アメリカで小説を出版するまでの道のり

日本には文芸誌主催の新人賞でデビューする作家さんが多く、それはまさに筆一本で勝負しているわけだからある意味とても平等に思える。

それに比べてアメリカで多いパターンは創作学科の大学院を出て、(できればアイオワ大学などの有名どころ、)そのあとエージェントを見つけて、(芸能事務所のようなものでこれがよければ一年ほど、ひどい時には一生かかる、)そのエージェントを通して出版社に売り込む(編集者は名も無い新人の作品をスラッシュパイルと呼ばれる一番優先順位の低いグループに積まれる)と言うステップである。

この間に入っている人々(大学入学選考者、エージェント、編集者)はアメリカではゲートキーパーと呼ばれ、最近ではその人種の偏りに大変問題視する声が上がっている。(2019年Lee & Low Booksの調べでは出版関係に勤める73%が白人で、編集者は白人が83%から85%と増えている。私からのリクエストとしては学歴の調査も是非してほしい。)

創作学科の大学院は、そこに入るのための競争率がまた半端でなく、入れたとしても高い学費を払って学業に励み。卒業しても出版斡旋をしてもらうわけでもなく、(学部のゴールは「自分のヴォイスを見つける」従って芸術のサポートで出版のサポートではない、)その上、仕事につけないような学科を出ているため、生活は常に綱渡りである。もちろんその前に4大を出ていなければならないので、大学にいけない人はすでにこのコースからふるい落とされている。資本主義の国アメリカ、作家への道もお金がものを言わせる。ちなみにアメリカの大学受験も大変お金がものを言わせる。ダニエルゴールデン著作『The Price of Admission』やマイケル・サンデル著作の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を読んでいただくとわかると思う。この本をよんだ後、私はそんなボンボンの一部と思われるのは恥ずかしいから有名大学には入学しないでくれと、もうすぐ受験生の息子に頼んだ。彼はそんな頭は持ち合わせていないから安心してくれとなだめてくれた。

この業界に身を置いていて最近よく思うことがある。このエリートシステムから生まれた作品に人の魂を震わせるものがあるのだろうか?作家は知らない相手の身になって描くのだから、エリートが書いた貧乏人、白人のかいたアジア人の小説だって理論上は成功する。でも、それでも私は少し寂しい。もちろん、昔も今も貧乏人は小説家になるのに苦労しただろう。それに文学はいつでも絶滅危機にさらされている。誰も書かなくたって世界は回る、書かれたことのないお話なんて今更ない。

それでもやっぱり、スラッシュパイルの中に創作学科を出ていない作家の原稿を見つけると私はそれを優先してよんでしまう。小さな抵抗だけれど、それが私ができる最後のプロテストだから。

ちなみにNetflix で配信中の『The Chair ~私は学部長~』をぜひ鑑賞ください。アメリカの大学教授社会がリアルに描かれてておもしろいです。

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