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「乳幼児美術」とは

先日、アーティストやんツー(山口崇洋)さんの『知覚のコラージュ 大人のための乳幼児美術』というワークショップに参加してきました。

赤ちゃん用のおもちゃをつくるワークショップなのかと思いきや「美術とは?」「知覚とは?」「創造性とは?」と問いかける硬派なワークショップでした。その内容に共感したので、数回にわたってレポートします。

やんツーさんの活動

会場は多摩六都科学館。花小金井の駅からバスで少しいったところ。小学校の図工室のような場所が、赤ちゃんを連れた夫婦で賑わいます。いざワークショップが始まると、まず、やんツーさんから30分ほどのレクチャーがあります。

「今日は小さい子どもたちもいますが、みなさんには大人の美術作品を、美術として作っていただきたいと思います。」

やんツーさんから最初に一言。ちょっとした緊張感が会場を覆います。

やんツーさんは、メディア・アート(テクノロジーを使って新しい概念を提案するアート)の世界で国内外で高い評価を得る作家で、「ドローイング・マシン(絵を描く機械)」による作品が有名です。いくつか作品が紹介されます。

SENSELESS DRAWING BOT

自律的に動くドローイングマシンが絵画を生成していく作品。

SEMI-SENSELESS DRAWING MODULES

札幌国際芸術祭で展示された作品。プログラミングされたロボットの先に文房具のカラーペンがとりつけられ、会期中毎日絵画が生成されていく。

こうした作品を作っていく中で「特殊なテクノロジーを使わないとメディアアートは作れないのか?」という問題意識が浮かび、ローテクなものをつかった作品を発表されます。

カーゴ・カルト

扇風機や機械仕掛けのぬいぐるみ、ルンバのような身の回りにあるロボットとペンや油絵の具を組み合わせ、絵画を生成させる作品。宙吊りにされてペンを吊るされた足をバタバタさせるソルジャーのフィギュアやキャンバスの上をのたうちまわるクッキーモンスターには思わず笑ってしまいます。

やんツーさんたちがつくっているのは、「絵を描く機械」であって、絵それ自体ではない。それでいて、目の前でロボットが動き、その動きの痕跡が残っていく、というダイナミズムは、絵画の制作の現場に立ち会う緊張感があります。一体創造って何?アートって?世界の成り立ちって・・・!?ということがわからなくなる作品たちです。

「乳幼児美術」の発明

では、それがなぜそのような制作活動が「乳幼児美術」につながっていくのか。

ある日ツイッターでこんなツイートを見かけて「これは美術作品としてのポテンシャルがあるぞ」と考えられてたそうです。

そのポテンシャルとは、一つは本来の価値や機能が無化している点。(もの派的視点)そして、あらゆる日用品のコラージュである点。(レディメイド的) さらに、「かわいいものを上手につくる」という造形能力は関係なく、「モノを選び、並べる」という現代的な創造性。

マルセル・デュシャン、ロバート・ラウシェンバーグ、日本の「もの派」、大竹伸朗、金氏徹平など、固有名を上げながら、「クリエイティビティとは"選択と編集"である」という話がされていきます。

さらに「乳幼児の知覚のあり方が、アーティストに近い」という話が飛び出します。赤ちゃんは美しく作られた「高級玩具」よりも、ゴミ箱から「ゴミ」を取り出して嬉々として遊ぶことがあります。赤ちゃんたちは「ゴミ」も「高級玩具」も大人が信じている意味に左右されず等価に扱おうとするという特殊なものの見方をしていて、それはアーティストのものの見方に近いのだと言います。

感嘆と納得をもって、このプレゼンを聞き入りました。

センサリーボードを見ていると、たしかに赤ちゃんの物体の探索を「中断」したような感じがあります。時間が止まったようでいて、いまにも動き出しそうな気配に満ちている。そんな感じが、赤ちゃんをまた探索に誘うのでしょうか。

「乳幼児のこの特殊な視点を借りて、知覚的・意味的にコラージュをしていきましょう」

この言葉とともに参加者の制作がスタートします。さて、それはどんな感じだったのか…制作については次回まとめます。

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