見出し画像

【歴史探訪】牛窓の「かべら」金鶏伝説と神武東征、そして安仁神社四区画袈裟襷文銅鐸

 牛窓町史には「粟利郷《あわりごう》から大土井《おおどい》正八幡宮に通ずる道筋に『かべら』という地名があり、そこに金鶏《きんけい》伝説が伝承されている。」とあります。全国各地で多数伝わる金鶏伝説。岡山県内にも90か所はあるとか。中でも牛窓の「かべら」の伝説では「大晦日の夜、朝日射す夕日輝く丘の上、縄千尋の内で金の鶏が鳴き、そこに財宝が埋められている」と伝わり、典型的かつ詳しいほう。しかし、この「かべら」という場所自体が謎に包まれていて……。
 まず、鶏と言えば、『古事記』に天照大神《あまてらすおおみかみ》が岩屋に引きこもり、世の中が真っ暗、困った神様たちは賑やかに大騒ぎをし、鶏も鳴かせて、アマテラスさまが気になってちらっと戸を開けた隙に、手を引っぱって外に連れ出して、世の闇が去ったという話があります。そのアマテラスさまの五世孫であり、初代天皇である神日本磐余彦天皇《かんやまといわれびこのすめらみこと》、漢風諡号では神武天皇と呼ばれていますが、『日本書紀』に、金鵄《きんし》がイワレビコさんの弓に止まり、敵の目をくらませて戦の勝利に導き、即位に至ったという話もあります。『古事記』にはこの話が出てこないとか、鵄《とび》ではなくて八咫烏《やたがらす》だとか諸説ありますが、アマテラスさまは鶏に、イワレビコさんはとにかく金の鳥に、ご縁があるんですね。
 そのアマテラスさまの孫でありイワレビコさんの曾祖父である邇々芸命《ににぎのみこと》が、アマテラスさまの命令で高天原から葦原中つ国《あしはらなかつくに》を治めるために宮崎県の日向の高千穂に天下りました。『古事記』には、ニニギさんが高天原に宮をつくる際、大変良い地として「朝日の直刺す国、夕日の日照る国」と表現していて、牛窓のかべら伝説の場所の「朝日射す夕日輝く丘の上」は『古事記』の影響を受けた、文学的由緒正しさが漂っています。
 イワレビコさんや兄の五瀬彦《いつせひこ》さんも高千穂で育ちますが、二人は相談して「天下を治めるために東に行こう!」と日向を出発しました。これが有名な「神武東征《じんむとうせい》」。イワレビコさん45歳の時ですって。一行は九州から広島、そして岡山へと進み、岡山では高嶋宮を作って数年間滞在、牛窓に隣接している岡山市神崎地区の安仁《あに》神社は、本当は「兄」、つまりイツセヒコさんがいたところと言われています。その安仁神社裏山からは、なんと、銅鐸が出土!「四区画袈裟襷文《よんくかくけさだすきもん》」という形状で、弥生時代のもの。では神武東征はいつ?というと人物の年齢詐称やら実在性が乏しいやら。『日本書紀』は453年まで在位の允恭天皇までの記事は7世紀後半に唐で作られた儀鳳暦《ぎほうれき》を用い、次の安康天皇からは5世紀なかばに南朝宋で作られた元嘉暦《げんかれき》を使っている、つまり、8世紀始めの編纂時に記録で遡れたのは5世紀半ばぐらい、それ以前は逆算して書かれたという研究もありますので、時代設定はいささかアバウト。しかし「九州から来た、初代天皇の兄が数年いた」とされるところから「稲作や共同祭祀と関係の深い銅鐸が出土した」ということは、安仁神社のあたり今でも水田も広がっていますし、弥生時代の祭りの場、いやいや、実はその段階では王はイツセヒコさんで、祭祀の場だった可能性もあるのでは……なぜならイツセヒコさんは兄ですから。であれば、安仁神社あたりが宮だったかもです。東征中にイツセヒコさんが手傷を負って亡くならなければ。
 結局初代天皇となる弟イワレビコさんには日向時代に奥さまがいました。吾平津媛《あびらつひめ》と言います。アビラさんはこの神武東征一大プロジェクトには加わらず、日向に残りました。宮崎県日南市にある吾平津神社にアビラさんが祀られていて、元は乙姫大明神と言われていました。乙姫様だったのですね。実はイワレビコさんの祖父は山幸彦、祖母は豊玉姫という海神の娘(お産の時に、元の姿ワニ(鮫)になっていた!)、ちなみに山幸彦のお兄さんは海幸彦ですから、海とのゆかりが深い。南方の海洋民族との関りが感じられます。さらに祀られている神様の中には経津主神《ふつぬしのかみ》がいて、この神様は『古事記』には登場しませんが、『日本書紀』や肥前・出雲・常陸などの『風土記』には登場します。フツと言えば、物部氏と関係がありそうですし、お祖母さんの元の姿がワニだった!というのは、つまり和珥氏ですね。天皇側としては和珥氏など元からの仲間はあまり后として重用しない、神武朝から仕えた新進の……というか、イツセヒコさんに手傷を負わせたライバルなんですけどという長髄彦《ながすねひこ》の子孫物部氏はとり込むために気遣いしている気配ですね。
