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記憶の共同体


もうひとつ、自分が設計するときに意識していることについて

共同体について

共同体を営むことは生物として人間とそれ以外のものに隔てるものではない。
しかし、人間とそれ以外の生物の共同体の大きな違いは個体間の相互扶助の役割が大きい。人間は時にミツバチのように群れとして一体化することもあるが、基本的には利己的な存在である。そのような利己的な存在が、空いた両手で食料を共有することによって、お互いを助け合う共同体を持つ人間として進化してきた。われわれが文化を持つにつれて、視覚的に共有する情報も共同体をつくる上で欠かせないものとなる。それは神話や宗教を建物や体に刻むことで共同体意識を強くした。
有史以降の共同体は小さな村や都市の近隣によって形成され、江戸時代の農村では「ムラ」という共同体がそこに属する人々を支えあってきたことが良くわかる。そして明治維新後に富国強兵を目指した近代国家は、ムラではなく、家父長による家族を単位とする共同体を通して、国家という大きな想像の共同体に結び付けた。大正時代から、農村から都市への人口の流入は始まってきたが、物質的な貧しさと物理的な距離の限界があることによって、ムラではまだ共同体としての機能は残っていた。
戦後になり、国家という大きな想像の共同体は解体され、高度経済成長期を経て、人の流動化と自動車社会により近隣との共同体帰属意識は徐々に薄れていった。その分の役割を会社という共同体がとって代わった。そこでは年功序列型の上下関係によって、共同体は管理されてきた。バブルの崩壊後、会社という共同体は解体され、物理的な共同体帰属意識はかなり弱くなった。そしてほとんどの共同体がテンニースの予言通りゲゼルシャフトになってくる。
しかし、インターネットやSNSの普及によって、ネット上に趣味や思想の共同体が出来上がった。その共同体では、ゲゼルシャフト/ゲマインシャフトに区別することは出来なく、年齢、性別、契約、義務のないフラットな関係が作られた。そして共同体は「趣味」「ビジネス(お金)」「思想」など多様化し続けた。しかし各共同体が島宇宙化しており、検索結果が興味のあるものが先に出ることによって、「見たいものしか見ない」「見たいものしか見えない」という状態が強化された。そのことによって、「右」や「左」といった思想的な分断が明確に生じ、現在に至る。
高度経済成長期以降に社会システムの安定により、我々は物理的な危険を感じることが減ってきた。共同体は物理的環境の維持という面は弱くなってきたが、主体における精神的不安を和らげるものとして必要な存在とされ続けている。本当の豊かさは共同体というセーフティネットをいくつも多様に持っていることかもしれない。

共同体と建築

建築における共同体意識は、先ほど述べた通り、建築に神話や信仰を装飾として彫り込んだり、付加することから始まった。日本においてはアニミズム信仰により、岩や森まで崇拝の対象であったため、神社建築は仏教伝来まではそこまで建築に物語を入れ込む余地はなかった。しかし神仏習合によって、信仰を強化するための装飾が逆に過多となり、果たしてきた意味的役割は忘れられ、共同体としての役割は薄れていったと考えられる。しかしムラに神社が存在することで共同体としてのまとまりは維持されてきた。そして、民家や町屋などの発展によって建築がもたらす共同体意識は徐々に生じていったと言える。
そして行動経済成長期以降に風景や街並みが壊れていくことによって、そこに共同体としての意識があったことが再認識された。それまでは意識されないながら、日本中至る所に特徴的であると同時に心の安らぐ、街並みや風景が存在していた。それを失って、気付いたのは視覚的な共同体意識は集合的無意識の一部として潜在的に存在しているからであろう。視覚的な共同体が失われている地域は、コミュニティとしての共同体の意識も薄くなっていった。古い町並みが残るエリア、自分たちで形態の規制のある地域協定を作り作り出したエリアなどの共同体意識が強いのはそのためでもある。
町並みが壊れたことによって失われたものを、モダニズム建築の多くがガラスの透明性による内部アクティビティの可視化によってコミュニティの再復興を目指した。しかし、ガラスの物理的な透明性は、共同体の形成には結びつかなかった。結局は、東京ビッグサイトのように大きな箱を作り、コミケのようなイベントを行うことによって、一時的に繋がる共同体をつくることが都市では有効な手段となった。
近年の建築家は、そのような巨大な空間を作る機会は少なくなってきたが、小さな「場」をデザインすることによって多様なアクティビティを生み出し、小さな共同体をつくることに挑んでいる。それは巨大な都市に対するレジスタンスとして重要な役割を果たしていると言える。視覚ではなく、コトの繋がりを作ることは小さな共同体をいくつも作り出すことが可能である。小さな場のデザインでは、大きな開閉可能な開口や様々なベンチやテーブルのある場所のデザインなど、アクティビティからデザインする手法は特定の場所と人を選ばないという利点がある。また流動的であるがゆえにゆるいつながりを容易に作り出しうる。しかし、ジェネリック的な手段であるがゆえにそこは視覚として忘れやすい場所ともなりやすいし、長期的に継承される共同体をつくりうるのかはまだわからない。


