わず、人間のあらゆる言語活動に見られる卓越性のことなのである」。それなら――石田のアート・ドキュメンテーションも修辞学的崇高の技法の観点から評することができるのではないか? 石田の文章はいわゆる崇高な文体のものではない。しかし繰り返せば「修辞学的崇高」は文体の問題を超えている。
 たとえば星野はロンギノスにおける「ピュシス(自然)」と「テクネー(技術)」という二つの概念の複雑なあらわれについてふれて、ここでのテクネーの役割がピュシスの適切な伝達といった通常の定義を超えていることに言及している。「ロンギノスにおける『テクネー』は同時に『ピュシス』が『ピュシス』として現れることそのものを可能にする、より本質的な役割を与えられてもいるのだ」。
 くり返し確認してきたように(そしてタイトルからも自明なように)「手なずけるとか手を噛まれるとか」展は作品を生き物のように扱っている。つまり自然であってピュシスだ。そしてこのピュシスは、一般的な展覧会においてはその物語が前景化するにしたがって見えなくなってしまうのであった。石田のあまりに多くかつ信用ならないテキストはそのように展覧会の物語に覆い隠されている作品に再び観客の目を向け直すための戦略だったことを思い出そう。つまり石田のキュレーティングはロンギノス的な意味でのテクネーに該当している。そしてロンギノスにおいてこのようなテクネーを通じて開示されたのが崇高である。
 あるいは。星野は同書の終盤ではロンギノスから一度離れてポール・ド・マンの「テクスチュアル・サブライム」について独自の読みを展開している。それはアイロニーによるテキストの読みの突然の中断としてあらわれるらしい。そしてアイロニーは、われわれにはなにがアイロニーであるかを決定できないというその存在性格ゆえにこそ、その読みを破綻させるのだとか。
 これまで私は議論のわかりやすさのために石田によるインタビューや作品の再解釈を誰が見てもあからさまに作品を裏切るもの、すなわちアイロニックなものとして扱ってきた。しかし実のところこのような判断を確定させる基準はどこにもない。石田の再解釈が大マジである可能性をだれも否定できない。実際石田の書く文章はこの展覧会のテキストに限らずどれもその真剣な口調とは裏腹に「これはすべて冗談なのではないか」と思わされるような容易にまねできない危なっかしさを抱えている。
 再び確認すると作品を3分間しか観れない「手なずけるとか手を噛まれるとか」展において観客の鑑賞体験はもっぱら石田の用意した文章を読むことに集中する。そして石田が制作した作品にしてもそれは石田の文章を文字通り実行するようなものだった。つまりそこでは作品はむしろドキュメンテーションとしてのテキストにおいてこそ経験されたのだ。
 作品はテキスト中の名前に変換される。しかしその名前の意味はどこまでも不確定なものにとどまる。その名辞が置かれた文章はどこまでもアイロニカルだからだ。そうしてこのテキストは作品に寄生しつつその読みを攪乱していく。石田のドキュメンテーションを通じて作品が崇高なものとして感得されるとしたら、それは石田のテクスチュアル・サブライムの技法の成功をしるしづけていると言えなくもないのだ。
 このように「手なずけるとか手を噛まれるとか」展は展示における崇高の問題を修辞学的崇高の観点から再考するものとしても読める。そしてアート・ドキュメンテーションの可能性を石田は広げていこうとしているわけだ。


 実はそもそも「手なずけるとか手を噛まれるとか」展は布施琳太郎の「惑星ザムザ」展への応答として発表されている。先ほどふれたように、石田は布施の「惑星ザムザ」展への批評を美術手帖に発表していたのだが、その後布施の側からも応答があり、同じく美術手帖に掲載された。さらにそれを受けて書かれたのが石田の「僕の『惑星ザムザ』評に対する布施琳太郎さんの応答への再応答」だ。そこで石田は終盤怒涛の勢いで自分の展覧会の告知を始めてしまう。この告知は好きなので長くなるけれど引用する。

