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ぼくの株の話 part10

僕はこの話を書き始めて週刊連載漫画家の偉大さを実感しました。

ところで木多さん喧嘩稼業の最新話はいつですか・・・・。

〇前回の話

〇憧れの東京へ

 完全に億への道が見えた。というか何なら来月くらいにはいくかもしれない。そんな高揚感に包まれて最高にイキりまくっていた僕は億への道グランドラインを旅する仲間を探しに東京へと進出することにした。何度でも繰り返し言いたいが、そもそも僕は就職する時、いくつかの会社から内定を得ていて、最終的な会社を選ぶ時、勤務地で決めた。選んだ会社は研究所が横浜にあってそこに配属することになるだろうと言っていたためそこに決めたのだが、蓋を開けてみれば、勤務地は野兎が出るようなくそ田舎の僻地の研究所だった。横浜に住み、週末は東京で遊ぶというアーバンライフを想像していた僕は絶望したが、今更やめることもできず、陸の孤島での生活に甘んじなければならなかった。大人の汚さを初めて僕は味わった。

おれの夢を汚いウソでつぶしやがったあの会社許さんぞ・・・。

 その会社は東証一部に上場しているのだが、辞めてかなりたった今でも潰れろ潰れろと念じながら毎回決算を開いている。これまでにも語ったように株で勝てるようになるまでの僕の生活というのは精神と時の部屋での修行のようなもので、あまりに辛くて今ではほとんど記憶から消えている。とにもかくにもお金に余裕ができた僕はその鬱憤を晴らすために週末は東京で過ごすようになった。そこで趣味のボードゲームのオフ会や株のオフ会などに参加していった。

〇億り人になった日そして運命()の出会い

  そして2015年の初頭にある株でついに僕は億を明確に超えた。その株は7148のFPGで僕の株人生の中で最も印象深い銘柄の一つである。この会社の株によって億り人へと到達するとともに今でも仲のいい人たちと出会うことになったのである。

 ちなみにだが億を超えた時の心境と言うのは思ったよりも淡白なもので、特に何か特別な感慨に浸るようなことは特になかった。まあいくだろうなみたいな感覚がずっとあってそれが現実になった、ただそれだけのことだったように思う。

 話を戻すが、もう実のところ当時の細かな話はあまり覚えてはいない。FPGは税繰り延べメリットのオペリース商品を扱っている会社で2015年明けの第一四半期決算でとんでもない決算(確か売り上げ三倍、利益5倍とかそんなレベル。詳しい人に言わせるとそれは予測できたらしい)を出してすごい勢いで上昇していった。僕は実際のところたぶんそんなこの会社の仕組みを理解していなかったものの、とにかくそれなりのポジションサイズ、今では中々考えられないがたぶん全資産の3割以上、を持っていたと思う。そしてそれはものの数か月で株価は倍になってそれまで以上に僕は有頂天になっていた。使っても使っても増えるお金(当時の貧乏人感覚では・・・)が石仮面を被ったDIO並みの全能感を僕に与えていた。

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 余談ではあるが、この当時のツイッタランドは今のように煽り屋全盛期という感じではなく、多くの凄腕投資家が保有銘柄について語っていたし、自分もこの頃までは保有している銘柄について割とツイートしてたように思う。

 そんな時にある投資家と出会いFPGの第二四半期の決算発表日当日に飯でも食べに行こうよという話になっていた。この投資家は僕と比べ物にならないくらいお金を持っていたが(もちろん今でも比べものにならないくらい持ってる)、とにかく話が合って割とすぐに仲良くなった。僕の視点では。なぜそんなことを言うのかというとこの後にひどい話がくるからである・・・・。

FPGチャート_LI

 チャートを見てもらえばわかるように、FPGは決算の一月前位には天井を打ち、大きく下げていた。僕は不安ではあったもののまだ十分に含み益があったし、最初もっていた量の3分の2くらいを維持し、そのまま第二四半期決算を跨いだ。結果は大暴落とは言わないまでもストップ安とかそんなレベルの決算で僕はその飯会の最中気が滅入っていたが、この目の前にいる人もきっと同じように食らっていると思うとそんな傷も少しはやらわらぐような気がしていた・・・というのは僕の全くの独りよがりな勘違いであった。実はその投資家はFPGはほとんど持ち越しておらず、しかも後日彼が語ったところによると、あろうことか僕に対抗するためだけにある別の会社の株を大量に保有していたのである。結果として僕は一人で大損していた間抜けだったことが判明し、苦しさの二重の極みを受ける羽目になった。僕はその日ご飯の味もよくわからぬままその時間を過ごすこととなった。これ以降その投資家を怖い人と呼びたい。怖い大人や・・・。

〇俺たち in チャイナショック

 しかし天は見ていた。その年の6月にそれは起こった。俗にいうチャイナショックである。その時も僕は怖い人と飯を食べて話していたのだが、僕に対抗するためだけに買った株がその余波を受けて死ぬほど下がっていた。本当に上段抜きで下がりまくっていた。怖い人はとんでもない量のポジションを抱えていたので、FPGの決算当日の真逆の状態になった。突然お腹が痛いと言い出し、もし俺これで飛んだらラブホの店長やるわ・・・資産も今からぬいて逃がしとかなあかんわと言い出したのである。そしてその場で証券会社に出金要請をし始めた(横で聞いていたが証券会社の受付の人が、本当にいいんですか?本当に?と何度も確認していた・・・・)。逆に相対的に軽傷だった僕は正直何言ってんだこいつと言いたいところだが、損失額を想像するに流石の僕もあまりそのことに突っ込めないまま、まだこれからでしょという時間にお腹が痛いという彼の言葉をうけて解散したのだった・・・。

 結局その会社の株はその後めちゃくちゃな値上がりをして彼は大儲けすることになるのだが、その下落から2年以上待たねばならなかった。その間彼はパワーポイントで、「Change the world」みたいな言葉が躍っているいかがわしい煽り資料を作成し、僕たちにひたすらアピールしていたのは今となっては笑い話である。

〇次回
そしてプリズンブレイクへ

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