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書評:三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室:初級編』

「主人公は本当に○○できるのか?」とハラハラしながら映画を見るような体験を設計するには、書き手自身が殻を破って物語を書き、点をつなぐ「中心軌道」を描くことが必要です。

ワークショップや大事なプレゼンのとき、ぼくは必ず台本を書きます。ヒントになれば、と思って手にとった本がこちらです。

3年以上前に出版され話題になった本で、続編も出ています。UXなど時間軸に沿って他者の体験をデザインする仕事をしている方は、読んでおいて損のない本だと思います。

書き手が「殻を破る瞬間」

まず面白かったのは「書き手が殻を破らなければ、面白い脚本は生まれない」ということ。

本の中で「窓辺系」の脚本を書く人たちのことが紹介されます。「窓辺系」の脚本とは、「窓辺にたたずんで外の景色を眺めていたら、辛い事もあるけれどなんとなく前向きな気持ちになった」というようなストーリーのものです。

この「窓辺系」の特徴は、主人公が窮地に追い込まれることもなければ、内面の葛藤と闘うこともないということ。特に何かをしたわけでもないのに「よし」といって、玄関から出たり、ビルを見上げたりするシーンで終わってしまいます。

しかし、こうした脚本を書く人は才能がないのではなく、自分で自分を「殻」に閉じ込め、主人公の葛藤を描くことを避ける傾向にあると三宅さんはいいます。

本の中では、ジャーナリストの仕事を長くしてきてリタイアした女性が脚本を習いに来て、最終課題の自由創作につまづいたというエピソードがありました。ジャーナリスト特有の「客観的に解釈を排除して事実を書くべき」という「殻」にとらわれ、登場人物の感情を描くことができなくなっていたそうです。

そこで三宅さんがカウンセリングをし、家庭の事や近所の住人たちのことを雑談しながら傾聴していくと「ジャーナリスト」という殻を少しずつ破り、感情を持って生き生きとした会話が生まれていった。その会話にプロットとジャンルを与え、書いてみてください、と提案したところ、とてもいい脚本に仕上がったそうです。

書き手の感情が動くこと

三宅さんは、脚本を良質なものに仕上げるためには、「書き手の感情が動く」ということが重要であるといいます。

「感動」というと、泣けるとか嬉しいとか「歓びの感覚」として捉えられることが多いですが、それだけとは限りません。恐ろしいものをみて恐怖する(感情が動く)のも「感動」ですし、許せないことに出くわして憤る(感情が動く)のも「感動」です。
ひとは感情が動くことで「自分が何者か」を初めて認識します。そして、感情はあなたが世界や他者に対してどのような眼差しを抱いているかを教えてくれます。

脚本を書こうとして行き詰まっている「窓辺系」の人たちの過去の葛藤や面白かった話など「感情が動いた」経験について傾聴し、リフレーミングしていくことで、書き手に「殻を破る瞬間」が訪れ、途端に脚本が生き生きしてくるといいます。

編集やファシリテーションにも役立つ視点です。

中心軌道/セントラルクエスチョンという考え方

書き手のメンタルの他に、技術的な話として面白かったのは「中心軌道」という考え方です。

「中心軌道」とは「脚本をつらぬく葛藤の流れ」のことです。良い脚本には、1つ1つのエピソードが「点」に見えても、明確に方向を持って進む「線」があります。

良質で明確な脚本を書くには「事物の関連性」を見出し、それらを「結んでゆく感覚」と、結ばれた「線」を「時間軸に沿って前進させてゆく(軌道にする」意識が必要です。

「中心軌道」をうまく描くには、脚本の「セントラルクエスチョン」を明確に定義する必要がありそうです。

「セントラルクエスチョン」とは、定期的に観客の心理に浮かび上がる中心的な疑問のことです。「主人公はヒロインに本当に愛の告白ができるのか?」「主人公は未来から来た殺人マシンを本当に倒す事ができるのか?」といった、鑑賞中に維持される観客の関心事です。