執筆以前から、この枠組みから出発して展覧会をキュレーションしたいな、のようなことを思っていたのですが(それが記事執筆のモチベーションでもありました)、執筆を契機として再考することを余儀なくされました。ということで(何も確定していない事の宣伝となり本当に恐縮なのですが)、僕が今目指しているのは、「惑星ザムザ」およびこれらの記事への応答になるような展覧会を立ち上げることです。それはおそらく来年になるでしょう。全ての流れが速いこの世界において、一年前の展覧会の応答がなされる(しかも展覧会で)など、なかなか奇妙な事態なように思います。しかし僕はそこでなにかが可能となるのではないかと思いたい。ということで、もしよければ、布施さんやこれを読んでいただいた皆様に、この展開をお待ちいただければ、と強く思っております。場所も期間も詳細も決まっていないので、協力していただける方を常に募集しております……!スペースの方でもアーティストの方でも、ご関心ある方ぜひ…!〔太字は石田による〕

そして満を持して発表されたのが今回の展示だったわけだ。

 私はこれら二つの展覧会を比較する気はない。「惑星ザムザ」展を観ていないからだ。ただし百瀬文の作品の扱いについては言いたいことがある。百瀬の《Born to Die》はもともと「惑星ザムザ」展で展示されていたもので、石田が今回作家に直接出品を依頼した唯一の作品であるという。《Born to Die》の扱いを通じて石田が「惑星ザムザ」展への姿勢を表明しようとしているのは明らかだ。
 《Born to Die》は「二つの端に異なった色の電飾が施され、それぞれの発光に対応してインターネット上から採取された二種類の女性の声、すなわち性行為の際の嬌声と出産の際の苦痛の声を発するチューブ状のオブジェを映し出す、3DCGの映像作品」だ(石田によるまとめより)。
  ローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」は、映画館で女性を消費する男性的な視線は彼女たちの危険な身体をモノ化したりフェティッシュ化したりして、無害化して手なずけながら窃視していると論じた。この手なずけをオーバーにかたちに落とし込んで可視化したのが《Born to Die》だと言える。女性の身体はチューブに置き換えられることで穴という部分へフェティッシュ化されると同時にモノ化される。しかしそうして誕生するグロテスクなチューブは観る者の手を噛んでくるだろう。
 「惑星ザムザ」展では暗い部屋に展示されていたという《Born to Die》は(ネットで調べた)、明るく白いJUNGLE GYMでは展示室に隣接する別の空間に設置された。観客は壁に開けられた穴から作品を覗き見るほかなかった。いずれにせよ観客たちはそのチューブに映画館での映画鑑賞と類比的な窃視的な視線を向けるしかなかった。
 《Born to Die》のチューブが発する声は壁に顔を近づけてようやく聞こえるくらいのボリュームがデフォルトだろうと思うのだけれど、私が展示室に入るのを待っている間、チューブの声が轟音と形容したくなるような不気味な圧の声量で廊下に響いてきたタイミングがあって、《Born to Die》が生きている! と私はその時確信してしまった。実のところ私がこの展示で出展作品に手を噛まれたような感覚を覚えたのは唯一この瞬間のみである。
 というわけで《Born to Die》における女性身体のチューブ化の含意は明らかなのだけれど、石田が最初に美術手帖に投稿した「惑星ザムザ」評ではそのモノ性は別の文脈に置き換えられて捨象されてしまっていた。思弁的実在論の文脈から、「『異形』の姿を持ちながら、〈人間の認識以前のモノ〉についての思考・概念をわれわれの理性的認識もたらす〔原文ママ〕」同展の性格を例示する作品として扱われてしまっているのだ。
 もっとも布施への再応答の方での石田は《Born to Die》について、あからさまに思弁的実在論にフィーチャーしていた「惑星ザムザ」においては「フェミニズムの文脈で作品が持つすぐれて政治的な潜在性、すなわち、『女性がインターネット空間や生権力の中で、提示されるパイプ同然の、男性に都合の良い欲望の対象になるか人口の再生産の道具になるかの二者択一に陥る事態を痛烈に批判すること』が見出しづらくなっている〔太字は石田による〕」としてキュレーションの不手際を批判している。
 実のところ思弁的実在論に寄せることで作品を矮小化した責任が石田と布施のどちらにあるのか私は知らないしわからない。しかし石田はこの種の作品の矮小化を「手なずけるとか手を噛まれるとか」展で反復している可能性がある。それは問題ではないか。

