学習理論を、「クィア・アイ」から考えてみる
こんにちは。ファシリテーション型コンサルファームのMIMIGURIに所属する臼井隆志と申します。
2022年の年末、MIMIGURIでは毎日noteを更新するアドベントカレンダー企画を実施しています。5日目の前日は、最近ジョインされた二宮さんが、MIMIGURIの「やわらかさ」を伝えるために、誰もが発信できる言い訳を作るという記事を執筆されています。
6日目はぼく臼井の担当です。MIMIGURIのメンバーが6つのキーワードをテーマに連日記事を書いています。
ぼくのテーマは④「学習」です。NETFLIXのリアリティショー『クィア・アイ』を参考にして、「人々が学ぶとはどういうことか」を考える記事を書きたいと思います。
🙋♂️どうも、臼井隆志です。
MIMIGURI入社前
まず、ぼく自身の自己紹介をさせてください。
キャリアのはじめは、子どもとアーティストをつなぐコーディネートの仕事をしていました。児童館という福祉施設を舞台に演劇、美術、ファッションなどのアートプロジェクトを手がけてきました。
その後、伊勢丹のアートやデザインの考え方を取り入れた教育事業の立ち上げとファシリテーター育成に数年間関わりました。いわば、こてこてのアート教育畑で育ってきた人間です。
MIMIGURI入社後
そんなぼくが、これまでの活動を通じて組織の課題に関心をもち、MIMIGURIの前身であるMimicry Designにジョインしたのは2019年のことでした。
Mimicry Design⇨MIMIGURIでは、アート教育で学んだワークショップデザイン、ファシリテーションの方法論を応用しながら、組織開発や教材開発のプロジェクトに参加しています。
主な活動としては、N高等学校の教材開発、エンゲージメントサーベイツール「Wevox」の学習プログラムのアドバイザー、その他、理念開発や浸透プロジェクトのファシリテーターなどを担ってきました。
社内では、ミドルマネジメントの役割も担っており、ファシリテーション部門のキャリア開発支援や全社会議のプランニングなども担当しています。
🍳つくる活動を通じた「人の変容」に関心がある
大学を卒業してから10数年、さまざまなキャリアを歩んでいますが、一貫して、「ワークショップ」というモノのあり方と、「人の変容」という出来事に関心を持ってきました。
ぼく自身、情けない話ですが、仕事のうえで路頭に迷い、人との約束を守れなくなったこともありました。今でも、繰り返し頭をさげて謝りたくなる人の顔が浮かびます。そんなダメな部分をいまだに変えられていなくて、「こういうとこダメなんだよな自分…」とくよくよすることもしばしばです。
しかし、人付き合いがうまくなかったぼくのポテンシャルを信じ、「こんなワークショップつくってみてよ」と声をかけ、人との関わり方を叱咤しながら教えてくれた人たちがいました。そうして「ワークショップ」というモノをつくる活動を通して、他者と共に関係を築きながら、変容できた自分がいることも確かです。
そんな経験から、学ぶということは、知識や技を身につけることにとどまらず、「社会に参加し、何かをつくる活動を通じて、自分と周囲が変わるプロセスに身をおくこと」だと考えています。
🏫学習環境デザイン論
こうした学びの考え方に至った背景には、いくつかの「学び」に関する研究・理論を読みかじったことが影響しています。そのなかで、ぼくが頻繁に参照しているのが「学習環境デザイン論」という考え方です。
この考え方は、東京大学の山内裕平先生の著書『学習環境のイノベーション』にくわしく描かれています。
ここでは簡単に紹介するにとどめますが、「空間」「人工物」「活動」「共同体」の4つの側面を対象に展開される理論です。
たとえば、ぼくの場合であれば、ワークショップという「空間」と、そこで用いられるツールやプログラムなどの「人工物」をつくる「活動」を通じて、プロジェクトチームや参加者の「共同体」を生み出してきたと言えます。
学習環境デザイン論は、たんに物理的な環境をつくるだけでなく、空間と人工物をつくる活動を通じて、共同体と自分自身を変容させていく動的なデザイン論だと、ぼくは捉えています。
🌈だから『クィア・アイ』に感動してしまう
物理的な環境をつくりながら、共同体と自分自身を変容させていく。そんな学びの理論に影響をうけながら、ぼくはこれまでのキャリアを歩んできました。自分自身の変容を願いつつ、他者の変容に出会うことが仕事のやりがいです。
そんな人々の変容の物語を、何話にもわたって見せつけてくるリアリティショーがあります。それが『クィア・アイ』です。
この『クィア・アイ』、ぼくはすっかりハマってしまって3年経つのですが、『学習環境デザイン』という考え方を理解するときの、うってつけの教材です。あくまでリアリティ「ショー」であることを念頭におきながらも、「学び」という営みをシンプルかつ真っ直ぐ伝えてくる稀有な番組です。
🕺クィア・アイとは?
