デンベレ選手のビデオについて、さとう氏の記事を受けて

前回の記事の中で、記事を取り上げさせていただいたさとうゆーすけ(@usk_sato2)氏から、別記事にてご反応をいただいた。

自分の意見についてなんらかのアクションをもらえるのは本当にありがたいので、私もこれを受けてまた記事を書いてみたいと思う。

まず、すれ違いが発生している部分について。
さとう氏の元記事の主張は、「彼らの発言は差別ではあるが、サッカー界から追放など重すぎる罰を与えるべきではない」という内容であった。これを、私の前回の記事では「彼らの発言は育ちの悪さに由来する暴言ではあるが差別ではない」という他の記事と並列で紹介し、それに対し「いや明確に差別なんだから過剰反応ではないのでは?」と疑問を呈した。またさとう氏の記事にある

それに、これくらいの発言、プライベートでは人種や国籍に関係なく誰でもしてると思う。人生で一度も差別発言をしたことがないと胸を張って言える人、いますか?きっといないよね。

という部分に対して、

あと「あれくらいなら誰でもやるよね」みたいに書いてるやつ、自覚があろうとあるまいとお前は差別者だ。

と強い言葉で非難した。

しかしながら上述の通り、さとう氏は二選手含め誰しもが多かれ少なかれ差別者であるという論に立っているため、この非難は全く的外れであったと言える。この非難の真意については後に記述するが、筋の通らない非難をした点については氏に伏して謝罪したい。

一方、さとう氏の今回の記事だが、こちらも少し行き違いがあるように思われる。
氏は改めて、二選手に過失があったことは認めた上で、動画が2年前のものだった点や誰しも差別行動をとりうる点を理由として必要以上の罰が与えられることを危惧している。だが私の記事の中では一切罰については触れておらず、論旨としては「ポリコレ基準で発言が差別要素を含むか否かに固執する議論はおかしい」という指摘を行った認識である。したがって氏の「過剰な罰を与えんとする風潮に反対する」というスタンスには特に対抗するものではなく、むしろ既存のポリコレ基準の重用に対する違和感という点においては同じサイドに立っていると考えられる。
残念ながら私の記事は「彼らの行為は差別であるから厳しく罰せよ」と読み取られたものと推察されるが、この論旨を正確に伝達できなかったのはひとえに私の文章力の無さ、あるいは必要以上に感情的な記述によるものであると考えているが、氏の主張が私の記事を全面的に否定しえるものではない点を確認しておきたい。

さて、前置きが長くなったが改めて氏の主張に対する私の意見を述べる。
彼らがかの映像の中で行っていた一連の行為が差別にあたるという点においては氏に同意するところであるのは先に述べたとおりである。これを厳しく罰するべきでないというのが氏の主張であるが、その根拠として述べられているのは以下の点である。

①誰にも被害を与えていない
②過去のキ・ソンヨン選手のパフォーマンスに対して罰が与えられていない
③これくらいの発言、プライベートでは人種や国籍に関係なく誰でもしてる

まず①についてであるが動画は現に流出して拡散され、その悪意とともに多くの人の目に触れている。差別行為はそれを直接行われた当人だけでなく同じ属性を持つ人にも害意を持つものであるからして、結果として既に多くの日本人の目に触れてしまった時点で免罪の理由にはならない。

次に②についてであるが、端的に言えばあの当時とは差別に対する感度が違っているためあの当時の基準を引きずることにあまり正当性はないように思われる。いや、恐らく氏も感じているようにキ・ソンヨン選手のパフォーマンスは当時の基準からしても処分なしは不自然に軽すぎるものであると考えられ、そうなると尚更その基準を今回に援用するのはそぐわないのではないだろうか。

そして③についてだが、これについては多少真意を計りかねている。
もし、氏が「誰でも言葉がわからない相手に母国語で汚い言葉を言うことくらいある」という意味で言っているのであれば、私はこれを断固として否定し、また氏にも今後行わないよう強く求める。これが前回記事のさとう氏への非難の本意である。
そうではなく、誰しも差別の自覚の有無に関わらず、たとえばつい外国人の隣の座席を避けてしまうなど、差別的な意識が行動に現れることがあるという意味であれば、その点は同意する。人は行動を完全にコントロールできないし、差別意識を完全に排除できる人間などいないのだから、全ての人間は差別者であると言える。
しかしながら氏の言うように、全ての差別者たる人間が差別行為を非難できないのであれば、それは全ての差別の容認になるのではないか。少なくとも悪意に基づく差別については都度指摘していかなければ、それこそいつの間にかナチスのレベルに達している可能性だってあるのではないだろうか。
互いに差別を蔓延させない世の中を望むのであれば、差別行動を行わないのと同時に、差別行為を受けた際にその被害事実をきちんと明確にすることも必要だと言えるだろう。

以上、私はさとう氏の記事における主張の論拠に対し各々の反論を述べた。では結論が氏とは逆の、「彼らを二度とサッカーができなくしてやるべし」かと言われると全くそうではない。
私が反駁したいのはひろゆき、辻仁成などの「悪口だけど差別じゃない」派や武井壮などの「差別だけど悪意はない」派であって、昨今の過剰なポリコレ偏重人民裁判に懐疑的であるのは前述の通りだ。じゃあ彼らがどう処分されればいいかについては、正直あまり関心がない。それでも私が感情的になりながらも記事を書いたのは、アジア人に対する差別が欧米で軽く扱われている意識があるからだ。
これはかつて米国に暮らした私の経験から間違いのない事実であるが、このYou Tuberの方の言葉がより伝わりやすいと思う。

デンベレもグリーズマンも謝罪文は出したが、差別行為を認めていない。それが前回の記事を書くことになった要因である。逆にあれが差別行為であったことを2選手も、バルサも、協会も認めるのであれば極端な話私は処分がなくてもいいと思ってる。このまま一般人が黙っていると確実に「調査の結果差別ではありませんでした、おしまい」で片付けられる。それくらいアジア人の差別は過去にも大した問題にされてない。前述のキ・ソンヨン選手の件が何よりの証拠だ。今回こそ、黒人がアジア人を差別した明確な事実を歴史に刻むべきだと考えている。


以上、ぐだぐだと長くなったので3行でまとめ。
さとう氏は処分しなくていいって言うけどその根拠弱くない?
てか俺処分はどうでもよくて、あいつらが差別認めないから怒ってるのよ
差別だと認めさせるまでわーわー言うけどポリコレは嫌いだからよろしく

お寿司を食べます。