06_子どもから大人へ

赤ちゃんの探索の世界はどのように変化していくのか[理論編③]

こんにちは、臼井隆志(@TakashiUSUI)です。普段は0~2歳の赤ちゃん+保護者向けワークショップの開発とファシリテーションをしています。ここでは「子どもの探索活動」をキーワードに子どもの認知・発達・振る舞いについてのリサーチ過程を公開していきます。

前回の記事では、いざ赤ちゃんと対面したときの心構えについて書きました。赤ちゃんにとって母でも父でもなく慣れ親しんだ祖父母やシッターでもない「ヨソ者」が、どうやったら「一緒に遊んで楽しい人」に変わっていくのか。その過程を描いてみました。赤ちゃんのリサーチにぜひ役立てていただきたいと思っています。

今回の記事では、赤ちゃんと大人のコミュニケーションについて考えていきます。赤ちゃん向けのサービスをつくるとき、つい「何かを達成できるようにすること」に目が行きがちです。したがって赤ちゃんの動作や認知能力の発達に合わせてプロダクトやアプリがつくられます。

それ自体は正しいことだと思うのですが、赤ちゃんが何かを学んでいくうえで周囲の大人がどう関わるべきかという点が欠落しがちです。赤ちゃんとプロダクトの二項関係ではなく、赤ちゃんと大人とプロダクトの三項関係を前提に、赤ちゃんの経験をデザインすることが重要です。

参考文献

今回参照したのは『意味から言葉へ 物語の生まれるまえに』(浜田寿美男著,ミネルヴァ書房)です。1995年の書籍ですが、ぼくが学生だった2008年頃に大学の図書館でみつけて、夢中になってなんども読み返したぼくの生涯ベスト書籍の一つです。

この本は、赤ちゃんが生まれ落ちてから言葉を獲得するまでの過程を、環境世界との対話をとおして解き明かしていきます。手のひらを触ると握りかえすような「反射」は〈モノ〉を、不快なことがあったときに泣くというような「情動表現」が〈ひと〉を予定しているという考え方には、今なお目を覚まされるものがあります。「人は意味で編まれた物語のなかに生まれ落ちる」という浜田さんの思想を知ることができる本でもあります。

〈赤ちゃん〉〈大人〉〈モノ〉の三項関係

では〈赤ちゃん〉〈大人〉〈モノ〉の三項関係とはどのようにあるのかをひもといていきます。

まず、〈モノ〉との関係の前に〈赤ちゃん〉と〈大人〉の二項関係。「目が合う」という状態から始まります。当たり前ですが、目が合うというのは「眼球を見る」ということではなく、目と目が合い、お互いを一人の人/主体として認識し合うことをいいます。

私たちは生まれてすぐから、親にミルクを与えられたり、オムツを替えてもらったり、一緒に遊んでもらったりして成長していきます。赤ちゃんはそうして慣れ親しんだ人に対して、目を見て微笑んだり、嬉しそうな声をかけたりします。

一方、生後半年過ぎころから表れる「人見知り」は、見ず知らずの他者に対して身構え、ときに身体を「こわばらせる」ことを言います。身構えられたときにどうすべきかは前回の記事でも書きましたが、「目を合わせること」はそのこわばりをほぐす第一歩になります。

以下に書くような「同じものを見る」「眼差しと思いを重ねる」というプロセスを積み重ねていくことで、次第にこわばりがとれ、相手がどんな人かが見えてくるようです。

同じものを見る

次に、大人の目線を追うことができるようになると、ひとつのものを「一緒に見る」ということが可能になります。

これは喩えですが、間に壁があったとしても成立する状態でもあります。でもそれは「同時に見ている」に過ぎず、お互いに相手がそれを見てどう感じたかがわかっていない状態です。

では「一緒に見ている」が成立するためには何が必要なのでしょうか。

眼差しを重ねる(大人→子ども)

それは「眼差しと思いを重ねる」ということです。まずは大人が「子どもの眼差し」に視線と思いを重ねて対象を見ます。以前書いた「Baby View」です。赤ちゃんにとってこうした大人の共感的な関わりは非常に重要であると考えます。

例えば、クマのぬいぐるみを生き物らしく扱わず、耳をかじったり振り回したりしていたとします。しかし赤ちゃんがモノに対してその様な反応をするのはごく普通のことです。ピアジェの発達段階説でいう「第二次循環反応」です。

