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音楽生成AIは音楽家を殺すか?

音楽生成AI の脅威?!

結論から先に言うと殺されることはないでしょう。
ただし制作のプロセスや必要になるスキル、創作へのマインドセットは大きく変わるでしょう。

昨今suno.aiやudioなどの音楽生成AIが話題になり、僕自身も遊んだりしていますが、それまで特殊技能であった音楽制作が誰でもプロンプトで作ることができるようになり、相対的に音楽を作る・作れることへの価値が低下するのではないか?という論旨の議論がされています。

そういう気持ちになってしまうことは理解できるのですが、既視感ある話題だなぁ、というのが正直な僕の気持ちです。
ここら辺は以前の記事に書きましたので、お時間あれば読んでみてください。
https://note.com/uske/n/n4847551a7952

・プロセス

自然言語でコンピュータに指示を出すプロンプト・エンジニアリング。
バンドに例えるとわかりやすいかもしれません。
ギターを弾けないボーカリストが書いてきた曲を、スタジオでギタリストに
「あの曲みたいな雰囲気で弾いて、もっと激しく・優しく弾いて」
と頼む先がAIになったと考えるといいでしょう。
これが歌詞やアレンジ、ミックスと制作全般にわたり、それぞれの工程に意見をもらうことができるパートナーがいるイメージ。
しかもスタジオに遅刻したり、突然音楽性の違いで脱退したりしない相棒。これは共同作業の一つの理想形かもしれません。

・スキル

メロディーに沿った和音を付ける、リズムアレンジをする、ミックスで適正なバランスをとる、譜面を書く…etcのような部分はAIに任せることができるようになるかもしれません。
そのような世界で大事になるのは
何故このリズムにしたか?
   何故この歌詞なのか?
     何故このコード(和音)をつけたのか?
が伝わる音が作れること、そしてそこに時代との整合性が存在すること。
その人にしかできない表現、いわゆる作家性なのではないか、と考えます。
それまで肖像画などで需要があった画家が、写真の発明によって写実的な表現から一時離れ、印象派やキュビズムのように写真に撮ることができない心象風景や3次元を2次元に封じ込めた絵画。そんな新しい表現が音楽にも表出してくるのではないかと期待しています。

・マインドセット

ここが一番難しい部分かもしれません。
上記に述べたような理由で、今までクリエイティブだと思っていた作曲・作詞・編曲・ミックスという一連の作業が実はスキルだった、ということが突き付けられた時にどう振舞うか?何を是とし、何を否とするか?
スキルは学習可能。実際に上記の項目は学校で教わることができるので機械学習でAIにも習得は可能でしょう。疲れ知らずのAIには生産性では勝ち目はありません。それを認めたうえでどう振舞うのか?

電気で音を作るシンセサイザーの音は冷たい、打ち込みの音楽には魂がない、と言われたテクノ。そんな歪んだ音はギターではないと評価されたロック。そんな時代を乗り越えてきた先人たちの振る舞いが参考になるかもしれません。
常に自由で先入観をもたない。自分が良いと思うものを信じる。
ここにきて途端に精神論になるのが自分でも可笑しいですが、これがすべてなのでは、と。

ここまで生成AIについて比較的ポジティブな面を書いてきましたが、学習データや生成物の著作権ガバナンスなど解決すべき問題、議論すべき点は多数あるのが現状です。
ただこういった点を踏まえたうえで先入観を持つことなく、新しい表現の可能性を探っていくことがクリエイターの使命ではないかと思っています。
というかそもそも感度が低いクリエイターって需要ないのでは?

ということで音楽家は死なない。

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