『クィア・アイ』は、Netflixで製作され、2018年から配信されているリアリティ番組シリーズです。ゲイとノンバイナリーからなる5人組「ファブ・ファイブ」が、相談者からの依頼を受け、クライアントの外見と、内面の変容をサポートしていく番組です。
ファブ・ファイブのメンバーは・・・
インテリアデザイン担当のボビー
フード担当のアントニ
ファッション担当のタン
美容担当のジョナサン
そしてカルチャー担当のカラモ。
この5人です。
中心の活動は、クライアントの葛藤を乗り越えること
このなかで、一見何をするかわからない「カルチャー担当」のカラモは、ファブ・ファイブのなかで最も重要な役割を担っています。
クライアントの内面の葛藤を聞き、その葛藤の対象となる相手との関係をあたらに作り替える支援をします。この番組の中心となる活動です。
たとえば、ぼくが最近見てやっぱり泣いてしまった最新第6シリーズの第2話を事例に紹介しましょう。
🏋️♀️シーズン6第2話
クライアントはエンジェル、22歳
重量挙げの選手でありコーチである彼女の恋人が相談者でした。性転換した女性であるエンジェルは、性転換した事実を受け入れられない父親と、関係を修復したいと願っていました。
写真の一番右の人物がエンジェルです。
エンジェルは、父親の影響を受けて、強い男の子になるよう育てられ、サッカーをはじめとするさまざまなスポーツに嗜み、重量挙げの選手として筋肉隆々の体をつくりあげました。そこにはもちろん父への尊敬があったといいます。
身体の性に自分の心があわず、女性として生きる道を選んだとき、ちゃんと笑えるようになった。しかし、父との間に溝が生まれてしまった。そんなエンジェルと父親のあいだを取り持つ役割を担当すると決意したのがカラモでした。
エンジェルの変容
女性でいられることを「心地よく思えるように」と、ジョナサンがヘアスタイルを変え、タンとともに服装を選んでいきます。
フィリピンにルーツをもつエンジェルの母がよくつくった揚げ春巻きをつくって、パーティをしようとアントニが提案します。
ボビーは恋人とエンジェルの3人で新しいインテリアを選びにいきます。恋人のカティアは、エンジェルの外見の変容を喜びます。そんな二人と家具を選びながら、ボビーは「好きなものを見つけたね。君は良いテイストをもっているよ」と伝えます。
父親との和解
こうしてエンジェルは、ファブ・ファイブとの関わりのなかで、自分を変え、周囲の喜びを生み出していきます。そしていよいよ、カラモのエスコートのもと、父親との再会し対話する覚悟を決めます。同時にカラモは、父親とも相談し、彼女との対面を促します。
再会を果たした瞬間に起こったことは、ぜひご覧になっていただきたいので割愛しますが、ぼくはキッチンで朝食をつくりながら流し見していましたが、野菜を炒めながら泣いてました。感情移入の対象は、完全にエンジェルのお父さんでした。思い出しただけで込み上げてきちゃう系のやつ。
こんなふうに、クライアントの葛藤に寄り添いながら、ファッションやフード、インテリア、そして対話を通じて、クライアント自身と周囲の関係性を変容させていく物語を生み出しているのが『クィア・アイ』です。
🎨クィア・アイから考える「学習環境デザイン」
学習環境デザインにファブ・ファイブを当てはめてみる
長らく番組紹介に紙面を使ってしまいましたが、そう、この番組の内容が、ぴったりと「学習環境デザイン」に当てはまるとぼくは考えています。
繰り返しますが、学習環境デザイン論は、物理的環境としての「空間」「人工物」と、社会的環境としての「活動」「共同体」という4つの側面から学習環境のデザインを考える理論です。
その本質は、たんに物理環境をドライにデザインするだけでなく、そこに集う共同体や人の変容を描く、動的で感情を伴う点にあるとぼくは考えています。