こうした行為に対して大人が「こらやめなさい」「クマをそんな風に扱わないでよ」というような態度を示すのではなく「面白そうだね」「耳の感触が気に入ったのかな?」など共感的な関わりが重要です。赤ちゃんが「この人はわたしの感覚をわかってくれるタイプのひとなのか」というような気持ちを抱くことで、その大人が「理解不能な人」ではなく「共感可能な人」に変わるのだと思います。

眼差しを重ねる(大人←子ども)

こうして「共感可能な人」として現れた大人に対して、子どもは次第に興味を持ち始めます。ぼくもワークショップをしていて、初めは人見知りをされたけど、その子の興味に共感的に関わり続けることで「ん!」と言ってモノを渡してくれたり、「へへ〜!」と微笑みかけてくれる様になったりした経験があります。

Baby Viewを重ねていくうちに「この人、なんか面白いな」と思ってくれるのか、大人がやっている行為を真似しようと思い始めるようです。そうして形成されるのが、子どもが大人の視線を追い、眼差しと思いを重ねた「Grown-up View」とでも言ったらよいでしょうか。

そうしてクマのぬいぐるみをかじったりふりまわしたりしていたのが、次第に撫でたりハグしたりして生き物として扱いはじめます。はじめは関わる大人の行為を表面的になぞることから始まりますが、少しずつ、その「その人の世界の見方」を自分の中に組み込んでいきます。

人から人へ、意味が伝わるということ

このことを『意味から言葉へ』では以下のように表現しています。

ある〈ひと〉が〈もの〉ないし〈こと〉に向けて行っているふるまいや表現に、もう一人の〈ひと〉が己の身を重ね、その重なりのうえで自分の中に新たな意味世界を組み込んでいくというのは、とりわけ人間にとって大事な過程なのです。

例えば、「猫」を可愛がるAさんがいたとして、Aさんの猫に向けたふるまいや表現、あるいは思想に対して、Bさんが猫を飼い始め、Aさんのことを頭の片隅におきながら猫との生活を始める。こうしてAさんの猫への愛は、Bさんのそれへと写っていきます。

これは単に行為の模倣や意味の理解の話だけではなく、言語の発生、あるいは文化の継承にも通づる、普遍的な人と人との関係性の構図だと思います。よく「背中を見て育つ」と言いますが、正確には背中ではなく、その人の「ものごとに向かうふるまい・姿勢・眼差し」を見て、自分に写しながら育っていくということなのでしょう。(好きな人の癖が映る、みたいな話もこれに近い気がしています。余談ですが。)

まとめ

子どもの一人遊びを促そうとする玩具やアプリをよく見かけます。「手が離れて楽〜」というパパ・ママの共感の声が聞こえてきます。もちろん、親がつきっきりで子どもを見なければならない負担は想像を絶します。しかし、デザインする側が最初からそこに迎合していては「共感的な関わり」をないがしろにすることにもなりかねません。

子ども向けのサービスのなかに子どもたちが周囲の人間を通して意味世界を形成していくメカニズムを組み込むこと。とりわけ同じものを大人と子どもが使うターンテイキングや時間軸を設計すること。これはわれわれ赤ちゃん向けサービスの作り手の最も重要な課題の一つであると日々感じています。

そんな自戒を書いたところで、この辺りで今回はおしまいにします!次回はこのマガジンのタイトルでもある「赤ちゃんの探索」について、一体それってなんなの?というようなことを書こうと思います。

赤ちゃんの探索環境デザイン 目次

1. 赤ちゃんは遊びのなかで何を楽しんでいるのか[観察編]
2. 赤ちゃんは遊びのなかで何を楽しんでいるのか[理論編①]
3. 赤ちゃんの探索の世界はどのように変化していくのか[理論編②]
4. 赤ちゃんと関わるときのマインドセット①
5. 赤ちゃんと関わるときのマインドセット②
6. 赤ちゃんの探索の世界はどのように変化していくのか[理論編③]
7. 赤ちゃんの好奇心・不安・葛藤・勇気
8. なぜ「五感を使うのが大事」と言われるのか[理論編④]
9. 赤ちゃんは全身をどうやって使っているのか[理論編⑤]
10. 赤ちゃんの探索と触覚の科学
11. 「いないいないばあ」はなぜ面白いのか
12. 探索環境デザイン[実践編]

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