2021/08/19

半袖を家の中で着る機会が増えた為に、腕以外の場所を切ってみる日々を過ごしている。

親にお金をもらって、一人買い物に行った先で剃刀をこっそり購入した。最悪だと思う。人のお金で自傷道具を買うなんて。と思った。でも逆に言えば自分で働いて稼いだお金なら、いくら刃物で自傷しても許されるのだろうか。古典の反語の如し。

正直、剃刀でなく、親の飲んだビールの空き缶をくすねて、捻るなどすれば無駄遣いにはならないなとは考えている。まあ、衛生面はよろしくないかもしれない。ただでさえ切った後に、血を舐めとるとか、ティッシュで吸うとかしかしていないから、やめておこうと思っている。ああいう缶は、捻って割くと、鋭い面が顔を覗かせる。簡単に言うと、缶詰の蓋で指を切る感覚だ。カンカンカンカンうるさいなあ......侃侃諤諤(無関係)。

胸とか腹を剃刀ですすすーっとやるが、腕に比べて血の出が悪い悪い。毎回言ってる気がするなこれ。まあいいや。おかしいな、胸なんてそれこそ皮膚が薄いから、血がたくさん出るんじゃないのだろうか?原因は不明だ。長袖を着られる季節が恋しい。

眠れない時、よく自殺することを前提にこれから先のことを考える。何時ごろ死ぬか。そうなるとやるべきことは何か。すてるもの、片付けること、人間関係。なぜ、死ぬだけでこんなにも色々やらなければならないことが多いのか。理由は明確で、今まで生きてきたからだ。過去が自分を作っているからだ。自殺をするというのは、そんな積み上げてきたモノをガリガリ削って、処理し切れる大きさになってようやく実行できる。そう考えると、すごくエネルギッシュな行為だと思う。自死の計画を立てると、「ああ、これを頑張れば死ねる!」とポジティブになれる時がある。まあ、いい意味のポジティブではないと思うが。首を吊りたいとは思わない。失敗率と、後遺症のリスクを考えるとどうにも最適な死に方では無いと思ってしまう。一酸化炭素中毒とか、そういう方がいいのでは無いかと日々悶々としている。楽に死にたいという願望を持っていない為、数秒で逝けるとかそういうのには興味がない。

最近、中学時代からの友人3人と縁を切りたくて仕方がない。もう、仲良くしたいと思えなくなってしまった。単純に、必要不可欠な存在では無いからだ。人の心がないと言われるかもしれない。でも一応、相手の立場になって考えることはできるので、踏みとどまっている。友人たちとの縁を薄くする方法として、友人たちに恋人ができるor自分が恋人を作る、が、あると思う。友人の1人が、Twitterである人といい感じになっているという雰囲気のツイートをしていたことがあった。その時にまず思ったのが『さっさとくっついて、自分のことなんか忘れて欲しい。』だった。寂しさなんて微塵もなかった。友人を取られた気もしなかった。互いに関心が薄くなれば、縁は自然と廃れて消えるからだ。自分はそれでよかった。残念ながら、くっついてはいなさそうなので、成人式が近くなるにつれ、当日4人で集まりたいとか言うんだろうなと思う。

やっぱり血が飲みたい。と感じることがおおい。飲まなくてもいいが、流れ出るのを感じたいとか、触りたいとか。そういうものだ。すごく、煩わしい。時折、やっちまえよと声がする。何を?と思う。なんなんだろうか。

色々書いてしまった。とりあえず死ぬまで、ちまちま更新していると思う。遺書みたいなものにしたい。