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植田総裁はファンサするのか


植田総裁はファンサするのか

日銀会合が12月18-19日に予定されています。

そして毎回のようにメディア・エコノミストからマイナス金利解除の記事が発表され、夢は叶わず露と消えていきます。

金融政策の変更に関して植田総裁は「2024年の春闘における賃上げを確認したい」と明示しており、そういう意味ではこれらの記事はメディアなどの植田総裁のファンによる一方的なラブレターでしかありません。

例えばBloombergの某記者などは「日銀関係者によると〜」といった記事を出しては市場を動かしており、余計なことばかりする厄介なファンとして市場関係者から認識されています。

マイナス金利導入に反対していた元日銀関係者の方なども、日銀退職後にマイナス金利解除を叫び続けるなど日銀は愛憎渦巻いた状況に置かれています。

普通であれば逃げ出したいところですね。

しかし、中央銀行の責務の1つには市場とのコミュニケーションというものが存在します。

アイドルが日頃の言動でファンを引き付け収益を上げたいように、中央銀行は市場とコミュニケーションを取ることで金利や市場動向を管理したいのです。


アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)の議長を務めたアラン・グリーンスパン氏はこのコミュニケーションが秀逸で、ファンに思わせぶりなことを言いながら決して言質を取らせませんでした。

ファン達はグリーンスパン氏が会見で何を言いたかったのかを理解できませんでしたが、それでも会見には満足して氏を「金融の神様」「マエストロ」として持て囃しました。

このように、中央銀行のトップには市場とコミュニケーションを取る必要があり、時にはファンの想いに答えて何らかのサービスを行う必要があるのです。

では植田総裁がこの周囲からの声に応え、マイナス金利の早期解除というファンサービスを行うことはあるのでしょうか?

この記事では植田総裁が置かれている状況を整理しつつ、ファンサの可能性を探りたいと思います。

なぜマイナス金利解除が訴えられているのか

日銀が目指しているのは「2%の物価安定の実現」となります。

つまり、消費者物価指数が安定的に毎年2%上がって欲しい=緩やかにインフレして欲しいという話です。

ただし、インフレ率が2%を1度でも超えたから目標達成というわけではなく、あくまでも安定的に続くことが前提です。

ちなみに過去20年ほどにおいて、日本のインフレ率が2%を超えたのは2008年の6月から8月のわずか3ヶ月であり、セミの寿命よりは長いもののトンボの寿命と同程度の期間しか耐えられませんでした。

当時もエネルギーや食料の国際市場における高騰がきっかけとなっており、あくまでも外部要因によって達成した数字となります。

なお、年ベースで見れば1990年代に遡る必要があります。

日銀の掲げる目標がいかに高いものかがお分かり頂けるかと思います。


しかし、この絶望的と思われた2%という目標ですが、遂に2022年に2%を超える展開を見せました。

当初は前年あった携帯電話料金引き下げの影響によるものでしたが、その後も「値上げしても許される」と判断した各業界が駆け込んだこともあり、安定して2%を超えて推移しています。

過去の日銀会合では「日本人は全般的なコスト上昇を背景とした価格の引き上げは受け入れるが、そうでなければ物価の上昇は実現しにくい」という話が出ており、ある種の公正・公平さがないと日本でインフレは起きないという絶望感に包まれた議事録が残されています。

時が経ったこの時代になって、まさかそれが事実であったことが証明されるとは当時の日銀メンバーは誰も予想していなかったでしょう。

マイナス金利解除の声はこの状況下において時間と共に大きくなって来ました。

そこで政策変更のタイミングを当てて評価を得たいファンや、元々マイナス金利に反対していたファンなどはここぞとばかりにマイナス金利解除の記事を書き始め、今に至るという状況になっています。

そのため政策変更の成否、つまり「今マイナス金利を解除してもインフレ率は安定して2%を超えるのか?」という議論が後回しになっている面があります。

「今マイナス金利を解除できなければ今後チャンスはない」という意見も多く見られ、金融緩和や政策変更というものがそういう理由で決まるものなのかと疑問を抱く人も多いかと思います。

