MIMIGURI全体会のひみつ
MIMIGURI Advent calendar企画第二弾として、Co-CEOの安斎さんからバトンを受け取った。
今日は「ワークショップ型組織」を標榜する株式会社MIMIGURIが、毎月全社員が集まって行う5時間のロングミーティング「全体会」について、その経験を語ろうと思う。
テーマは「❷葛藤」。
そんなカッコつけた気持ちで、「全体会」のプランニングに参加したいと名乗り出たのが2022年の9月だった。そこから1年間、MIMIGURIの「全体会」のプランニングとファシリテーションをしてきた。
ことの起こり
2021年に株式会社DONGURIと株式会社Mimicry Designは、業務資本提携を結んだ。異なるカルチャーを持つ2社が合併に向けて動き出した最初の年、DONGURI勢とMIIMGURI勢が交流しながら共通のビジョンを目指して協働していける組織・職場をつくるために、毎月1回「全体会」が行われることになった。
その頃ぼくは、第二子の誕生とともに育児休業を取得していたため、最初の全体会には参加できなかった。コーポレート部門を統括する熊本さんが音頭を取って、お楽しみ企画をさまざまにおこなったと聞いている。
その後、Co-CEOのミナベ、安斎が「SECIモデル」「アジャイル」といった概念について熱弁をふるい、各部門のHeadたちが部門のロードマップを語り、それをうけて各チームで対話するという原型ができあがっていった。
しかし、いかんせん情報提供の時間が長い。そんなプログラムについての違和感を、当時ファシリテーターたちが集まったスモールチーム「butai」のなかで語り合い、「全体会のプランニング、おれがやるわ」とかっこつけて挙手をしたのが2022年9月だった。
だがそれは苦悶の始まりだった。
MIMIGURIにも課題があった
全体会のプランニング会議に入って最初に「あ、そっか」と気づいたことは、順調に見えるMIMIGURIにも適応課題が存在するということだった。適応課題とは技術的に解決できない認識や関係性に関する課題のことだが、みんな仲良くて楽しくやってる組織にも、そうか適応課題ってあるのか!とハッとしたのだった。
当時まだ50人ちょっとだった組織だが、ミッションや事業ビジョン、数値目標や組織構造に対する認識のズレは当然のようにある。そんなズレをちょうどいい感じに修繕して、みんながそれぞれの仕方で同じものを見られるような状況を、毎月調整してくのが全体会という場の一つの役割だということがわかった。そのような実践を「コンテクストの調整」という言葉で語られている。
よ〜し、MIMIGURIにも適応課題があるなら、それを得意のワークショップで解消していこうじゃないの!ズドンと重たい問いを立てて、アンラーニングの嵐を起こしてやろうじゃないか。おれがほんとうのワークショップを見せてやる。
と、まあ調子に乗って勇んで参加した。ファシリテーション部門の組織長のなべさんにサポートしてもらいながらワークショップを設計し、Miroを作り込み、当日を迎えた。
何がダメだってのさ!
そんな調子でぼくが参加して最初の2~3回は、なんだかてんでダメだった。
みんなから「フォアグラ状態だ(情報が頭の中にたくさん入ってきてしんどい)」とか「むちゃくちゃ疲れて終わったあと灰になってしまう」とか「ハードすぎて命が削れる」といった声が上がった。もちろん知的な興奮は毎回それなりにあったと思うし、そんなに徹頭徹尾ダメだったわけではないのだけど、ダメだった。でも、自身のワークショップデザインに自信を持って臨んだので、真摯に振り返るモードになれず、何がダメなのか分からなかった。全く情けない話だ。
そんななか、全体会のふりかえりミーティングで、MIMIGURIのCo-CEOのミナベさんに「全体会を重たくしたくないんですよね、哲学的な議論をかわす場みたいにしたいわけじゃない」とサラッと言われて、それがグサっときてしまった。
というのも、ぼくはそれまで、いいワークショップとは、ズシンと重たい哲学的な問いを囲んで、普段使わない頭と体を使って知的興奮のなかで脳に大汗かいてなんぼだと思っていたからだ。
「そこにこだわって作ってるのに、何がダメだってのさ!」と思って悔しくて「どういうことなのよ!」と、ミナベさんにSlackで噛みついてしまった。具体的には「そんな言い方されたらミナベさんの中にある正解をさぐらなきゃいけない感じがしてやだ」的なことを言ったのだ。(普通に、どのような意図でそうおっしゃったのでしょうかとか聞けばいいのに…その節は申し訳ありませんでした…)
