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魔法使いナンジャモンジャと空飛ぶバイオリン 7/7

7.ローマ市交響楽団


 空はすっかり夕焼けだ。
空の半分は夢のようなピンク色に染まり、もう半分は青い夕闇に包まれながら、沈みゆく地上にはきらきらと街の灯りが灯り始めている。
「わお! 素敵!」
「綺麗だなぁ~! 空を飛ぶには、この時間がいちばんね!」
ユマとリオナはまたまた大はしゃぎ、スマホでパシャパシャ。
一心不乱に進路を取るシーラさん、我関せずの黒猫、死んだように目を閉じたままのブラウンさん、みんな一緒に超特急で、またたき出した星々のあいだを抜けてゆく。
「速く速く! もっと速く!」
ユマとリオナは代わるがわる、シーラさんを煽り立てた。
「だめだめ、これ以上スピード上げたら、空気摩擦で君たちの服に火がついてしまうぞ!」
と言いながらも、シーラさんはさらにちょっぴり速度を上げた。
「…ほらほら、見えてきたよ! また大きな街が! あれローマじゃない?」
「あと7分! 何とか間に合いそうね?」
「よし! さあ、着陸準備に入るよ! こんどは結界とかないはずだから、ブラウンさんも安心して!」
とシーラさん。
「さて、コンサート会場は、と!」
「ほら、ここ公園ってなってるけど、なんか古代の遺跡よね? 円形劇場?…」
「よし! では高度を下げていくよ、みんなついてきて!」

到着はほんとうにぎりぎりの2分前。
会場の端っこの、人目につかないあたりに着陸したはずだったが、運悪く警備員に見つかってしまった。
「空を飛んでくることは禁止されております! 罰金20ユーロ!」
「ごめんなさい!」
「どうしても時間がなくて、飛んでこないと間に合わなかったの! もうしません!」
何とか振り切って、まだふらふらしているブラウンさんも引きずって逃げ出した。

ステージはライトアップされて、今にも始まろうというところ。
みんなは、すり鉢状に広がった石段の端の方にようやく場所を確保した。
「息子さんのオーケストラの演奏だ、こいつにもゆっくり聞かせてやろう」
ブラウンさんはケースを開けてバイオリンを取り出し、斜めにもたせかけた。
バイオリンもブラウンさんの隣でくつろいで聞いているような感じになった。
やがて指揮者が登場し、会場は拍手喝采。
「トスカニーニ・ジュニアだわ!」
「終わったら、バイオリン持ってぜったいに話しに行きましょう!」
「…それではみなさん」
ステージの端で、司会者が腕を広げた。
「アントニオ・トスカニーニ氏指揮、ローマ市交響楽団演奏によるバイオリン協奏曲第二番<魔法使いの弟子>、存分にお楽しみください!」

ざわめきがやみ、しんと静かになって、演奏が始まった。フルートはじめ管楽器の、穏やかで繊細な序章…みんなは一心に聞き入った。
…ところが、しばらくするとユマとリオナ、代わるがわるバイオリンの方へちらちら目をやり始めた。目をやらないわけにいかなかった。なんだか明らかにブンブン鳴ってるのだ。
「なんか…」
ユマが小声で言う。
「鳴ってる?」
「鳴ってるよね…」
「弦が鳴ってる…?」
「シーッ!」
ブラウンさんも小声で言う。
「共鳴してるんだよ。よくあるよ」
「よくあるの?」
「楽器だからね」
「…」
ふたりは気にしないようにつとめたが、鳴り方はいよいよ激しくなるばかり。
ちょうど、これからバイオリンソロに入ろうというところだった。
まるで魔法をかけられたホウキのように、バイオリンと弓、いきなりひゅんと空中に飛び出したかと思うと、高らかにソロパートを弾き出したのだ。
名奏者のように貫録たっぷりの、自信に満ちた弾きっぷり。
周りの客席からどよめきが上がった。
ブラウンさんは青くなってバイオリンを捕まえようとするが、その手を巧みにすり抜けて、ひょいと斜めに飛び上がった。
「ちょっとシーラさん!」
リオナがぐっと袖をつかんだ。
「また変な魔法かけないでよ!」
「えっ? ボクは何もしてないよ?」
「えっ? そうなの?」…
オーケストラは驚きのあまり、演奏が止まってしまった。
指揮者も、本来ソロパートを弾くはずだった第一バイオリン奏者も言葉を失っているばかり。
みんなの当惑を尻目に、バイオリンは力いっぱい奏でながらどんどん高く飛んでいき、やがて指揮者のトスカニーニ氏の近く、その右肩あたりの位置まで舞い降りてきて、そこでとまった。
観客は驚きながらの大喝采。
指揮者は第一バイオリン奏者と目を見交わして、うなづきあう。
オーケストラは再開し、飛び入りの(文字通り!)空飛ぶバイオリンを迎えて演奏が続けられた。
その響きはすばらしく、盛り上がりもすばらしく、ブラウンさんはもう、バイオリンを捕まえることも忘れて涙を流していた。
こうしてコンサートは大盛況のうちに終了。
ブラウンさんはしばし夢のような余韻に浸っているようだったが、やがてはっと我に返ると、事情を説明すべくステージ裏へ飛んでいった。そして、ユマたちみんなを待たせたまま長いこと帰ってこなかった。
「…あ、ねえ!」
リオナは急に思い出してユマの腕をつかむ。
「スター楽器の支配人から、電話かかってこなかった!」
「ほんとだ! …ラ・フォンテーヌ、飛ばなかったのかしら? …でもどっちみち、今は営業時間外だから、誰も人いないのかも。明日ちゃんと確認してみよう」