そして、それぞれの要素は、クィア・アイの要素およびファブ・ファイブの役割に以下のように当てはめられるでしょう。
主にカラモが担う「活動」に関しては上述したので、ここでは「人工物」と「空間」の要素に触れつつ、最も重要なポイントとしてクィア・アイにおける「共同体」のとらえかたに重点を置いて書きたいと思います。
「学習を媒介する人工物」としてのファッション
理論の中で、「人工物」は「学習を媒介するもの」と位置付けられています。というとちょっとややこしいですが、ファッションを例に考えてみましょう。
自分が選ぶはずもないと思っていた服を他の人に選んでもらって、それが思いのほか似合っていると知って新しい自分に出会ったような気分になったことはありませんか?
このとき、服を媒介しなければ、そのような新しい自分との出会いはあり得なかったはずです。まさに「服」という「人工物」が媒介となって、あなたに学習をもたらしているのです。
服だけでなく、髪型や肌をケアすること、そして自分が美味しいと感じる料理を知ることもまた、「人工物」をあつかうことで媒介される自身の変容であると言えます。
学習を促進しつづける「空間」としてのインテリア
共同体と活動、そして人工物を選び、つくり、使いつづける人を支援する役割を担うのが「空間」です。(クィア・アイでは、ぶっちゃけ、これいくらかかってんの…と目を疑うほどのリフォームをすることもありますが、金額などは不明です)
この空間と人工物が物理的環境として残ることがクィア・アイの面白いところです。最後のパーティーのシーンでは、ファブ・ファイブはもうそこにはいません。モニター越しに、変容を遂げたクライアントが、共同体のなかで新しい自分を紹介するシーンを眺めるのです。そしてファブ・ファイブとともにつくったインテリアや服などの空間と人工物は、そこに残り、使われ続けることになります。
🛩クィア・アイにおける「共同体」の特異点
さて、ビジュアルな見どころはもちろんファッションとインテリアの変貌なのですが、学習環境デザイン論の観点から考えると、クィア・アイは「共同体」の領域で、なかなか面白いことをしています。いよいよ本題です。
学習環境デザイン論における「共同体」
学習環境デザイン論における「共同体」は、たとえば大学のゼミや部活動のようなものを想定しています。
ゼミや部活のなかで、はじめは初心者だったのが、共同体のなかまとともに活動に参加するうちに、学年が上がり、徐々に中心的な役割を担うようになっていく。このようにして、共同体のなかで個人の役割が変わっていくことで、学びが進んでいきます。
「共同体」は関係性が固着化しがち
しかし、このような共同体の内側だけで発達を遂げていくのはなかなか難しい場合もあります。
たとえば、家族という共同体を考えてみます。父親と母親、子ども、といった役割はむしろ固定化されてしまいがちです。親同士、親と子どもが対話をして、お互いの役割を省み、振る舞い方を変えていくような学びの共同体であれば話は別ですが、そのような家族は非常にめずらしいでしょう。
クィア・アイでは、こうした関係性が固着化したような共同体のなかにクライアントがいる状況が多いのです。
たとえば、先にあげたエンジェルは、性転換をきっかけに父親と疎遠になってしまい、お互いに顔を合わせることをおそれ、対話ができなくなってしまっています。
こうした共同体を揺さぶり、変化を巻き起こす存在が、ファブ・ファイブなのです。
クィア・アイにおける2つの「共同体」
通常、学習環境デザイン論においては、「共同体」を一つのものとしてとらえます。しかし、クィア・アイには、実は2つの共同体が登場します。(適当な図解を入れます)
