卑賎でsinな平和主義

こういうコラムを読むと、虫唾が走るので、ついボコボコに論破したくなってしまう悪い癖。どうがご容赦されたい。

まず、この人のプロフィールからしてツッコミどころ満載。

資本主義経済を超える、新しい分配共有型経済と共生社会を形成し、未来社会を実現するために具体的な内容と、その工程表を公表していきます。また、荒廃した日本の政治の問題点を指摘し、どうすれば正しい民主主義政治が取り戻せるかも、考えていきます。、

「超える」だの「新しい」だのといった修辞に溢れてますが、こうした修辞に頼る人は、まずだいたい論理的思考ができない人が多い。それに「正しい民主主義を取り戻す」とか言ってるけど、日本にかつて「正しい民主主義」が存在したのか?と聞いてみたいですね。

さて本文。

 戦後の日本国憲法は世界の歴史の中で、人類史上唯一の非戦と平和の実践を唱えている憲法だ。

要約すると、日本スゴイ、ですね(笑)

でも、そんなにスゴイ憲法なら、他国も追随しそうなものですが(笑)

これは、世界規模でグローバルに世界平和を日本が積極的に推進しようという非戦条項だともいえる。世界さらには人類史上で積極的に平和を主導できることを憲法で訴えている、

力なき正義は無効であり、正義なき力は暴圧である。

ブレーズ・パスカルという哲学者の言葉です。この人は「人間は考える葦である」という言葉でも有名です。

世界平和という正義を積極的に推進するためには、力が必要です。

力なき(世界平和という)正義は、無力です。

無力である日本が、積極的に平和を主導できるはずがありません。

事実、過去70年間、全くとまでは言いませんが、ほぼ何も主導できていません。

この事実から目を背けてはいけないと思います。

そもそも「積極的平和主義」とは、安倍前首相が好んで使っていた言葉です。

この方はおそらく安倍前首相の政策(特に軍事・外交政策)には反対していたと予想しますが、なぜ安倍前首相と同じ言葉を使うのでしょう。不思議ですね。

ところで、1946年、日本共産党はこの憲法に反対していました。当時の野坂参三参議院議員の言葉を引用しよう。

『われわれは民族の独立をあくまでも維持しなければならない。日本共産党は一切を犠牲にして、わが民族の独立と繁栄のために奮闘する決意をもっているのであります。要するに当憲法第二章(第九条)は、わが国が自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえにわが党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない』。

この野坂議員の指摘は、非常に正鵠を得ています。事実として、今の日本はアメリカの言いなりです。それは、正規の軍隊を持っていないからです。

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アメリカのいいなりをやめるには、憲法9条2項を改正する以外ありません。

さて、本文に戻りましょう。

世界の模範となるべき価値のある憲法ともいえる。

日本は、戦力を放棄したと言いながら自衛隊を有しています。これは、日本は自国の憲法すら守れないペテン国家です、と世界に発信しているも同然であり、世界の模範どころか、世界に顔向けできない現状です。

集団的自衛権の個別的解釈を積み上げたり、自衛隊は軍隊ではなく先制攻撃をしない防衛軍だなどと武力を拡大し、あるいは戦争へと荷担し、さらには攻められたら無防備ではいられないから、核武装も辞さないことを正当化していくような、けちな思想ではない。

おやおや、そもそも戦力を放棄したと言いながら警察予備隊を組織し、さらに保安隊、自衛隊へと拡大解釈を重ね、さらには国連平和維持活動への参加まで憲法の拡大解釈で容認してしまったことには一言も触れないのでしょうか。

憲法の拡大解釈をダメだというのであれば、そもそも自衛隊の存在すら許せないはずです。ここは1つ、自衛隊をなくすか、憲法9条をなくすか、二者択一の国民投票で白黒つけませんか。

また、頭の古い現在の政治家達では、軍拡抑止を連合軍が図り、日本が二度と戦争を起こさないように盛り込んだ作戦だと考えている。しかし、そんなチャチな思想でもない。

はい、みなさんおなじみの「新しさに訴える論証」ですね。

古い=間違っている、新しい=正しい、という論理のすりかえを行う、典型的な誤謬のひとつです。

つまり理想主義の上に立ち、腹を据えて世界平和を積極的に推進していくことを宣誓しているのが、この日本国憲法第9条だ。

「理想主義の上」…意味が分からない(笑)

ただ、どうやら現実主義には立脚していない、ということだけはよくわかります(笑)。

では、政権与党の自民党は戦後与党として何をしてきたのか。結局は、その場しのぎの場当たり的解釈の積み上げだけで、ごまかしながらも徐々に武装化を拡大してきてしまった。

しかし、それは大きな間違いだったといえる。野党も同様で、口先だけの平和主義であった。それは、なんら実践的なものではなく、しかも積極的な世界平和実現のための努力をし、あるいは国連や世界各国に軍縮を訴えて実効性のある行動を取っても来なかった。

表向きは極的平和外交を訴えながら、二枚舌よろしく陰では武装力を増強し、しかけられたらいつでも戦争ができるように法整備も武装化も図っておく。こうしたたぐいの論理では戦後の憲法理念を守ることなどできない。

この部分は、ある意味おっしゃるとおりです。それが間違いかどうかは別として、日本の政治家たちは、憲法9条の理念をないがしろにしてきた。

私は、こうした選択を採ってきた政治家たちに拍手を送りたいと思います。政治家が守らなければいけないのは憲法理念ではなく国民の命です。国民の命と憲法理念、どっちが大事ですか?言うまでもないよね。

核兵器削減を非核保有国中心に組織し、核保有国への軍縮を訴える。あるいは国連に軍縮委員会のリーダーとして積極的に働きかける。こうした積極的な平和推進に取り組み、世界の平和維持と戦争廃絶に貢献していく。こうした行動こそが、積極的な平和主義の真の意味だ。

ただ訴えるだけで、核保有国が核兵器を捨ててくれるなら、こんな楽チンなことはないですね。のび太がジャイアンに貸したものを、ただ「返せ」と訴えるだけで返してもらえるわけがないでしょ。それと同じことです。

それこそが戦後憲法の精神であり理念であるのは、憲法を読めばすぐにも分かることだ。こうしたことをやらずに、大国主義の発想で再び戦争国家の道を歩もうなどとは、とんでもない誤った選択だといえる。国民を再び戦禍におとしいれるのが、安倍戦争内閣の右翼自民党政治に他ならない。

精神や理念はそうなんでしょうが、現実はそうじゃない。

結局、あなたの言っていることはただの精神論であることを、あなたは自ら白状されておられるわけですよ。

右翼も左翼も精神論が大好きという意味においてはそっくりなんですね。


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