見出し画像

発酵から考えるアートワークショップ ー「チェルフィッチュと一緒に半透明になってみよう」について

最近、「発酵」という概念が気になっています。ぼくたちが何かを新しいことを学習し、創作することは、発酵に喩えることができるのではないかと考えているからです。

発酵のプロセスは、菌が働くことによって生まれます。

米に麹菌がつき、暖かい空間と水分が与えられると、麹菌が米を糖に分解する。その分解の過程でさまざまな栄養素が生まれる。また、分解された糖に乳酸菌など別の菌が吸い寄せられる。芳香がただよい、誘われる。

たとえば、アーティストがワークショップをするとき、彼らのインストラクションは、まさにこの「菌」として働きます。

ワークが進むにつれて参加者の活動が温まっていくなかで、この「菌」としてのインストラクションの働きによって、ぼくたちの日常的な規範が分解され、さまざまな知覚的発見が起こっていきます。

画像1

このふつふつと沸き起こる知覚的な発見が、自分たちの日常に向けるまなざしを体の内側から変えてしまう。そのような変化が香しいムードを漂わせ、ワークショップの外側にいる人をそれとなく、暗黙のうちに巻き込んでいく。

アートのワークショップは、発酵のように参加者のなかにあらたな知覚をふつふつと沸き立たせ、香しい匂いを周囲に漂わせるような働きを持っていると考えています。

このアイデアは、「チェルフィッチュと一緒に半透明になってみよう」というワークショップを通じて、新しく更新されていきました。

チェルフィッチュ/半透明とは?

1997年に旗揚げされた劇団「チェルフィッチュ」は、その独特な口語体のセリフと、情景を直接描写しない抽象的な身体の動きのズレから、観客の想像力のなかに情景を生み出していく手法で話題を呼び、多くの作品を生み出しています。

最新作「消しゴム山」(2019)では、人間ではなく物と演劇をすることを標榜し、美術家の金氏徹平さんとともに、物と身体をコラージュするような身振りのなかで新たな作品を展開してきました。この、物と身体のコラージュのような活動を、チェルフィッチュでは「半透明」と呼ばれています。

2019年夏に、この「半透明」という方法をめぐって、子どもからインスピレーションを得ることを目的にワークショップが行われました。その時のレポートはこちらに書いています。

そして2020年のコロナ禍においては、ZOOMを使って部屋にあるものを用いた「半透明」のパフォーマンスを繰り広げる「消しゴム畑」という作品が展開されました。

2年以上かけて「半透明」の知識が構築されていくなかで、また新たに子どもたちとこの知識を共有し、更新することを目指して、「チェルフィッチュと一緒に半透明になってみよう」はふたたび、こんどはオンラインで行われました。

ぼくはこの企画に、パフォーミングアーツプロデューサーの中村茜さんらと共にたちあげた「コネリングスタディ」のメンバーとして参画しています。

このワークショップの特殊性は、参加年齢を「8歳から」とし、とくに午後の部は上限を設けなかったことにあります。子どもとチェルフィッチュだけで知識をシェアするのではなく、一般の大人もそこに参加し、子どもとともに学び、つくる状況が面白いのではないかと考えました。

「チェルフィッチュと一緒に半透明になってみよう」とはどのようなワークショップか

前置きが長くなってしまいましたが、このような経緯で企画されたワークショップは、当日、ぼくにとって非常に印象深いものになりました。

端的に言えば「参加者と俳優とともに、10分間のパフォーマンス映像をZOOM上でつくる。そのパフォーマンスのなかで、部屋にある物をつかって、自分の身体と物をコラージュ(半透明化)する」ということを活動の目標としたワークショップです。

最初は、部屋の中にある「丸いもの」「四角いもの」「穴の空いたもの」を持ち寄って、参加者同士で紹介しあいます。

その後、チェルフィッチュの俳優たちが「半透明化」のサンプルとして、持ち寄った物になってみようとします。そのとき、参加者に「どうすればもっと物になれるか?」を問いかけ、考えてもらいます。

そこからグループに分かれ、それぞれに持ち寄った物と身体をコラージュするように、さまざまな方法を検討します。そのとき、他の人がやっている方法を真似したり、参考にしたりすることで、画面上で似た形をつくることが推奨されます。

画像2

グループワークが終わった後、10分間の作品を撮影します。最初にパフォーマンスし始める人を決め、その後は即興で。最後は、自分にとって良いと思うポーズを決めて、終了の時間を待つ。こうして一つの作品をつくります。

ワークが終わった後は、参加者同士でコメントをつけながら映像をみてみます。画面上で、参加者同士がどのように触発しあい、コラボレーションしていたのかが語られます。

アーティストとファシリテーターによる共同制作

このようなワークショップを、午前と午後で二回行いました。

メインファシリテーターは俳優の米川幸リオンさんです。昨年10月にコネリングスタディ 主催で行われた「虚体験ファシリテーションスクール」にご参加いただき、ファシリテーションについての知識を深めてからの今回、素晴らしい進行をしてくださいました。

今回のワークショップに向けて、打ち合わせは3回行われました。初回では、大まかな目的とプログラムの流れについてアイデアを出します。次のミーティングまでにその情報をぼくのほうで整理し、スプレッドシートを使ってタイムテーブルとして設計します。

