休むことは、HPを回復させることではない(「過剰適応」と「一人甲子園」について)


こんばんは。
 
 
こないだは休むことの難しさについて話したのだけど、今日はまとまったおやすみをもらうことが、スーパーチャンスタイムにつながるよ、というおはなし。
 
こんな話をする患者さんがいたのね。
 
「ずっと気持ちを奮い立たせて働いてきたから、いったん休んでしまうと今までのように頑張れるか不安です。せっかく休んでいるのに、でもこの先、元気になってまた同じように頑張らなければいけないと思うと息苦しくて。」
 
そりゃそうだよね。
休むことって、けっこう怖いことなんだ。
 
 
別の休職中の人は、こんなことを言っていた。
 
「お休みをきっかけに何かを変えないといけない気がする。このまま仕事に戻っても、また元通りになって、何度でも繰り返してしまう気がして、それが一番怖いんです。」
 
 
この言葉にもあるように、怖さの根っこには「元通り」、つまり元のようにハードに働く生活に戻って、初めのうちは頑張れても徐々に精神的に辛くなってしまうのではないか、という心配があると思う。
実際、患者さんには、休職をきっかけに生き方が大きく変わる人もいれば、何度も適応障害を繰り返す人もいある。
さて、どうしたらいい「お休み」がとれるのだろう?
 

そのヒントになる、「過剰適応」ということばを説明するね。
心理学の世界には以下の2つの「適応」がある。
 

■外的適応
社会的な要求に応えて行動している状態のこと。
いわゆる「職務をまっとうしている」状態で、自分の心理状態のことは問わない。
言い換えれば、外からの要求(他人のニーズ)に応えられている状態のこと。

■内的適応
気持ちが満たされている状態。
自分自身が、いまの内的な心の状態に納得できている。
言い換えれば、内からの要求(自分のニーズ)に応えられていること。
 

 
そして、過剰適応とは、外的適応はできているけど、内的適応はできていない状態のことだ。

周りの環境に配慮して、他者に調和することを重視しすぎて常に気を張っている状態で、精神的にとても消耗しやすい。名越康文先生によれば、日本人の2〜3割はこの過剰適応状態にあるんだってさ。


要は「他人のニーズ」>「自分のニーズ」という状態のことで、そういう状態がずっと続くと、人は必ず心身の調子を崩すようにできている。
それって、砂漠にいて自分が脱水寸前なのに、自分の分の飲み水を一切口にせずに他人にばかりあげているようなものだからね。


 
社会に出てはたらくというのは、基本的に他人のニーズに応えることで価値を提供し、その対価としてお金をいただく、ということだ。
だから、それさえ果たしていれば、生活を維持することはできる。
でも、そればっかやってると、次第に「自分のニーズ」というものがわからなくなってきたりするのですよ。 
 

とくに「職場」というのは、人間関係にまつわる情報処理が多い場所で、自分に合わないことや傷つくことがあっても、すべてには向き合いきれないし、そんなヒマもない。
 

そんな環境のなかにいると、つらい気持ちをやり過ごしてしまって、何が自分に負荷をかけているのかはっきりと把握できないまま、HPを減らしてしまいがちになる。毒にかかっているのにそういう自覚がないままHPが徐々に減っているような感じね。
 

「休む」ということをしっかりやろうとおもったら、まずは他人が自分に向ける「要求」からしっかり離れる必要がある。
仮にお休みをしたとしても、その環境に応えるべき「他者のニーズ」があるうちは、それを満たすのに手一杯になってしまうのね。真面目だから。
 

そこから離れて、「自分のニーズ」を再発見し、満たしていくということをやっていく。
そういうことができるようになって初めて、自分のニーズと他人のニーズのバランスをとれるようになっていく。
 

休職や適応障害を何度も繰り返してしまう人は、「他人のニーズ」>「自分のニーズ」という状態が解消されないまま、HP(体力)だけが回復して復帰していくから、元の環境に戻っても、働くたびにHPが減っていくという状態から抜け出すことができない。 
 

我が身を顧みず相手の期待に応えるような働き方は、140試合あるペナントレースなのに一人だけ夏の甲子園を戦っているようなもの。
腕が折れても肩が外れても、痛み止めを打って自分の感覚を騙して出場を続けるようなやり方は、最大瞬間風速的な一瞬だけのハイパフォーマンスが出るけれど、持続力がない。これを僕は、「一人甲子園状態」と呼んでいる。
 

休んだりすると、罪悪感が湧いてきたりするんだけど、それは言ってしまえば「他人のニーズを満たしていないことによるおさまりの悪さ」とどう折り合いをつけるかという問題なんだよね。
 

「おやすみ」をしているときに一番大事にすべき問いは、「何が自分の心を栄養しているのか」だ。
とにかく、それを知ることが最優先事項。
 
 
まとまった時間をつかって、うまく「休む」ことができれば、それは生き方のデザインを変えることになる。
より「楽しく生きるため」のチャンスタイムになる。
力の注ぎどころと抜きどころを見直したら、前と同じようではない、違う頑張り方が見つかる。だから、「元通り」を目指すことを前提としなくていいんだよね。


ちょっとした改善(マイナーチェンジ)でしのいでいくのもいいけど、せっかくなので、「フルモデルチェンジ」のタイミングにしてあげたほうが、あとあとラクになるし、豊かさが増すと思うのですよ。



じゃあ、自分のニーズを再発見していくためにどんなことをしたらいいのか。それはいろいろあるんだけど、そこに大きな力を与えてくれるのが、「自然」と触れる行為なのね。自然が人間の心身に与える好影響がいろんなエビデンスとして出てきている。


とはいえ、僕自身は虫が苦手だったり、現状自然とのふれあいは「どうぶつの森」程度という圧倒的な自然初心者なので、そこの体験知をもっている人の体験談なんかも聴きながら、深めていけたらいいなとおもってる。

僕は基本理屈と形から入るタチなので、いろんな医学や自然科学的な知見とかもまじえながら、「休むこと」「あそび=余白」のことを考えていけたらいいなと思っています。


あそびが大事なので、ゆるくやっていこうと思います。
あらためて、よろしくね。


あと、ひとつ謝りたいことがあります。
もともとこの企画は定期購読マガジンにしようかと思ってたんだけど、「休みマガジン」だけに、もうちょっと心に余裕を持って内容を考えたいのと、うちに来てる患者さんとかにも気軽に見てもらいたいなと思ったので、不定期の「無料マガジン」でつくりなおすことにしました。


いま買ってくれている人にはとっても申し訳ないので、なにか埋め合わせを考えたいと思います。
今後ともどうぞよろしくおねがいします。

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