 石田が《Born to Die》を再構成してつくったのは《プレショー》というパフォーマンス作品である。そしてこの《プレショー》に限り展示作品の意味内容の図示にとどまらない複雑なことがそこでは行われていた。
 観客は飛鳥山公園で石田を見つけるとベンチに座るよう促される。座ると間もなくして石田のパフォーマンスが始まる。至近距離ですごい圧だ。「みなさーん! スカイコーナートリップへようこそ! ガイドの石田です。これから皆さんをわれわれスカイコーナー社が誇るフェミボット工場を見学するスリリングな旅へとご案内します!」
 遊園地にあるアトラクションのガイドを演じているということなのだろう、石田はいかにもテーマパークのガイドらしいわざとらしい口調で語りを進める。いわく、その世界では女性型人造人間であるフェミボットたちが家事・妊娠・出産そして性的奉仕など女性たちの社会的役割を肩代わりした。おかげで人々は快適な生活を送れるようになったというのだ。そして「スカイコーナートリップ」に来た観客は今からそのフェミボット工場に案内されるというのだが、この語りは突如中断される。石田は急に固まってしまうのだ。ロボットが機能停止するかのように。

 これには二つ解釈の可能性がある。ひとつめは石田がフェミボットだった説。ふたつめは石田がテーマパークによくあるロボットだった説だ。
 ひとつめの解釈は素直には説明がつかない。どうみても男性でしかない石田がフェミボットだとは考えづらいのである。それに石田の演技からは女性が社会的に強制されている文化的コードを再現しようとする意図もとりたてて感じられなかった。
 ふたつめの解釈ではフェミボットはアトラクション「スカイコーナートリップ」内のフィクションにすぎない。つまり劇中劇のようなものに還元される。この場合作品のメッセージは素直に解釈すれば「現代にあっては男も女もロボットのようなものだ」といったものになるだろう。しかしこれでは《Bornto Die》の再解釈としては矮小化も甚だしい。女性の身体をめぐる問題が、労働が引き起こす疎外一般の問題へとすり替えられているからだ。
 もしこれが《Born to Die》の無自覚な単純化であるなら、「惑星ザムザ」展が作品に働いたと石田が言う脱政治化の身振りを石田は自分で反復してしまっていることになる。あるいはもしこの単純化が意図的なもので、この反復を通じて布施を批判しようとしていたのだとしても、それはやりすぎだと言わざるをえない。その場合《プレショー》は布施への再応答に書かれた内容を超えない程度の表現にすぎなくなるからだ。
 しかしここであえてもう少し踏みとどまってみよう。石田はやはりフェミボットを演じていたのかもしれないからだ。だとしたら私の批判は的外れということになる。しかしそれはいったいどういうことなのだろうか。繰り返すが、石田はどう見ても女性の姿や振る舞いを表象する気などなさそうだったのである。
 実はこの線で《プレショー》を理解するのに最適な解釈格子がある。松井みどりの「マイクロポップ」だ。「マイクロポップの時代:夏への扉」展のカタログによると、「マイクロポップとは、制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、様々なところから集めた断片を統合して、独自の生き方の道筋や美学をつくり出す姿勢を意味している」。そして「それは、主要な文化に対して『マイナー』(周縁的)な位置にある人々の創造性である」。
 マイクロポップが《プレショー》と関係を持つのはここからだ。ここでマイナーと呼ばれる人物の筆頭は未成年者なのだ。そして松井はマイクロポップの文脈で言う未成年のことを「性差にとらわれない自由な精神の状態」と考えている。石田の誕生日は2001年10月15日。展示の時点ではまだ21歳で、まあギリ未成年と言ってもよい気がする。たぶん。
 われながら強引な議論だなとは思うけれど、マイクロポップ的な未成年性の発露として考える以外に、私には《プレショー》を石田=フェミボット説で解釈する道は見つからない。そして実際、これはこと石田に限り、それほど無理筋な議論でもない。石田は「石田裕己/ペンギンプラネットについて」という自己紹介をネットで公開しているのだけれど、以前はそこで好きなアートがマイクロポップだと明記していたし(なんで消したのだろう)、くだんの「惑星ザムザ」評でもわりと唐突に読める仕方でマイクロポップの名前が引き合いに出されているのだ。そもそも「手なずけるとか手を噛まれるとか」展自体が、成熟したアーティストたちの表現を石田が未成年的にひっかきまわす、マイクロポップ的な展覧会だったとも言える。
 このように石田=フェミボット説をとるとき《プレショー》の解釈は激変するはずだけど、私がここから考えていきたいのは別のことだ。

