日本に二大政党制が根付かない理由

たまたま見かけた記事なのだが、ちょっとおもしろいことが書いてあったので、紹介したいと思う。

デュベルジェの法則は有名だし、少し検索すればいくらでも解説があるし、高野さんの記事にも解説が書いてあるので、説明は省くが、デュベルジェの法則が機能しない場合があるという。

(前略)ある一定の条件下ではデュベルジェの法則は働かないのだ。それは第一に特定の地域に根差した小政党が存在するときである。これは先ほど触れたスコットランド国民党の例が挙げられるだろう。そしてもう一つが、国政選挙と地方議会選挙の選挙制度が大きく異なるときである。なぜだろうか。仮に地方議会選挙が獲得票数の比に応じて議席が配分される比例代表制だとすれば、そこではデュベルジェの法則は働かない。つまりそこでは小政党であれ議席を獲得できるのだ。しかしだからといって国政とは関係がないと思われるかもしれない。だがここが重要なのだ。小政党は小選挙区制のもとでは当選できない。そうなると必然的に活動資金を得ることができず、じり貧になっていく。しかし地方議会で議席を獲得できれば、そこを足掛かりにして活動を継続していくことができるのだ。だからこそ地方議会選挙と国政選挙で選挙制度が異なれば、デュベルジェの法則は働かなくなってしまうのだ。

デュベルジェの法則が働かない2つの原因として最初に挙げられてるケースは、日本で言うと大阪維新の会や都民ファーストの会などが挙げられるが、いずれも2010年以降に現れた流れで、今後も根付くかどうかはわからない。しかし2番目の理由は完全に日本に当てはまる。都道府県議会選挙は中選挙区制だし、市区町村議会選挙は大選挙区制で行われているところが多い。政令指定都市では中選挙区制が採用されているが、それ以外は人口60万人の船橋市ですら大選挙区制だし、もっと言うと人口90万人の世田谷区でさえ大選挙区制なのだ。

最近は勢いを落としつつある「NHKから国民を守る党」も、この大選挙区制のメリットを最大限利用して各市区町村に議員を誕生させ、その力で参議院でも1議席を得た。ちなみに参議院の比例代表は変則的な大選挙区制度と考えて良いと思う。特に2001年に非拘束名簿式になってからその傾向は強くなっている。

あるいは、「日本第一党」や、中核派系の市議や区議が誕生するのも、大選挙区制のシステムあってこそだ。

要するに日本はいくら国政選挙(しかも衆議院)だけを小選挙区制にしても、地方議会が中選挙区制もしくは大選挙区制のままなので、弱小野党がしぶとく生き残り(社民党が未だに潰れていないのを見ればわかるだろう)、それが二大政党制の実現を阻害している、というわけだ。

もちろん、そうした事情は非常に大きいと思う。先日の都議選でも第5党に甘んじ、しかもそれを喜んでる(議席が倍増したため)政党が、国政では二大政党の一翼気取りでいるのはとても滑稽だ。11年前、野党だった公明党が与党だった民主党に向かって「地方議会を見ろ、日本は二大政党制ではなく三大政党制だ」と啖呵を切ったことを私は今でもよく覚えている。当時、民主党はマニフェストの1つに「地域主権」という、よくわからない言葉を掲げていたが、地方に権限を移せば結局、地方に大きな議席を有している自民党と公明党を喜ばせるだけではないか。民主党政権はそれを分かっていたのかどうかは知らないが「地域主権」は掛け声だけで終わった。

だが、それだけが、日本に二大政党制が根付かない理由だろうか。私はそうは思わない。

たとえば東アジアのある国では、政権与党が不正を働いたとしても、別の選択肢がないとして相変わらず与党を支持する人が多いそうだ。そうした状態では不正をしても支持率が下がらないため、与党は不正をし続けることになる。しかし、明確に対抗者が存在する二大政党制の国では、与党が不正を働いたり大きな失敗をしたりすると、もう一方の野党に票が流れるため、そうした不正や失敗に対しての注意が高まるのだ。

