ナイキCMを批判してはいけない理由

1.表現の自由

そもそも、抗議や圧力によって他者の表現を潰してしまっては、パヨクやフェミナチと同じになってしまいます。「あいちトリエンナーレは税金の使い方の問題」というアジェンダ設定も説得力を失ってしまいます。ナイキを批判することは自殺行為です。

2.そもそもナイキは日本を批判してない

単に、難しい立場にあるマイノリティーを応援しているだけです。なのに、勝手に自分たちが批判されたと思い込んで発狂し罵詈雑言の限りを尽くすのは、「やっぱり差別があるんじゃん」という証拠と見られてしまいます。これもやはり自殺行為。そう見られないためにも、ここは平然と受け流すべきです。

3.陰謀論

このCMを「日本を貶めるために狙い撃ちにしたプロパガンダ」と主張する人がいますが、全然違います。

元々は、2016年にあるNFLの選手が人種差別に抗議するために国歌斉唱の際の起立を拒否して、その後、事実上引退状態となりました。2018年、ナイキ社はその選手を起用して、反差別のメッセージを全面に打ち出したCMを制作したところ、同社の製品が爆発的に売れた、という経緯があるのです。

ですので、日本でも同じことをやれば売れるだろう、と安易に考えたのかどうかは分かりませんが、そういう経緯があった、ということは頭の片隅に置いておく必要があると思います。少なくとも、日本を貶めるための策謀だとか、そういうことではないです。

4.若い世代の反応

マンガ嫌韓流がリリースされてから既に15年が経ちます。あの頃、若者だった我々も、もはや若者ではありません。そして現代の若者は、韓流ファッションやK-POP、新大久保など韓国文化に親しみを感じており、はっきり言って我々とは明確に温度差があります。我々はこの温度差を埋めていく作業をしていかないと、ただ怒りの赴くままに韓国叩きを続けていると、間違いなく「老害」となってしまいます。もちろん韓国を批判するなと言っているのではありません。韓国批判にも、作法が必要だということです。差別やヘイト、デマ、汚い言葉遣いなどは論外。また、韓国文化や韓国芸能人を叩くのもご法度。あくまで批判は政治的な問題のみに限定するべきです。

正直、こうしたギャップは私は10年前くらいから感じていて、10年前と言えばKARAや少女時代などが一世を風靡していた頃ですが、その頃からでさえもうすでに10年経っているわけです。未だにこうした時代の波を読み取れず「私はネトウヨだ」と開き直っている人も少なからず見受けられますが、それではダメだと思います。単にヘイトを撒き散らして自身の鬱憤が晴れればそれで満足という人はそれで良いのでしょうが、それこそ「余命三年」しか残ってない方ならいざ知らず、今後何十年も余命が残っている人にとっては、それは自殺行為です。世の中を変えるためにはどうするべきか真剣に考えていただきたいと思います。こんな偉そうなことを言っている私ですら、一歩外に出ればネトウヨ呼ばわりされてボロカスに叩かれる世の中ですから、意見の合う仲間だけで褒め称え合っている方が気持ち良いのは分からないでもないですが、そんなことを繰り返していてはますます自分の居場所が狭くなるだけです。私は何も、リベラルに迎合しろと言っているわけではないんです。信念までは曲げる必要はありません。主張すべきことさえ主張しないというのは明白に誤りです。ただ、言い方とかTPOとかを考えたり、批判対象を限定したりすることが大事だと、そういうことを言っているだけです。

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