 いずれにしても《プレショー》は石田の未成年性の発露だった。石田=アトラクションロボット説なら、《Born to Die》のフェミニズム的な問題提起を真摯に受け止めきれないその姿勢において。石田=フェミボット説なら、マイクロポップ的なその姿勢において。しかしそれではお姉ちゃんは困るのだ。
 前者の未成年性が困るのは自明なので、私がなぜ後者の意味での未成年性を受け入れられないのか書いてそろそろ終わりにしよう。
 マイクロポップの未成年性は既成の制度に対して攪乱的な性格を持つものとして称揚された。未成年は枠にはまることがなく、それゆえに性差も超えてゆくこととなる。しかし、立派で成熟した存在としての成年という概念がまず前提された上で未成年のポテンシャルが問題とされるとき、未成年はこの「成年/未成年」という非対称な関係性の枠の外には出られなくなる。そして当然だけど、枠にはまらない大人もいる。

 もちろんここでいう「未成年」は年齢を問わない概念である。何歳になっても未成年ではありえる。だから問題なのだ。別に私は石田に大人になれと言いたいのではない。成熟を云々することもそれはそれで「成年/未成年」の枠を妄信することにほかならないから。そうではなくて、私は石田に歳をとってほしいのだ。
 歳をとるとは誰にも等しい速度で起こることではない。それは〇〇年の時間を過ごすとかいったたんなる物理的な事実とは異なる。そしてもちろん成熟を意味するのでもない。でも確実に進行するひとつの不可逆な過程ではある。この過程に「未成年」という覆いをかぶせていては流れた月日にいずれ手を噛まれるだろうことはほとんど疑いがないのだ。
 そもそもマイクロポップはすでに概念としては古びている。というか、古びているべき概念だ。図書館に行って昔の美術手帖を読んでみてそれが分かった。
 まずは松井がマイクロポップにどんな可能性を観ていたのかを確認しよう。「偏愛のマイクロポリティクス:逸脱の記号としてのかわいらしさ」(1996)で松井は奈良美智や落合多武などいずれマイクロポップの名で呼び表すことになる作家たちについて、「グループ・アイデンティティの代弁者であることを拒否し、自分の固有の運命に個人的に取り組もうとしている」と書いている。ここでは作品がグループ・アイデンティティの代弁へと還元されてしまう1980,90年代の文化多元主義の教条性からの解放が言祝がれているのだ。しかしこの手のマイクロポリティクスが現在も有効だとはもちろん限らない。
 そして実際、新世紀を迎えたあとの2001年に書かれた「『未成年』の構造」には驚くべき分析が記されている。「『第三の状態』という、性や主体性の中間領域への九〇年代特有の夢が、この曖昧で壊れやすい状態が迫害されることなく、美術の領域に位置することを許した。〔…〕近代的な思考があらゆる面から修正を受けざるをえない二十一世紀にあって、創造力のモデルとして必要なのは、九〇年代のままの『未成年』ではなく、その柔軟性を包含した、成熟の新しい概念なのかもしれない」。
 換言すると次のようになるだろう。マイクロポップの成立は、「近代的な思考」の「あらゆる面から」の修正が不十分に終わり、放置されてしまった結果にすぎない。美術は未成年の「柔軟性を包含した、成熟の新しい概念」を提出することさえ叶わずにずるずると夏への扉へたどりつき、それを開けてしまったのだ。繰り返すが、別に私は新しい成熟の概念を求めているのではない。「未成年」や「マイクロポップ」が決定的に過去の遺物となるに足るだけの「近代的な思考」の修正の必要を訴えたいだけだ。
 そして石田がその仕事をしたらいいんじゃないかなと思ってこの文章を長々と書いてきたのである。