これは明らかに日本のことを指して言っていると思うが、はっきり言ってこのような言論がまかり通ること自体が、二大政党制の阻害要因の1つになっていると思う。

日本は国際基準で見れば政治家の汚職は極めて少ない国であるということが有権者に知られていない。そして、自民党は汚い、自民党は汚れている、自民党は悪徳である、といった報道で溢れている。こうした報道は、自民党がの議員が汚職に走ることをある程度抑止する効果もある一方で、あまりに過度な自民バッシングは野党にもブーメランとして突き刺さる。保守系ユーザーによる蓮舫議員や山尾志桜里議員らに対する行き過ぎたバッシングも、「やられたらやり返す」「ダブスタは許さん」という感情に突き動かされてのものだと考えるべきだと思う。

ましてや、「モリカケサクラ」のような、そもそも汚職でもなく利益供与でもない、法的にも道義的にも全く問題のない話を、政権を倒すために色々ろこじつけて自民=悪党みたいな印象操作をして、嘘がバレても謝罪すらしない今のマスコミは、あまりに左に偏り過ぎている。

特定秘密保護法、平和安全法制、対テロ法などでもマスコミは共産党の機関紙と見間違うような極端な主張ばかり並べて自民党への反感を煽り、立憲民主党も報道に引きずられて共産党と一体化してしまった。これでは国民から「国政を担いうる政党」と見てもらえないのは当然である。

第二に政権の枠組みを有権者が選択できるため、結果に対する予見性が高まるということだ。多党制の国では単独で過半数禾気が獲得されにくいため、選挙後に政党間の駆け引きによって連立与党が形成される。そこには政党の政策上の妥協が生まれるため、かならずしも有権者が実現してほしいと思って投票した当の政策が実現されないこともありうるのだ。しかし、二大政党制においては、多くの票を獲得した与党の政策がストレートに実現されるのである。

まさにこれこそが、日本に二大政党制が根付かない理由だ。「与党の政策がストレートに実現される」ということは、裏を返せば「与党を支持しない人が望まない政策がストレートに反映される」ということでもある。51vs49で決着がついた時、49の民意は否定されるのだ。こんな恐ろしいことはない。だから、自民党にお灸を据えたくても、極左じみた報道に影響され、共産党と一体化している立憲民主党にだけは絶対に投票したくないという人が増えるのだ。

もちろん、51で勝ったからといって49の民意を無視するのは、本当の意味での民主主義ではない。少数派の意見にも耳を傾けろ、という言葉は、リベラルを自称されている方々が常々発していることだ。今の自民党だって決してそんな乱暴な政権運営はしていない。逆に野党のほうこそ「横暴な自民党」を演出するために、姑息な手段で審議拒否や疑似妨害を繰り返している。

だが「二大政党制は与党の政策がストレートに反映される」と主張する人が政権を獲ったらどうなるか。事実、菅直人氏は首相だったときに「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだ」と言い放った。

実際に、菅直人氏の主張に近い政体を採る国がある。韓国だ。韓国の大統領は日本の首相とは比べ物にならないくらい強い権限を有していると言われている。日本では、安倍政権や菅義偉政権を「強権的」などと批判する人が一部にいるが、韓国の大統領はそんなもの比較にならないくらい強権的だ。だが、強権的な政治は恨みも買いやすい。韓国の歴代大統領が退任後に総じて皆不幸になっているのも、強権的な政治を行った反動なのだろう。

日本の民主党政権も、多くの国民から恨みを買って、最後に国民からその恨みを晴らされてしまったわけだ。「民主」と名乗っている割には民主主義に対する理解が浅いから、そうなってしまったのだ。彼らが政権を獲ったとき、まるで革命でも成し遂げたかのように彼らは舞い上がっていた。天狗になっていた。そして「与党の政策をストレートに反映」させようとして、恨まれた。いくら党名ロンダリングしようとも、当時の幹部クラスの顔ぶれがほぼそっくりそのまま残っているのだから、彼らが信用されるはずがない。しかも、大恩あるはずの連合に対して「リアルパワーは共産党だ」などと言って面子を潰し、共産党との一体化を進めるようでは、なおさらだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?