導入で「セントラルクエスチョン」を定義し、主人公をゆるがす「敵対者」やサポートする「協力者」が現れ、クライマックスで果たして主人公は目的を達成することができるのか!?ということが描かれる。

映画『ロッキー』

たとえば、いわずとしれたボクシング映画の金字塔『ロッキー』のあらすじから考えてみます。

① ロッキーというボクサーが暮している
② 生活費のために借金の取り立て役をして暮らしをしている
③ 近所のペットショップで働くエイドリアンと恋仲になり、やさぐれた
  なりに安定した日々が訪れる
④ チャンピオンのアポロ・クリードからのオファーで試合が決まり、
  日常の秩序が乱れる
⑤ セコンドに熟練トレーナーのミッキーが、スポンサーに精肉業を営む
  恋人の兄ポーリーが付く
⑥ エイドリアン、ミッキー、ポーリーの存在が、自分は孤独ではないこと
       を気づかせた。「ただのゴロツキじゃないこと」の証明を賭けて、
  リングに上がる
⑦ 傷つくロッキーを見たくないとエイドリアンは試合会場に行かない
⑧ 前半優勢で戦うも、後半に大きな一発をもらい倒れたところで
  エイドリアンが試合会場に駆け込んでくる
⑨ 存在の証明を賭けてロッキーは立ち上がり、アポロに猛攻を仕掛ける
⑩ 試合終了のゴングが鳴り、アポロの判定勝利となる。インタビューで
  マイクを向けられたロッキーはエイドリアンへの愛を叫ぶ

この物語のセントラルクエスチョンは「ロッキーがボクシングを通して自分を受け入れ、新たな人生を歩む事ができるのか」というものだと思います。

③のエイドリアンと恋仲になって、やさぐれたなりに日常が安定していくところでは、「これでいいか、こんな感じの幸せでいいのか」という問いかけが観客のなかに生まれます。そこには確かに幸せがあるものの、自分を卑下し、やさぐれたままの心は回復していない。わだかまりが残っている。

そこにゆさぶりをかけるのが、④のアポロからの挑戦です。そこで窮地に立ったロッキーには、次第に仲間ができていく。

アポロ・クリードとの決戦は物語上の、目に見えるきっかけとゴールです。一方で、目に見えない心の葛藤として「愛する人たちに新しい自分を見せることができるのか?」ということが描かれます。試合に挑むこと(=外的葛藤)と新しい人生を歩むこと(=内的葛藤)を乗り越え、殻を破って挑むというふうに、外的・内的葛藤を重ねた「中心軌道」があるからこそ物語に引き込まれるのでしょう。

ワークショップへの応用

さて、ちょっと長く書きすぎてしまいました。これをぼくの本業であるワークショップに応用することが考えられそうです。

ワークショップは、おおまかに導入・ハンズオン・ラップアップの三部構成で成り立っています。

導入では、今日のテーマは何かを定義します。ハンズオンでは、テーマの探り方を確かめてもらった後に、本題に入ってもらいます。ラップアップでは、テーマに対して一歩深まった参加者の思考を整理したり、言葉で意味づけたりします。

ワークショップも映画同様、主人公(参加者)に葛藤がなければ面白くなりません。しかし、映画と違って葛藤のレベルが深すぎると、参加のハードルも上がり、当然ワークショップの設計のハードルもコストも上がります。必要なときはやりますが、ライトな「ほどよい葛藤」を設計する方がいい場合もあります。

また、ぼく自身がワークショップのテーマに対して切実な問いを持てているのだろうかと問いかけ、「殻を破る」必要があるでしょう。殻を破った内容になっているのか、自分でジャッジしなければなりません

今後、この本を参考に、参加者を主人公として、セントラルクエスチョンや中心軌道を考えながら一度プロットを起こしたうえで、進行台本を書いてみたいなと思いました。

おすすめです。


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