 ところで私はパフォーマーとしての石田の魅力を冒頭で訴えておきながら、そこのところについてはこれまで全然言及せずに来てしまった。最後にもう一度書く。8月19, 20日は初台のアートサロンえん川へ!
 《プレショー》がテーマパークのアトラクションをモチーフにした理由ははっきりしている。飛鳥山公園は渋沢栄一ゆかりの地で、調子に乗って「渋沢翁のテーマパーク」を謳っている変な公園なのだ。しかしこの冗談に乗っかっては、地図を授けてテーマパークのように街歩きをさせるという展覧会の骨組み自体が怪しくならないだろうか? しかし石田は平気でそれをするのだ。
 そして演技をする石田の身体。そこにいわゆる演技の強度はない。強度不在の身体もかえってしばしば美学化されるものだけれど、それでもない。そのパフォーマンスを芸術と呼ぶのにはどこか不安がつきまとう。だからといって反芸術なのでもない。反芸術ならわかりやすく芸術に回収できる。そうではなくて、ただ、芸術と呼ぶには犯罪的にいんちきくさいのだ。《プレショー》はたぶん美術館で展示されてもいんちきくさいだろう。だからグロイスがほんとうに新しいと呼ぶものより新しい可能性がある。
 人が舞台に立つにはふつう根拠が必要だ。しかし石田はそれを求めないで平気で飄然と立ってしまう。そしてカッ開いた目でやけに早口にしゃべくり倒す。石田は存在の無根拠に対して根拠を捏造することなく立つことができる人間だ。いんちきくささはそこからきている。だからこそもし石田に手を噛まれたらほんとうに厄介なのだ。
 そういえば「手なずけるとか手を噛まれるとか」展は展示会場を封鎖したハイレッド・センターの「大パノラマ」展に似ている。そして椹木はハイレッド・センターについてこんなことを書いているのだった。「〔芸術と非芸術の〕断絶と境界線を浮かび上がらせるためには、はじめからそれが芸術としか思えないこと〔…〕や、はじめからそれが非芸術でしかないこと〔…〕をやっても意味はありません。〔…〕『どうもこれは怪しい連中だ、ふつうではない、ひょっとしてコレ芸術なのではないか、いや犯罪なのではないか』という微妙な線を狙わなければなりません」。繰り返すと、石田も文字通り犯罪的にいんちきくさい。しかも狙ってないのにそうなのだ。というかここまで我慢して言わずにきたが、そもそも「手なずけるとか手を噛まれるとか」展自体全体的にいんちきくさいことこの上ない。
 石田の魅力は表舞台に果敢に飛び込んでいきながらそのいんちきくささを平気で保つところにある。そして私はそれを未成熟ゆえとか、未成年ゆえとは思わない。この石田の魅力はひとえに石田ゆえである。それにいんちきくさい人間は、そのいんちきくささを捨てずに歳をとることができるじゃないか。
 そんなわけで、石田にはいくつになっても歳をとれない未成年じゃなくて、ひとを笑顔にするいんちきおじさんになってほしい。それがお姉ちゃんの浅はかならぬ願いであり、祈りなのである。

プロフィール


全肯定ペンギン:石田裕己の姉。演技の専門家。村澤博人という人が、正面顔は感情を表にあらわさず比較的無個性だと言っている。そしてこれは絵巻物の引目鉤鼻や浮世絵美人画など日本美術で顔面がしばしば様式化される傾向にあったこととも無関係ではないらしい。だとすればここにはやはりもっと私についてなにか書くべきだったのだろう。

新作公演情報


「てなかま THE LIVE」
企画者:ペンギンプラネット
制作者1:全肯定ペンギン
制作者2:石田裕己
出演者:石田たち
スペシャルサンクス:小倉久典

会場:アートサロン えん川(〒151-0061 東京都渋谷区初台1-37-7、京王新線初台駅南口より徒歩2分)
日時:2023年8月19日、20日(各日14時・18時から開始、各回45分から1時間程度を予定、計4回)
料金:500円

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