nikki20220715→0818

他人がどう思うかではなくて、ダサくても好きなものは好き


スラスラすんなりと読める歌や歌集の良さが全く分からない。ゴルゴ13のように自分を全くの第三視点から見ることのできる力が欲しい。なんとなく。



知人がニュースレターをやっていると言い出した。僕が知っているのはニューズレター、でもなんで濁るのかは知らない。どうでもいいが、いったいどれくらいの見ず知らずの人間が、自分の創作や刊行物を目にしてくれるのだろう。僕は興味のないものは読まない。読んでしまえばそれはどこか失礼な気がするからだ。読めといわれれば、だいたいは読む。





近頃あわせるのが上手い友人ができた。協調性が高いというのか、彼と一緒にいて嫌な気もちになる人はあまりいないだろう。一方で、彼の方はどうなのだろうか? そんなことをしていたら、自分というものがどんどん希薄になってしまいやしないだろうか。(勿体付けた書き口だ) とにかく、僕は僕の人生を生きたいものであるし、多くに人がそうなんじゃないだろうか。断定するものではないが。 そのなんだろう、やっぱり興味のないものはない。義務ではないものに合わせる必要を感じない。現に彼は人と協調すること、人に合わせることに多くのリソースを割いているのか、疲れた時の変化が分かりやすい。





近頃はいろんなことがあったと思う。でもそのそれぞれはそんなにハッキリとしない。ボヤけている。人間関係についてはよく考える。未来のことと同様に。まあでもあり続けるのは今だけだ。有難いことに最近は、僕にとって勉強になりそうな人間関係が増えている。嬉しいことだ。なによりも。
そういえばお酒がそんなに飲めなくなった。煙草の吸いすぎか、健康上の問題、といっても風邪ほどのものをきたした。
京大短歌の、僕のnoteをみて「大変そうな人だ」みたいなことを言った子は元気だろうか。まあどうだっていいんだけど、どうせなら面白いことがある方がいい。波風立てない安パイな人生、悪くない響きだけど、きっとそうじゃない方が面白い。







優秀な後輩(というとそうではない方にスポットが当たるかもしれないが、そんなネガティヴなことはわざわざ視野にあげなくてもいい。もっといえば、劣等かどうかなんてたいしたことじゃない)と話した。しばらく前より幾分か話しやすくなっていた。どうせならいつもとは違う分野の話をしたいと、常々思っていたが、今回もあまり類例に漏れなかった。でも悪い気もち(というと〜・・・、以下略)じゃなかった。まあ頑張っている。誰だって。あいつも、俺も。俺はどうだろうか。本当のことをいえば、頑張る必要なんてないだろうが。ショートホープを吸う。
少し前に電子タバコに変えた。変えつつある。グローだ。悪くない。なんと言ったって、喉が痛くなりにくい。そしてやや安い。
優後とは近々また話す。何を話すだろうか。期待はありつつ、少々の辟易もある。まあでも人付き合いとかってそんなもんだろう。俺は確かにそいつと人付き合いをしている。間違いようもなく良いことだ。







頭でこねくり回して、頭でもって読み解く系の短歌が嫌いだ。頭脳・知識偏重の歌は、能力主義に容易に傾倒しうると思う。かといって、ただごと歌ではないが読んで字の如し系の歌も嫌い。それはツイートでよくないか? と思うわけだ。分かる歌ではなく、伝わりうる歌を作るのが大切だと思っている。分かると伝わるは、確かに異なる。
そして自己満足だけではどうにもならない。











疲れた。とにかく自分の望まないことをするもんじゃない。(といってもそれは難しい)そのためには物事を落ち着いてよく考える必要がある。(響きは簡単だが実行することは本当に難しい)端的にいって、人と絡むのが嫌な節がある。もちろん絡みたい人もいるけど、そうじゃない人もいるわけで、そりゃ自分より知識や経験のある人の話は聞きたいが、そうでなければそれは社交辞令的であったり、(漠然とした恐怖を纏いがちな)一人という孤独から逃れているのに過ぎなかったりする。
誰だってそうだろう? 別に僕は金持ちでもないし、時間やエネルギーをもて余している訳でもないから、今後はそういうボランティア的なことを減らしていきたいと思う。本当に自分が摂取したいと思っている時間や人に、時間やエネルギーといった資本を使っていきたい。いくらかシステマティックな考え方かもしれないが、よく考えたら無意識にみんなそういう選択をしてはいないか?
それと同時に自分も一人の時間の得体の知れない恐怖から、逃れるのをやめなければならない。誰かと一緒にいることで相対的な逃避をしている自覚は少なからず昔からあって、これがまあまた難しい。ただ自覚はできているわけであるから、どうにかしたいと思う。あー疲れた。疲れたし怒りもあるが、これは他人向けるべきものではなく、自分に向けられたものだ。そういう選択をした自分に。この姿勢が何よりも大切だと思う。他責思考は成長を生まないだろう。「他人がどう」じゃなくて、「自分がどう」で生きていない人間は、みっともないよ。













どうにもこうにも面倒だ。(腹痛と最近伸びすぎた髪に関しての苛立ちは別にして、)はっきり言ってイライラしている。何事をも無理に一般化する必要はないと思うが、僕が過剰に特殊ということもないと思うので言うと、そりゃ自己主張の少ない年少といると疲れる。したい事があるならしたいと言えよ! と。無駄な時間をわざわざ過ごすなよ、と。あれがしたい・これがしたいっていう、自分の気もちくらいお前で見つけてこいよ、と。疲れた。疲れた。

ちょもうとにかく嫌なことは嫌だと断言して、ストレスを減らしていかないといけない。やれやれ

良い格好をするのは賞賛や承認を得たいからか。それはもう要らないんじゃないか、それに気付いたのなら。




とまあ下書きに疲労のままに書き殴ったが、人間ってこんなもんだ。疲れたら普段思わないような怒りを抱くし、眠たければ思考力は落ちる。そういう生き物なんだ。現実だ。
まやかしや見たいもの、自分にとって都合の良いを見るのではなく、目の前の現実をただそのままに捉えることが大切だ。
そういう事ができて初めて、信憑性をもった主張ができると思う。僕は信憑性のない主張を、基本的に取り合わない。それが信条だ。

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