記憶01

台所の排水溝を洗ってて思い出した。



 僕が一年生の頃に同じ基礎ゼミを取っていた子。なんでなのかは分からないけれど、その子の家に行ったとき、彼女は一心不乱に台所を掃除していた。共に家に行った(遊びに行った? 訪れた?)のは僕以外全員女の子で、たぶん僕は講義に必要な何かしらの荷物の運び役だったような気がしないでもない。記憶は曖昧だ。

 ただ数年経った今でも思い出せるのは、その時の動作だ。彼女は一心不乱にシンクを擦っていた。何もない表情で、けれど満身の力を込めて。 いま思えばあれは脅迫性の何かだったのかもしれない。止めがたく、他人がどう言ったって、揺るがないものが感じられた。「君はご飯を食べたあといつも、そうやってシンクを洗うの?」

当たり前でしょ、シンクが汚かったら洗ってる皿を置けないじゃない。

 確か彼女はそんな風に言った。僕の横にいた女子も同調していたようだ。もしかしたらあのお勝手では、僕だけが「毎食後にシンクを洗うというわけではないタイプの人間」だったのかもしれない。

 ようするに、洗っている最中でまだ水に流していない泡まみれの皿、それらを清潔さが担保されていない空間に置くのがたまらなく嫌、ということだった。いつもの僕なら「そんなことを言ったって仕様がない。本質的にはどこだって、綺麗とは言い切れないはずだよ。第一に僕らが、汚いと綺麗を分ける基準ってのは、個人の尺度じゃないか。そこに数値的に明確な指標が・・・」と、言い募ったろうが、やめたようだ。これも理由は覚えていない。空気を読もうとしてみたからか。フラットとも思えない人間関係(僕はその場にいた人々に、嘘をつきながら関係を構築していた)で気持ちを表明することが馬鹿馬鹿しいと思ったからなのか。動機は曖昧模糊としている。


 その後、シンクの彼女を大学で見かけなくなった。彼女は留年したと聞いた。今もどこかで、食後に必ず洗われているシンクがあるのだろうか。

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