視覚から記憶へ

近年インターネットによって得られる情報量が圧倒的に増加した。情報量が多ければ多いほど、その情報に感情が動かされ、すぐにその感情を忘れてしまうという心理実験の結果も出てきている。
内閣の支持率を見るとわかるように、集団的自衛権の問題,原発問題など色々と問題があるたびに人々は怒り、支持率を下げたが時間が経つと人々は忘れ、支持率も元通りに戻る。過去の怒りなどほとんどの人は覚えていない。人々の消費の対象はモノでもコトでもなく、感情となっていた。
そしてInstagramやYouTubeがメディアとして発達するにつれて、視覚情報の移り変わりはますます早くなってきている。Instagramは写真、YouTubeでは動画で、短い時間で我々の視覚を刺激することを可能にした。我々の視覚に訴える力は強くなったが、同時にその情報が多量であり、作られているものが、時間もお金もかけていないので良質なものが少ないがゆえに、忘れやすくもなった。記憶として継承されていかないために視覚からの共同体として成立しにくい。

その流れの中で建築として視覚に訴えていくことは避けられないが、忘れられない建築を作る必要がある。視覚的インパクトは大事であるが、それからは共同体が生み出せない。そのためにもう一度地域の記憶を掘り起こし、それを紡いでいく必要がある。地域をリサーチすれば、そこから様々な記憶を読み取れ、小さな風景や街並みとして未だに点として残り続けている。それは都市の中に潜んでいたリズムだったり、都市計画と人々の無意識的な営みによって浮かび上がった構成であったりする。時にはその地域特有のアクティビティによって形態が生み出されている。それらの点を糸として可視化し、共有される必要がある。
そしてその糸をテクストとして形態につないでいく。記憶から視覚につなぎ、記憶の共同体意識を再度作り出す。記憶を記録する。共同体の共感のあるものから作られるかもしれないし、設計者の主観から切り取られ、再構築されるのかもしれない。建築は視覚情報として可変的でないがゆえに記憶に残りやすいが、形態は可変的でないため慎重に検討していかなければならない。地域としての共同体感覚をもたらしてくれる建築は、潜在的に潜んでいた集団的記憶を呼び覚ますことを可能とするものである。それは「潜在的」であるがゆえにゆるいつながりであり、意識されないものかもしれない。しかし、現在だけではなく、過去から未来へと継承されていく。
今後作られるべきものは、20世紀の時代の建築と違って、形態としては決して力強いものではない。形態の力強さは無用なものと忌み嫌われるものとなっている。また技術的表現が全面的に表れるものでもない。新しい技術は、いつかは古い技術となり、忘れ去られてしまう。住宅など小さな建築でも記憶を継承していくことは可能である。むしろ小さな建築から時間をかけて作っていくことの方が始めやすい。

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