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「まったり死にたい勢」のこと


「まったり死にたい勢」とでも言うべきひとたちがいる。


べたっとした、うっすらのびてこびりつくような、死にたさ。
じぶんは人間としてどこか欠けている、という虚無感。


痛いし面倒だから積極的には死にたくないけど、あした目覚めなければ楽でいいのにな。
そういう気持ちを思春期くらいからずっと抱えているひとが。


「生きるのがただひたすらめんどい」
「人生は基本的にイヤなことの連続で、楽しめるなんておもえない」


その厭世的な価値観は、おそらく今じぶんが生きている世界に対する基本的な信頼感が欠如していることからくるのだろう。

世界が安心であったことがないし、他人は信頼できるわけがない。
こんな世の中で何かを真面目に積み重ねたところで、良いことなんてあるわけない。
苦労が報われるなんて、到底信じられない。
世を楽しんでいる「キラキラ勢」とは別の世界を生きている。

そういう感覚というのは、とても自然なことだとおもう。


人間の世界観をつくるのは、人生のはじめの方に触れ合うごく少数の他者だ。
それはソシャゲのガチャと同じで、選びようがなく、抗いようがない。


じぶんの人生のスポーン地点が、たまたま安心ではない他者のもとであったら、世界や他者に信頼なんて持てるわけがない。
同じ環境に生まれていたら、おそらく誰もが同様の世界観になるだろう。
存在を肯定されない環境とは、地雷原よりも、魔王城よりも危険な場所なのだ。


もし、ドラクエ3の主人公が生まれた街が、最初の街アリアハンじゃなくて魔王バラモス城だったらどうだろうか。周りの敵があまりに強すぎて、とれるコマンドは「ぼうぎょ」・「逃げる」・「アストロン(全身が鋼鉄の塊になって、すべての攻撃を受け付けない呪文)」くらいだ。


人生もRPGと同じで、安心なところから徐々に危険なところへと踏み出し、経験を積むからこそ、いろんなスキルを得ることができる。

生存がおびやかされるほどの圧倒的な危険を前に、こどもは「耐える」か「逃げる」か「フリーズする」ことしかできない。そのための手段しか上達しないし、攻撃や回復といった他の手段があることなど知ることすらできないだろう。
他人が怖いひとは、対人関係を避ける。他者との交流の絶対量が少ないため、試行錯誤のチャンスがない。
対人関係の中で必要なスキルを得られず、能力が低下し、まずます他人がこわくなるという悪循環。


生き抜くために、じぶんのニーズよりも、親や家族など「他人のニーズ」を満たし続けるしかなかったのだろう。
じぶんのニーズが無視され、存在をないがしろにされることが常ならば、満たすべき「他人のニーズ」を探して生きるしかない。そんな人生を誰が心から「生きたい」とおもえるワケがない。

「ぼうぎょ」「にげる」「アストロン」だけのゲームを、どう楽しめというのか。
そんなマゾゲーは、クソゲー・オブ・ザ・イヤーの永久殿堂入り確定だろう。そもそもゲームとして成立していない。


「まったり死にたい勢」とは、そういう「ゲーム」をプレイさせられているひとたちのことをいうのだとおもう。

そんな環境を生き抜いてきたひとたちは、レベル1でバラモス城から逃げてきたひとたちだ。ほとんどミラクルに近い。
今この瞬間に、生存しているということそのものが凄すぎる。


でも、残念なことに、あなたは命からがら生き延びてきたじぶんのことを、肯定できていないだろう。

「なぜじぶんがこんなにつらい目にあうのか。」「なぜ世界はこんなに理不尽なのか。」
じぶんと世界のことをひたすら考えて続けてきて、あなたが至った答えは

「じぶんが不幸なのは、じぶんが幸せになるに値しない、ダメな人間だからだ」

になっているはずだ。
そうじゃなければ、あまりにも辻褄が合わないからね。


でもね、それはたぶん、違う。


おそらくあなたは「あなた自身がダメだった」のではなくて、「運が悪かった」のだ。
「まったり死にたい」と願うそれは、たまたま「危険な環境に生まれてしまった」人間がたどる「正常な反応」だ。
あなたは「わたしが異常なのだ」と考えているとおもうけど、たぶんあなたは、あなたがおもっているよりも「ふつうのひと」である可能性が高い。


人間の自己認識というのは、そのほとんどが間違っていると、insightという本で偉いひとたちが言っている。
これまでさんざんじぶんや世界のことをばかりを考えてきたとおもうから、それで得た結論が間違っているというのは、ちょっと受け入れがたいかもしれない。


でも、もしかしたらあなたの、じぶんに対する認識や、世界に対する認識は、間違っているかもしれない。
いや、間違っている可能性が高いとおもう。


「ぼうぎょ」「にげる」「アストロン」しか使えないあなたは気づいていないいかもしれないが、危険を生き抜いたいまの大人のあなたが対峙している相手は、あなたがおもっているよりも弱かったり、善良だったりするかもしれない。


いまは他人がこわいから、他人のニーズを満たす以外の生き方以外見当たらないかもしれない。ただ、そんな状態からでも、じぶんのニーズを見つけて、満たしていくことで、生き方が劇的に変わっていってるひとたちをぼくは知っている。


世の中にはバラモス城のような危険なところだけじゃなく、アリアハンやレーベ(注:冒険の序盤の街)みたいに安全なところや、ロマリアやアッサラーム(注:闘技場や劇場があるきらびやかな街)のように楽しいところも、ダーマ(注:転職ができるとこ)のようにじぶんの可能性を飛躍させることができるところもあるということを、後から知ることができる。それがわかってくると、他者や世界との関わり方もまったく違ってくる。
それは、魔王バラモスの城を生き延びることができたあなたにとって、以外と難易度は高くないかもしれない。




「まったり死にたい」勢のあなたの世界に対する認識は間違っているかもしれない。
もし本当にそうならば、正しい立ち位置を知るためのコンパスが必要だ。
ぼくが知る限り、水島先生のこの本は、あなたのようなひとが今とはちがうルートを発見するのにベストなものになるんじゃないかとおもう。

あるいは「気分変調性障害(気分変調症)」「愛着障害(回避型愛着)」といったキーワードを調べてみるのも、ヒントになるかもしれない。

あるいは、いまは他者のニーズを生きる生き方しか知らないけど、じぶんのニーズを見つけて生きることにトライしたいとか、世界や他人への信頼を取り戻して、対人関係を結び直したいとおもっているなら、拙いけれど、ぼくの書いたこれが役にもしかしたら役にたつかもしれない。

じぶんが置かれている状況に「名前」がついたときに、見えてくるものは確実に変わってくる。



「ぼうぎょ」や「逃げる」以外のスキルの存在を知って、覚え直していくと、他者との関係性は変わる。


他人のクエストを徐々にやめていくと、「ゲーム」のルールがそのものが変わる。


そんなことが起こった時、もしかすると、いまあなたがプレイさせられている人生が、少なくとも「クソゲー」ではなくなっているかもしれない。

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