2回目のミーティングでは、それをたたき台にさらにアイデア出しをし、ワークショップで語られるセリフをリオンさんに書いていただきます。

3回目のミーティングでは、ワークショップの流れと説明のセリフを他の俳優のみなさんに紹介し、当日の流れを確認していきました。そのようにして、戯曲を共同制作するように準備をしてきました。

曖昧なビジョンからはじまる発想の発酵

そうして迎えられた本番では、12人ほどの方が参加してくださいました。

リオンさんがファシリテーションをするときの言葉を聴いていると、参加している人のあたまのなかに何か抽象的な絵を描くように、言葉が使われていると感じます。子どもから大人まで、それぞれにイメージを描きながら、ワークに参加している感じがありました。

ここで思い描かれた曖昧なビジョンが、徐々に、物とのコラージュに育っていく。最初の発酵の例で言えば、菌が米についたところです。

その後の演習プロセスで、参加者の温度を徐々に温めていきます。俳優によるサンプルパフォーマンスがあり、それがどのように見えるかをヒアリングする。だんだんと参加者にも、物と身体をコラージュしてみてもらう。こんなふうにして、空気が温まっていきます。菌が死んでしまわないように、適温で温められていくのがいい感じです。

画像3

最初に思い描かれた曖昧なビジョンは、体を動かし、物と関わってみて、他者のパフォーマンスをみることで、さまざまな発想へと広がっていくのがわかりました。様々な菌が働き始め、ぷつぷつと発酵しているようです。

こうして作られたパフォーマンスは、非常に面白い、物と身体による画面上のセッションとなっていました。

2歳児にも感染る「半透明」の身振り

ひとつ、個人的に興味深かったことは、2歳の娘の反応でした。午後のワークショップで部屋に入ってきた娘が、ぼくが椅子の上に立ったり、バランスボールを抱えてフリスビーをあたまにかぶったりしている様子をみて、徐々にそのパフォーマンスの中に入ってきたことです。

画像4

画面の向こうでは、大人や子どもも物とパフォーマンスをしています。参加してくれた9歳ぐらいの子と、その弟の5歳ぐらいの子もいました。そうした存在が発する芳香に誘われ、その雰囲気に少し酔ったかのように、娘もなにかしらの試行錯誤をはじめているように見えました。

最後のパフォーマンスタイムでは、何か独特な集中力を発揮し、2歳の娘のその体が「半透明」のモードになっているように感じられたのです。そのせいか、普段は寝ない夕方の時間に、牛乳を飲みながらばたりと寝てしまいました。何か独特な刺激と疲労があったようです。

多様な年齢が参加することで触発し合う場

ここからは、ぼくの不確定な仮説です。2歳の娘のモードの変化には、おそらく多様な年齢の人が画面の向こうにいたことが影響していると考えています。

先ほども書いた通り、このワークショップは8歳から大人までが参加できる稀有なワークショップでした。

とりわけ、小学校3~4年生の子どもの存在が重要でした。ZOOM上で言葉をかわすことができ、それでいて子どもとしての遊びたいモチベーションにあふれている。

かれらが下の年齢の子どもたちの手本となって牽引していくと同時に、俳優を含む大人たちのモードを遊びのモードに誘っていったのです。その遊びのモードになっているぼくを見て、娘も何かそのモードに身体を変化させていったのではないでしょうか。

はじめこそ大人がサンプルを例示するも、その後子どもたちがズラし、展開させていく「半透明」の概念に大人が学び、触発されていく様子が見られました。子ども同士の、言葉によらないインスピレーションの交換も活発に起こっていたと考えられます。

結果として、2歳の娘も周辺的に参加していたことを鑑みると、チェルフィッチュの目指す「半透明」という概念が、子どもの遊びのなかに本質的に内在しているものと呼応しているのだと、ぼくは思っています。

「菌」の付着、規範の解体、発酵

人々の身体に、新しい概念が「菌」のように付着すること。その「菌」は、身体がもつ遊び性と呼応し合う可能性をもっているものであること。

頭のなかにイメージを描くような言葉で、このような「菌」の付着が促される。そのようにして付着した身体を動かしながら温めることで、「菌」が日常の規範を分解し、触発をうながし、参加者同士が高速で発酵するように新しい知を構築していく。

ぼくにとって、今回のワークショップは、人間の創造性が、発酵のようにして行われるというイメージを新たに手応えを持って感じられるものでした。それは科学的・論理的に検証されたものではないので、あくまでぼくのイメージでしかありません。ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」や、岡田猛先生らによる「触発」の概念とも呼応しあうものだろうと感じています。

この「発酵」の比喩を通じて、引き続き考えていきます。

---------

最後までお読みいただき、ありがとうございました。有料部分では2021年1月に書いた日記的なメモを共有します。

主な内容は最近考えている、「オンライン上の子どもと大人のプレイグラウンド」についての思考と実験のメモです。

マガジンの購読はこちらから👇

---------

ここから先は

2,264字
マガジンの売り上げは、アートワークショップの企画や、子育てをする保護者やケアワーカーがアートを楽しむための場づくりの活動費(書籍購入、リサーチ費など)に使わせていただきます。

アートの探索

¥500 / 月

このマガジンは、アートエデュケーターの臼井隆志が、子育てのことや仕事の中で気づいたこと、読んだ本や見た展覧会などの感想を徒然なるままに書い…

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、赤ちゃんの発達や子育てについてのリサーチのための費用に使わせていただきます。