 それからアビラさんのいる日向に近い鹿児島県鹿屋市には吾平山があります。まさにアビラサン!あれ?アビラとカベラって言葉が似ていませんか?もしかして、カベラとは迦毘羅衛《かびらえ》が訛ったのでは?という気もしてきました。迦毘羅衛とは釈迦の住んでいたというネパールのカピラバストゥという都城のことです。ちなみに、お釈迦様の生没年も、定かではないですが、紀元前7世紀説もあります。イワレビコさんが即位したのは紀元前660年ということになっています。もしかして時代を合わせたのかしら?
 こういうときは、文献に戻りましょう。牛窓町史には「かべら山麓には719年加比羅山通寺が開基され、七堂伽藍・十三坊を有したと言われ、その後衰退したという」「寺の財宝朱瓶千本、または朱瓶七本七通り、あるいは金鶏が埋められているという」「正通寺跡と思われるところに古井戸などが残っている」「かべら山の正通寺を庄田に移転することになり、力持ちの強助と力松兄弟が夜のうちに仁王門を運んでいて褒美をもらった」などとあります。その邑久町庄田には朝日寺《ちょうにちじ》があって、由緒は718年元正天皇の勅願で創建と伝えられていますが、むむっ!邑久町史には朝日寺は元「通寺」とあります!邑久町史は朝日寺文書に基づいて書かれていますので、“伝聞”を基に書かれた牛窓町史の「正通寺」の信頼性の方が弱い……。朝日寺のある字は「旭」で、道が東西にのびていて朝日がさんさんと差し、いかにも鶏の鳴き声が聞こえてきそうなところですけど。さらにややこしいことに長船町に医王山正通寺があり、こちらは1533年浦上真人筑後守、後に入道受戒して正通居士となり領地した、立派な人の名からつけられた寺号だそうですので、別のお寺です。なんだか、混乱してしまったのかもしれませんね……。
 さて、単純に「加比羅山」と書かれた字に似ている言葉に「宮比羅《くびら》」があります。お薬師さんのお供の筆頭で、ガンジス川に住むワニ(またワニ!)を神格化した水運の神様ですが、日本では、そう、かの有名な金刀比羅宮、金毘羅さんです。朝日寺のご本尊もお薬師さん。つながりが感じられますね。ということは、かべらは「元正天皇の病を治したお薬師さんをまつるお寺を全国につくった時に、最初は神聖な山の中のベラ(平ら)なところにお寺を作って、お薬師さんのお供の宮比羅も祀っていたから、かべら」かもしれませんね。
 イワレビコさんの糟糠の妻アビラさんが祀られている吾平津神社創建は709年、元正天皇の母元明天皇の治世。712年には神武東征が書かれた『古事記』完成。かべらのお寺の創建は718年とか719年、元正天皇の治世。720年に『日本書紀』が完成。つまり元明・元正天皇母娘は初代神武ストーリーで王権の正当性を明確にしつつ、糟糠の妻アビラさんをきちんと祀ったり、お薬師さんを信じて「かべら山」に、あるいは「加比羅山」というお寺を造ったということですね。
 そうそう、吾平津神社があるのは日南市材木町、「油津《あぶらつ》」。(ビラ→ブラの変化形もあり!?)です。後々、江戸時代には服部家が材木を買い付けに行っていたところ。ひょっこりとしたところにご縁があるものですね。
 ということで、金鶏の「かべら」はやっぱり“伝説”。イツセヒコさんの金鵄からイメージが膨らんだのかもしれません。お宝を探すなら、安仁神社でイツセヒコさんグッズの方が可能性が高いかも?です。

参考文献ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『牛窓町史』、『邑久町史』、日本古典文学全集 『古事記』、同『日本書紀』、『人物でわかる日本書記』古川順弘  監修:金谷芳寛、村上岳 文:田村美紀

画:歌川広重『(山茶花と雀),(金鶏)』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309742 (参照 2024-07-25)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?