そうしたら、ミナベさんはむちゃくちゃ丁寧に、真摯に、そして低姿勢な言葉遣いで、驚くほどの長文をslackに投稿してくれて、「重くしたくない」という言葉の背景にあった意図を語ってくれた。それはずっとぼくのGoogle Chromeにブックマークしてある。
重さか軽さか、何を選ぶべきか
その長文の投稿は、できることなら全文公開したいぐらいだが、要約すると以下のような内容だ。
継続的に続いていくフルリモート組織で、毎回重たい対話の場をつくると、メンバーのみんなのMIMIGURIでの働き方体験自体を重たいものにしてしまう
ワークショップにおける「創る活動」は、日々のプロジェクトや業務のなかで散々やっている。全体会でもワークショップ的にやってしまうと、「対話させられている」状態になってしまうことに経験を通じて気づいた
1日で強烈な気づきを与えようと力むのではなく、じんわり時間がかかってでも気づきが生まれていくような、温かみや軽やかさのある場をつくりたい
しかし、温かみや軽い場だけでは、人によっては「ゆるい職場」になってしまうリスクもある
それゆえに、重さと軽さを混在させた場づくりを探究しなければならない
これはかいつまんでぼくが理解したミナベさんのslack投稿だが、「重さか軽さか」という問いを立ててもらったことに改めて感謝したい。
というのも、ぼくが大好きなつい先日他界したミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』はまぎれもなくぼくの生涯ベスト小説の一つで、そのなかに「重さは恐ろしく、軽さは素晴らしさだろうか?」「軽さとは、無意味のことではなかろうか?」「我々は何を選ぶべきか、重さか、軽さか?」という問いが出てくる。
ああそうだったのか、ぼくたちはミラン・クンデラと同じ問いに触れていたんだ。なんて意味のある仕事なんだろう。組織づくりを通じて、文芸の深淵な問いと結びつくなんて。
意図を丁寧に伝えてくれたミナベさんに深く感謝し、その後、全体会のやり方をグリグリと切り替えていったのだった。
笑い、労い、ひらめき励まし
その後、ミナベさん、なべさんと一緒に全体会を作り込んでいった。
全体会への参加体験を軽くする工夫としてテレビ番組を視聴するような体験をつくりこんでいった。具体的には「アメトーク」「笑点」「プロフェッショナル」「世界ふしぎ発見!」といった番組のパロディで情報提供を行い、軽やかな笑いが起こることを一つの目標にした。
同時に、一人一人へのリスペクトを忘れず、「みんなまじでがんばっててすごい」というバカみたいな気持ちをもって、深い労いの場にもしたいと思っていた。
最近では、「Miro部」という活動が生まれ、毎回有志のメンバーが、トークセッションで語られる情報をmiro上に可視化してくれている。話を聴きながらボケ散らかしているので全部は公開できないが、ちょっと以下にご紹介
加えて、サウンド面でもMIMIGURIのコピーライター・プロデューサー・ミュージシャンのOLD.Jrこと大久保潤也さんが参加し、登壇者の入場やエンディングにエモーションを加えてくれている。
いろんな人が作り手として関わるようになって、どんどん楽しくなっている。
そんな一言が組織の中で生まれつづけていてほしいなと思っている。
組織全体に情報を透明に公開しながら、軽やかな笑いと、日々の労いに溢れ、感情に満ちた対話とともにひらめきを生み出し、自らのひらめきがその人を励ますものでありますように。散々な日でも、ひどい気分でも、諦めなければどこかでそうなる可能性がありつづけますように。小さな祈りを込めて全体会を毎月作り続けている。
そう、励ましなのよ
そう、励ましなんだよな〜。組織づくりって結局励ますことなのよ、と思ったのは最近のことだ。
1000人以上が参加する注目の「新時代の組織づくりウェビナー」でCo-CEOの安斎さんが「ミドルマネージャーは部下と上司の板挟みにあって本当に大変な仕事だ。でも、ミドルマネージャーにしかできない重要な仕事がある」といって、励ましの一言でウェビナーを締め括った。
「創造性の土壌を耕す」というのはMIMIGURIのパーパスだが、具体的に何をすることなのか?といわれたら「励ます」と答えたい。
・・・・・いや、でもダメだな。この言葉だけじゃ言い切れないや。まだまだ言葉にすらなっていないMIMIGURIの全体会設計・ファシリテーションの知が組織全体に眠っている。
まだまだ探究が終わらない。このまま探究をやっていく。やってみればわかる。
明日のMIMIGURI Advent calendarは??!
全体会のサウンドファシリテーションもやってくれている、OLD.Jrこと大久保潤也さんが何か書いてくれます!お楽しみに!
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