「あれは父の弾き方でした! 私には分かります!」
ステージ裏では、指揮者のトスカニーニ氏がハンカチを手にむせび泣いていた。
「こんな形でまためぐり合うとは! …父はバイオリン職人で、プロの奏者ではありませんでした。ですが心からバイオリンを愛し、私が子供の頃、よく弾いてくれたものです。今日のこの曲目も、父が大好きだったものなんです!」
「あれには驚きましたが、正直、ほっとしました!」
と、第一バイオリン奏者のエンリコ氏。
「実は私は長年の腱鞘炎がいよいよというところまで来ていて、今夜は無事ステージがつとまるか心配な状況だったのです。だが、ソロパートを代われる者もいなくて…」
「ええっ」
「こんなすばらしいバイオリンがいてくれるなら、もう何の心残りもない。私は引退します。ブラウンさん、ぜひあなたをうちの楽団にお迎えしたい」

ブラウンさん含め、みんなはその晩、ローマ市郊外のトスカニーニ氏邸宅へ招かれ、そのまま一週間ばかり滞在することになった。
次の日、さっそく鑑定士が呼ばれ、バイオリンが確かに名匠、故ヴェッキオ・トスカニーニ氏の手になるものであることが明らかになった。しかも幻の名器と呼ばれ、行方が分からなくなっていたものだと判明したのだ。
この思いがけない展開は大ニュースとなり、紙面を飾った。
「何がジャンク品よ」
スター楽器の支配人のひどい対応ぶりを思い出して、ユマは憤懣やるかたなしというようす。
一方、あの晩ラ・フォンテーヌがびくともせず、何事もなかったことも明らかになった。
どうやら呪いは解けたのだ。それが何であったかにせよ。
バイオリンが本来のあり方を取り戻したいま、ラ・フォンテーヌが空を飛ぶことももうないだろう。中に入っている店舗や、買い物に来ていた市民たちにとっても朗報だった。
スター楽器は一転、「名匠トスカニーニ氏のバイオリンを発掘した店!!」というのぼりをいっぱい立てて、大々的に宣伝にかかった。


ブラウンさんは大いに感謝され、ローマにとどまることになった。ローマ市交響楽団の第一バイオリン奏者として正式に迎えられたのだ。
彼はトスカニーニ氏はじめメンバー全員の前であらためてくだんのバイオリンで腕前を披露し、みんなに気に入られた。
「あれ、何だかいつにもまして調子がいいぞ」と、彼自身びっくりして言った。「まるでバイオリンが一緒に弾いてくれてるみたいだ」
「そうかもしれません」と、トスカニーニ氏。
「やっぱり魔法のバイオリンなのかな? 自分の力ではないようだ…」
「でも、今のはあなたの音色ですよ、ブラウンさん。あなた自身の音です」
と、トスカニーニ氏は請け合った。
「結局、音楽こそは魔法。だれも自分の力ではないのですよ」
と、エンリコ氏も力強く保証した。
それでもブラウン氏、最初は正直に言ったのだ。
「たいへん光栄ですが、私に充分な資格があるかどうか… 私はたまたまこの名器の現在の所有者なだけで、それもたまたま古道具屋で見つけただけで…」
「でも、どうしてその日、あなたがそこに居合わせて、このバイオリンを見つけて、しかも買って帰ったとお思いです?」
とトスカニーニ氏。
「あなたは呼ばれたんですよ。バイオリンがあなたをパートナーに選んだのです」…

「ん? それ、私たちも同じこと言ってたわよね。とっくの昔に」
と、後からその話を聞いて、リオナは不満げだった。
「忘れちゃったのかしら。それくらいのことなら、私たちだって言ってあげられたのに」
「ほら、分かるでしょ。大人ってちょっとバカなのよ」
と、ユマが鷹揚に言う。
「そこは寛容になってあげないと。彼にとっては、わざわざローマまで来て、バイオリンをつくった本人の息子さんの口からそれを聞いたってことに意味があるのよ」
「そうかー。仕方ないのね」

