ありがとうはすみませんの代わりではなかった話


自己肯定感が低くて、他人に迷惑ばっかりかけている気がして、すみませんと言ってしまう癖が付いた。
すみません、だと相手が喜んでくれないことに気付いて、ありがとうと言い換えるようにした。
これはそういう、感謝を言う度に申し訳なさが滲んでしまう人のための文章です。(つまり僕のことですね)

僕は去年、プロジェクト立ち上げを支援するプログラムの企画と、運営をしていました。
プロジェクトでも有志団体でも、起業でも複業でも良いから、自分がずっとやりたいと思いながら後回しにしていたことを"いま"始めよう———という枠組みとして打ち出したところ、予想外に幅広い年齢層の方々に興味を持っていただき、
起業に興味がある中学生(興味持つの早い…すごい…笑)から、
僕よりずっと年上の、自分の両親と変わらないような歳の方まで幅広い年齢の方にご参加いただけることになりました。様々な素晴らしい方々のご協力によるもので、すごく幸運なことだったと思います。
(どうして企画しようと思ったのか、は別の機会に書くことにします)

その企画のおかげで、ぽんこつの自分にしては珍しく、多くの方にお礼を言われたり、言ったりする機会に恵まれました。(どや顔できる感じではなく、人生のモテ期が偶然たまたま今訪れたみたいな感じです)
その時に、僕は表題のようにありがとうという言葉の使い方を間違えていたことに気付きました。

僕は長らく、ありがとうという言葉は自分のミスとか、足りない点とか至らない点を他の人に埋め合わせてもらってしまった時に使う言葉だと思ってきました。だから、ありがとうと言われる人はありがとうと言う人よりもいつも格上でした。
感謝と謝罪と免罪符を混ぜこぜにして、すみませんという言葉の代わりに、僕の「ありがとう」は使われてきました。基本的に僕は言う側です。言われる側になってしまった時には、僕は何もしていないことを律儀に相手に説きました。(大丈夫か自分…。)

ただ、先述のプログラムを企画して、自分よりもずっと年上の人たちや、むしろ僕のほうがお礼を言いたいような人たちにも、お礼を言われる機会が増えました。
「こんな嬉しいことがあったんです。企画してくださってありがとうございました。」
僕は困惑しました。僕にとって、イベントやプログラムが実際に形になるのは、参加してくれる方がいるからだし、僕が相手に与えられたものはほぼなく、僕ばかり学んで経験をもらってばかりだったからです。何故だ。お礼を言うべきは自分だし、そもそも皆さんは自分のために参加したのであって、僕の存在など気にしていなかったかもしれない。だから、僕の方からお礼を言うことも、そもそもおかしいのかもしれないとも思いました。

プラットフォームを作った人にとって、恩着せがましく前にしゃしゃり出てくることはご法度になりがちです。
例えば、このnoteは素晴らしいサービスですが、「忘れてるでしょうけどあなたが普段文章でやり取りできるのは僕らのおかげですからね」なんて表示が頻繁に出てきたら、使う人の気持ちは冷めてしまいます。目指している「クリエイターと読者を繋ぐこと」に思い切り水を差す形になっちゃう。
だから、僕にも、お礼を言う機会も言われる機会もないって思ってました。
(これは、裏方で奮闘する方々には感謝すべきでないという主張ではありません、念のため。)

わざわざ声をかけてくれた方々がいたことは僕にとって驚きでした。今までとは違って、回数が増えると、一つ一つ律義に説くこともできなくなってきます。代わりになんて返せばいいのかも分からない。
ということで、何で両方がお互いに感謝するという現象が起こるんだろうと改めて考えてみました。
片方が「してやった」、もう片方が「してもらった」と思う関係性なら、片側からの感謝しか生まれないはずです。
そもそも上で言った通り、場を作った人と、そこで何かを作り上げる人の間には、関係性があるようでないのです。(と、思っていました。)

お互いに迷惑を掛け合ったからお互いにありがとうと伝えるのでしょうか?
違います。僕らはそんな関係性ではありませんでした。
彼らのありがとうはもっと光が差すような、晴れやかさがあったなー。
そこで気付きました。僕はすみませんの代わりにありがとうを使ってきて、いつのまにかそのことも忘れていたことに。

感謝とは別に因果関係から生まれるものではなくて、ただ「伝えたいと思うから伝える」のが自然な感情なのでした。何の縁も関係性もないとしても、そこでお礼を言うことには何の不思議もないのです。
何か自分にとって素敵な出来事が生まれたときに、人は心が震えて感謝という感情が湧き出して、その気持ちを誰かに(特に共にそれを作った人に)伝えたくなるのだと、彼らのありがとうから知りました。

ということで冒頭に戻ります。
すみませんをありがとうに代え続けると、いつかお礼を言われた時に戸惑ってしまうかもしれません。
もし今は無理でも、"してしまった自分"ではなくて、"彼らが起こした出来事や行動の素晴らしさ"にたまには心をときめかせてみてもバチは当たらないと思います。
また戸惑う時が来たら、その心のときめき=感謝に身を委ねて、満面の笑みで次は言ってみようと思います。「こちらこそありがとう!」と。



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