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everybody needs somebody

ハローみなさん。

きょうは、いいことがあったので書き留めておきたくて。

ぼくはつねづね「抱擁」というコミュニケーション技術の重要性を訴えてるのだけど、友人のひかちゃん(@hikarim10)がステキなノートを書いていたのね。

わたしが気持ちがざわざわしている時にしてほしいことってなんだろう、と考えてでてきたひとつが、「ただ抱きしめてもらう」というものだった。

ぎゅってそのまんまを受け止めてもらうことで、心に余白をつくる。

めちゃいいよね。

抱擁(ハグ)というのは、圧倒的肯定の手段。
有無をいわさない「圧倒的な肯定」が必要なときが、ひとにはあるよね。

存在を抱きしめてもらう。認めてもらう。

「自己肯定感」という文脈で、本当に重要なこと。
コミュニケーションを本質とする人間にとって、めちゃくちゃ根幹にある意思伝達技術だとおもう。まさに文明の利器だな。

そんなことを思ってつぶやいてたら、大学の時にいっしょにバンドをやっていた親友であるTskくんが、こんなリプライをくれた。

ふむ。
チバユウスケがPUFFYに提供した曲。

大学時代のバンドではミッシェルガンエレファントのコピーをよく演奏してたので、チバユウスケ提供ときたら聞かないわけにはいかないなあとおもい、さっそく聴いてみた。

くもってら ドーナッツ 食べたくなったけどあの穴は なんであいてるの? かわいいけど 誰も教えてくれない でもわかってることはある
誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい

うーん。
いい。
ちょっと良すぎ。
チバのぶっきらぼうな声と、優しすぎる歌詞のギャップ。
すっかりお気に入りになってしまった。
きっと、長く聴ける歌になるだろう。

自己肯定感とか、存在の抱擁、みたいなことを考えるたびに、たぶんこの曲のこともおもいだしたり、口ずさんだりするだろうからね。

ひとは、じぶんの生き様のストーリーと、歌や作品で語られるストーリーに重なる部分をみつけると、「理解されない」という孤独がすこし癒されて、生きる力が増す。

コンテンツの素晴らしさはそこにあるとおもう。

だれかの生き様と、作品のストーリーの中に相似点をみつけたとき、それをそのひとに「処方する」ように、紹介することがあったりする。

そうしたコンテンツに出会えることは、生きづらさを抱えたひととの対話の手段を増やすことにつながる。

それは、ものすごく豊かな出来事だ。
そういうのを、もっともっと集めてたいとおもう。

それで、さっそく誰かに聞かせたくて思わず筆をとってしまった結果がこの文章ね
(笑)

(PUFFYバージョンもいいので、ぜひ聴いてみて〜)


バンドをやってた当時は、若かったのもありロックナンバーばかり演奏していたけど、チバがたまに書く柔らかい感じのラブソングがすごく好きなんですよね。


それと、友人ふたりは全く面識がないのだけど、二人とも慈愛の象徴のような人柄をもっているのね。そのふたりが「抱擁」っていうテーマで、ツイートを介してゆるいつながりが生まれたような感じがして、「これインターネット的〜」とおもって勝手にひとりで悦に入っていました。

そんなわけで、きょうはとっても気分が良いので、もうしばらく口ずさんでから寝ることにします。

またね。

誰かが倒れたら 起こせばいい それだけでいい
誰かが立ったなら ささえればいい それだけでいい
EVERYBODY NEEDS SOMEBODY
EVERYBODY NEEDS SOMEBODY
EVERYBODY NEEDS SOMEBODY
EVERYBODY NEEDS SOMEBODY


追記

サクちゃんに、「このノート、月刊自己肯定感に入れるやつじゃないよね、念のため笑」って確認のメッセが来たw

そうそう、自分でもこれ書いてて内容がマガジンのテイストに寄ってるなっておもってた笑

ぼくとサクちゃんの共同運営の有料マガジン「月刊・自己肯定感」も、こんな感じのゆるい空気感でやってます。

よかったら、いちどのぞきに来てみてね。


それでは、良い週末を!


ゆうすけ


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