ブラウンさんがやっていたバイオリン教室は、氏が長年目をかけてきた一番弟子が引き継ぐことになった。
引っ越しやあれこれの手続きのために、また一度か二度はユマたちの町へ戻ることになるだろうが、ソファに乗って空を飛ぶことは二度とないだろう。
「でも、飛行機は使うわよね?」
とふたりは気になって尋ねた。
「ローマからだと、遠いわよ!」
「いや、極力使いたくないなぁ」とブラウンさん。
「行ける限りは電車で行くよ。何にせよ、空を飛ぶのは、もうたくさん!」
「ええっ…」

ユマとリオナとシーラさんは、滞在のあいだに有名な遺跡や古い建築や彫刻など、足繁くいろいろ見て回った。歩き疲れるとひと休みして、イタリアンジェラートを食べた。それにも飽きると、郊外のビーチへ足を延ばしてのんびり過ごした。すっかりローマを満喫といったところだった。
そうそう、ピザレストラン<ナポリ>のニコさんを向こうに回して、耳までカリカリのローマ風ピザも食べにいった。ユマはローマ風も気に入った。リオナはやっぱりナポリ風の方が好きだった。
それから、一週間の間にリオナはすっかり黒猫を手なずけてしまって、今では膝の上でお腹を見せてごろごろいうまでになった。
一方、ブラウンさんは楽団といっしょに仕事することですっかり頭がいっぱいで、ユマたちと一緒に来ることはあまりなかった。
朝から晩までこもってトスカニーニ氏と打ち合わせしたり、楽団のレパートリーの練習に余念がなく、だがまあ、それはそれで幸せそう。これからローマに住むのなら、観光する時間もたっぷりあるだろう。

あれからバイオリンは、勝手に自分で演奏することはなくなった。少なくとも、物語のこの時点では。
「自分が何者であるか、みんなに知らしめたかったのでしょうね」
というのが、トスカニーニ氏の意見だ。
「ここぞというときだったのでしょう。今はもうみんなが知っていますから、その必要はないのでしょう…将来はまた、分かりませんが」

楽しかった一週間はたちまち過ぎて、ユマたちの帰る日が来た。シーラさんがまた空飛ぶソファに乗せて、小さな町まで送ってくれることになった。
ブラウンさんも初参加の、楽団の次のコンサートには、またみんなでローマに来る約束だ。
トスカニーニ氏はじめ、楽団のみんなが見送ってくれた。
みんなはブラウンさんと固い握手を交わした。
「いやぁほんとにみんな、ありがとう。君たちのおかげで、すっかり運命が変わったよ」
と、感慨深く彼は言った。
「ほんとにね!」
「あたしたちも、驚きだったわ!」…

「ねえ、シーラさん! お願いがあるの」
ローマ上空へ飛び立ってから、ふたりは言い出した。
「今日は革命記念日よ。帰りにパリへ寄って、空からエッフェル塔の花火を見られないかしら。あたしたちいつもテレビとか動画で見てるから、いちど実物を見てみたくて」
「ああ、いいねーそれ! ボクも実物を見たことはないんだ」
「何で?! 空飛べるんだから、行こうと思えば毎年でも行けるのに」
「あはは… どうも、ストラスブールに住んでると、ちょっと腰が重くてね」
「そういうもんなの?!」

夏の日は長く、花火が始まるまでには長いこと待たなくてはならなかった。
それでも、空の上から見る花火はすばらしかった。
「うわー、見て見てきれい!! サイコー!!」
リオナは夢中で動画を撮っている。
「リオナ! あなた実物を見たいとか言って、結局スマホで見てるんじゃないの」
言われて、彼女は舌を出して笑った。

心ゆくまで堪能した花火もフィナーレを迎え、みんなはユマたちの住む小さな町を目指してしずかな夜空を飛んでいた。
革命記念日のお祭り騒ぎもほぼ静まって、空の上には届いてこない。
「楽しかったなぁ。一件落着!!」
ソファの上でうーんと伸びをしながら、ユマが言った。
「まだ夏は始まったばかりよ。今年の夏は何をしようか?」
「またラ・フォンテーヌをぶらぶらして、アイスクリームを食べに行く?」
「いいね!」…

こうして楽しい夏が過ぎていった。
そしてひと夏の終わり、シーラさんから届いた絵葉書を読み上げるリオナ。
「ナンジャモンジャのやつ、今度はドラムを始めたらしいって!」
「えーっ! 懲りないやつだなぁ…」

(終わり)

あとがき→


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