1つは、クライアントを取り巻く家族・友人たちの共同体です。このなかで認識や関係性が固着化してしまい、互いに敬遠しあったり、自らを省みることをおそれたり、対話が機能不全になったりしている状況があります。
関係性が固定化している共同体にファブファイブが参加していき、クライアントのことを知りながら、揺さぶりを起こしていくのです。
そしてもう1つ登場する共同体は、まさにこの「ファブ・ファイブ」です。自らを愛し、ケアし、生きている全ての人を美しいものと捉える価値観の共同体です。
クライアントは、ジョナサンに髪の毛を切ってもらいながらジョナサンの考えや経験を聞いたり、タンが選ぶ服を身につけてみて新しい自分を発見ながら、服選びのフィロソフィーを学んだりして、ファブ・ファイブという人の喜びを喜ぶ共同体に参加していきます。
その変容を自分の共同体に持ち帰っていく。その時には、ファブ・ファイブは離れていく。最後、クライアントがそのホームとなる共同体のなかで開くパーティには、ファブ・ファイブの姿はないのです。
相互に越境し、相互に参加する異なる共同体
このように、ファブ・ファイブはクライアントの共同体に参加し、クライアントはファブ・ファイブという共同体に参加するという、相互に参加し合う関係性が作られています。
学習理論でいえば「越境学習」という考え方に近いかもしれません。越境学習は個人が「ホーム」から「アウェイ」へと越境し、そこで得た技術や思想を持ち帰ってくる考え方です。
しかし、越境学習では、ホームとアウェイが相互に入れ替わる形は描かれていません。いや、描かれているのかもしれませんが、ぼくはそのような論考に出会えていません。
クィア・アイが提示しているのは、「相互越境学習」とでもいうべき相互参加の学習の方法であり、異なる共同体が越境し合うことで生み出される学習のあり方を提示していると言えます。
相互越境学習(もしくは正統的相互周辺参加)という概念が、今後研究されるとしたら、その時はまたクィア・アイを参照したいと思います。
🤝組織ファシリテーションとつなげてみる
最後に発見された「相互に参加し合う異なる二つの共同体が、学習を生み出す」というプロセスは、ぼくが普段仕事で行っている組織開発のファシリテーションにも近しいものがあります。
ぼくたちはクライアントの企業組織のなかに入り込み、インタビューやリサーチを通じて組織課題をさぐりあて、対話の場やワークショップを通じて課題の解消をはかっていきます。
そのときに、ぼくらは「創造性の土壌を耕す」という理念にもとづき、組織の創造性を賦活化する理論的基盤を大切にしています。この理論背景を説明することなくワークショップだけやったとしても効果が薄く、丁寧にこの理論の世界を説明したり、体感してもらう時間をつくることで、対話的な組織文化の開発につながっていくのです。
自分達がやっていることと、ファブ・ファイブが似ているというとさすがにおこがましいのですが、明確にロールモデルのひとつだなと思います。クライアントの文化に介入するだけでなく、クライアントがファブ・ファイブの文化に参加することで学習を生み出していた。
ロジカルコンサルタントとして外から課題を指摘し、解決策を示すだけでもなく、ワークショップやファシリテーションを淡々と行うだけでもない。ファブ・ファイブとクライアントの関係のように、自分達の理念を開示し、その理念に参加してもらう時間をもち、相互に越境学習し合うような関係性をつくれたとき、クライアントワークがうまくいっている気がするのです。
さて、まとまりがなくなってきました。次回がもしあるとすれば、そのときはまたクィア・アイと学習理論をつなぎあわせて何かまた書きたいと思います。
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