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あのとき自分はどう感じたのだろうか?

私は毒父、毒母にどんなことをされたか、どんなことを言われたか、は鮮明に覚えているんだけれど、あのとき自分はどう感じたんだろうか?という気持ちが分からないのです。
感じるのが怖くて、心に蓋をしているのかもしれません。
でもその傷ついた心=トラウマなんですよね。
私は過去にカウンセリングを受けたことがあって、親のことを怒ってことがあるのではありませんか?と突っ込んで訊かれて、心がツラくなりその後カウンセリングを続けることができませんでした。
思い出すことが怖い思いをきっといっぱいしてきたんだと思います。

毒父は3人の娘に対して、暴言・暴力・人格否定の激しい人でした。
私は長女で自己主張するタイプだったので、自分の思ったことを言うと猛烈に非難されました。
その時は、悔しい、怖い、という気持ちでいっぱいでした。
小学生の時には、理不尽なことを言われたり、暴力をふるわれるたびに「殺してやる」が口癖の怖い子でした。
その気持ちは大人になった今でも変わっていなくて、脳の病気で倒れ要支援になった毒父を、独居老人のまま一度も会うことも介護をすることも無く放置しています。
病気が再発し、今度こそ家で孤独死してくれればいいと思っています。

毒母は3人の娘に対して、あからさまなきょうだい差別をして育てていた人でした。
長女の私を召使いのように扱い、末の妹のことを溺愛していました。

家の中が散らかっていたり、食器が割れていたりすると、いつも私のせいにされました。
証拠でもあるの?私じゃないよ?と言っても信じてもらえませんでした。
犯人は毒母なのです!
すごく悔しかったです。

またよくお友達と比較されて容姿や学力や運動神経が悪いとけなされました。
学校の先生やご近所さんや親戚に私が小5で生理になったことを言いふらしていた時は、猛烈な怒りと恥ずかしさがありました。

私は長女で搾取子で愚痴のごみ箱でした。
夫の悪口、舅姑・実の母親の悪口、親戚の悪口、ご近所さんの悪口、私の友達の悪口…
私はあまり一生懸命に聞いてあげる娘じゃなくて、けっこう無視したり、反発していたので、「あんたなんて産まなければよかった」「あんたたちがいるから離婚できない」とよく言われましたね。
「親の勝手で子どもを作って産んだくせに」「産んでくれと頼んだ覚えはない」と心の中で叫んでいました。
とても傷ついていましたし、産まれてきたくなかったと思いました。

毒母は重度の精神疾患だったので、自殺未遂や拒薬やアルコール依存がひどくて、私はある日辛抱たまりかねて「お母さんの老後の面倒は絶対見ない!」と言い放ちました。
全体重をかけてぶっ飛ばされました。
毒母は自殺したのでもうこの世にはいないのですが、もし生きていたら、一切関りを持たず見捨てていたと思います。

いろいろなエピソードがあってこの章では書ききれません。
なので今回はざっくりと。
少しずつ吐き出して、心が楽になったらいいな、と思います。

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