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わたしの落としもの

 「いらっしゃいませ」
 このコンビニで働きはじめて半年が経った。週3回、一日6時間のアルバイトだ。
 有名企業の正社員として子供が生まれてからも育児休業を取って働いていた。なのに、同期の男性社員に任される仕事はどんどん大きくなる一方で、自分は同じような仕事しかしていない気がして、モチベーションを失った。そして、子供の中学受験のサポートをするということにして、20年近く勤めた会社を辞めた。
 それから5年。夫は仕事だの飲み会だの、子供たちも塾だの部活だの、何やらドタバタと走り回っている。忙しそうにしている家族から「家はやっぱり落ち着くね」なんて言われても、最初からここで落ち着いている私にはピンとこない。
 「私だって、家にいる自分と別の人間になりたい」
 これがアルバイトを始めた理由だった。ちょっとだけ、いつもと違う自分でいられたらいいと思った。
 いざ働きだしてみると、コンビニの仕事は目が回るほど忙しい。レジ打ちに調理、棚の補充に商品の発注、お金の管理をしながら店の清掃まで。家事よりもシンプルな作業が多いのに、家事よりも覚えることが多い。
 おまけに「どうせなら人間相手」と思ってコンビニを選んだのに、お客と目が合うことがほとんどない。みんな黙って買い物をする。
 自分が誰かと関わっているという感じがしなかった。家でもコンビニでも、私は一体何者なのか、よくわからない。私というネジがこぼれ落ちても、ひょっとして誰も気が付かないのかもしれないとまで時々思うようになった。

 ある日の午後、客足が途絶えたところで、私はちりとりとほうきを持って店の外に出た。前かがみになって店の前を掃いていると、
 「あの…」
とかわいい声が聞こえた。
 振り向くとランドセルを背負った男の子が立っている。6、7歳だろうか。黄色い帽子がまだ新しい。
 「はい?なにか?」
 「落し物、拾ったんです」
 男の子はなぜだか目を輝かせている。
 「あ、落とし物…なの」
 めんどくさいなあ…、と思った。このコンビニではお客様から忘れ物や落とし物があった場合には、拾った人の名前と連絡先を聞いて書類で残すことになっている。以前にどこの誰が拾ったのかで、落とし主と店の間で小さなトラブルが起きたからだそうだ。
 お店の外で、とはいえ、拾ったものが届けられてしまった以上、用紙に書き込まなければいけないだろう。
 「何を拾ったの?」

 男の子は小さな拳を目の前で開いた。褐色の丸いものが一つ、握られていた。
 「10円です」 
 「え?10円?」
 「そこに落ちてました」
 男の子は、自慢するかのようにコンビニの自動ドアの真ん前を指さす。
 たった10円か。多分誰も探しにこない。落としたことすら気がついていないだろう。だけどこの10円のために今から手袋脱いで用紙を出してこの子から連絡先を聞き出して…やっぱり面倒くさい。
 
 あれ、10円玉の落とし物って…あ。
 突然思い出した。 

 私もこの子くらいの年の時、10円玉を拾ったことがあった。母親にどうすればいいかを聞くと、「落し物はすぐに交番に届けるのよ」と答えた。私の家から交番までは歩いて15分、往復で30分。小学1年生にとっては大冒険だった。
 「一人で行ってきなさい。あなたが拾ったんだから」「うん!」
 母親の言葉に、私は何だか秘密のミッションを任された気持ちになって力強く答えた。
 いつもの通学路を通って小学校を通りすぎて、学校のすぐそばから駅まで続く商店街の端まで。途中で知ってるお店がなくなって、知らない人ばかりが歩いていて、不安で泣き出しそうになった。
 やっとたどり着いた交番を覗き込むと、おじさんのおまわりさんが机で何か書いている。まごまごしていたら、後ろから「どうしたの?何かご用ですか?」と女の人が声をかけてきた。若い婦人警官のお姉さんだった。
 「あの、落とし物を…見つけて…それで…」
 「あら、何を拾ってくれたのかしら?」
 お姉さんおまわりさんがほほ笑む。
 「これです」と私は10円玉を差し出した。
 「お金ね。届けを作るから、中へ入ってね」 
 それから、お姉さんのおまわりさんは私に優しく尋ねた。
 「どこで拾ったの?」「お名前は?」「電話番号言える?」
 お姉さんのボールペンがサラサラと動いて紙を埋めていく。
 「誰かの大切なお金を届けてくれて、ありがとう。では、手を出してください」
と言って、彼女は机の引き出しからいちごミルクの飴を一粒取り出し、私の手のひらにのせた。
 「はい、どうぞ。なめながら気をつけて帰ってね」
 ミッション完了。
 あんなに遠く感じた家と交番の間も、いちごミルクの甘さが体中に行き渡ったら、ぐんと短くなった。甘酸っぱいひと仕事の報酬が、私に力を与えてくれた。

 ずっと忘れていた。私の大切な思い出。誰かの役に立ったことが誇らしくて楽しくて嬉しくて、仕方がなかったんだ。
 あの時のおまわりさんも、たった10円で届けを作るのは面倒だっただろう。でも、私の話を聞いてくれた。私を社会の一員と認めてくれた。私の小さな声が届いた。

 「あの…どうしたらいいですか?」
 男の子が少し戸惑った顔で私を見ている。
 「じゃあ、お店の中まで来てくれる?」
 私は男の子とお話をして、丁寧に紙に記入する。
 「これで大丈夫。届けてくれてありがとう。落とした人を見つけたら、私がきちんと渡します。見つからなかったら、おまわりさんに私が責任持って渡しておくからね」
 男の子は満足そうに出て行こうとした。
 「ちょっと待って」
 たしかポケットの中に…あった。私の好きなみかん味ののど飴。
 「これどうぞ。車に気をつけてね」
 「ありがとうございます」
 男の子はにこにこしながら店を後にした。

 男の子が置いていった10円玉を見ると、「昭和49年」と刻まれている。

「あ、私が生まれた年…ふふ。古い」
 絶対そんなわけはないのだけれど、あの時の10円玉がまわりまわって私のところに帰ってきてくれた気がした。
 10円玉はくすんで真っ黒なのに、ピカピカ光って何か言いたそうにしている。
 「誰かのためにいつもお疲れさま」 

 私は、「わたしの落としもの」を見つけたかもしれない。

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