金利が欲しい銀行などはマイナス金利が発表された時から反対しているので良いのです。

しかし、過去50年においてファンサに応えて引き締めに転じるたび、金融ショックに襲われてきた日銀としては慎重にならざるを得ない面があるのも事実です。

実際に日銀は慎重な姿勢を崩しておらず、早く対処し過ぎてインフレの芽を摘むよりは多少遅れた方が良いとしています。

植田総裁がまともにファンサもできない塩対応のアイドルというわけでは決して無く、この両者の置かれている状況の違いが結果として温度差となって現れているわけです。

インフレが2%を超えることで問題があるのか

まず2%という数字には明確な根拠がありません。

どこの国の中銀も「なぜ2%なのか?」と聞かれていますが、「他国が2%にしているから」という回答で終わらせています。

ほぼノリだけで決まっている数字ですが、インフレターゲットというものは目標を設定することに意味があるのでこれで許されています。

事実アメリカのパウエル議長は最近「3%でも良いんじゃないの」という空気を出し始めました。

つまりあくまでも目処であって、2%を超えたから即座に引き締めしないといけないわけではありません。

加えて日銀が掲げるオーバーシュート型コミットメントとは、物価上昇率が目標値を行き過ぎるまで金融緩和の継続を公約するものです。

従って、2%を超えたからといってすぐに金融引き締めに向かう必要はありませんし、今植田総裁がマイナス金利を解除しないのも予定通りです。

また、そもそも日銀は長期に渡って2%を達成できていませんでした。

コロナによるサプライチェーンの破壊、ロシア-ウクライナ戦争による需要増加、海外における慢性的な高インフレがあって初めて2%に到達できたのです。

日銀も足元のインフレは海外からの影響によるものであるとしています。

「既にデフレではない」と言いながらも過去達成できなかった分を考慮すれば、多少インフレが行き過ぎても問題ないと日銀が考えてもおかしくはありません。


そして、継続的なインフレには必要なものがあります。

それはインフレに見合うだけの所得の増加です。

早い話が給料が十分に増えなければ消費が冷え込み、企業は物が売れなくなれば値下げせざるを得なくなりインフレを持続させることが困難になります。

アメリカのインフレが酷いのも給与増という下支えがあったからであり、中国はそれがなかったことでデフレへと足を踏み入れています。

植田総裁の「賃金と物価の好循環が強まっていくことを確認することが重要」というのはこの動きを指しているもので、このポジティブフィードバックが確認できればマイナス金利は解除してもよいと言っているわけです。

この点において日銀の説明におかしなところはなく合理的な回答と言えるでしょう。

11月の東京都区部消費者物価指数では、生鮮食品を除く総合指数が前年同月比+2.3%、生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数は前年同月比+3.6%となっています。

一方でイオンなどの小売店では値下げの動きも見られ、値上げによる消費の失速を警戒し始める企業が出現し始めています。

また、槍玉に上がることが多い円安にしても、ドル円は11月に151.9までつけていたのが今は142付近と下落。

日本が0.1%利上げするより、アメリカが1.0%利下げする方が影響が大きいという事実に目を向けられ始めています。

日本のインフレを支えてきたパーツは失われ始めているのではないか。

一般的に給与増の多くは転職によるものですが、アメリカほど転職が活発ではない日本では春闘の賃上げが重要になります。

日銀が頑なに「春闘の結果を見たい」と言っているのはこういった事情によるものです。

ファン最大手の日本政府から圧力はあるのか

一方でインフレによる世間の不満は政府にも向けられています。

実際に商品の値段が上がったのを見て人々はインフレターゲットの意味を理解したわけですが、だからといって素直に受け入れることはありませんでした。

インフレ対策を政府に訴えるのと並行し、国会などでは植田総裁などに円安の是正を迫る状況となっています。

しかし、日銀の政策は政府との共同によるものです。

日銀と政府はデフレ脱却と持続的な経済成長の実現のため、共同声明(アコード)を発表しています。

植田総裁が岸田総理の元へと訪れてお茶会を開いているのは遊んでいるわけではなく、政府との連携を確認するためのものになります。

従って日銀の裁量にも限度があり、そう簡単に好き勝手できるわけではありません。

日銀は独立機関ではないのかと言う人もいますが、大きな声で言わないだけで現実としては完全な独立などありえません。

金融大国アメリカに至ってはトランプ元大統領を筆頭に中央銀行へ堂々と圧力をかけており、中央銀行が独立であるというのは大人の建前でしかありません。

事実、中央銀行メンバーの選出は政治ネタとして扱われています。

日銀においても似たような話があり、普通に考えれば経済成長を目指すと言っている時に増税するようなことはしませんが、その時日銀は消費税増税を支持していました。

某元日銀副総裁は在任時に消費税増税を支持していたにも関わらず、後になって政策が上手くいかなかったのは増税が原因と言い出しています。

中央銀行の立場は独立とは程遠いのが実情です。

これまで日本政府は経済対策を後回しにし、日銀に丸投げする形を取ってきました。

ここで日銀に利上げを要請するということは経済の減速を意味しますので、ただでさえ経済対策に消極的な政府が今動くメリットもありません。

インフレ対策を叫ぶ人は多くいますが、肝心の経済が失速すれば今度は財政出動を要請してくるのは目に見えているからです。

政府としても賃上げを要求していることもあり、春闘の結果を見たいという日銀と同じスタンスを取っている以上、政府からマイナス金利解除の圧力があるとは考えにくいでしょう。

植田総裁はファンサするのか

日銀メンバーは会合以外でも講演に参加し、日銀の認識や足元の状況について話をしていますが、基本的には植田総裁と同じスタンスを取っています。

従って日銀内からの突発的な反抗勢力による方針転換というのも難しいでしょう。

FOMC数日前に発表された指標を見て気が変わって利下げの話を始めたと言い出すパウエル議長や、そのFOMC数日後に利下げの議論なんかしてないとウィリアムズ総裁が言い出すFRBのまとまりの無さに対し、過去一部の強硬派が持論を振りかざしたものの無視されて終わった日銀では総裁による組織統制の差は歴然としています。

基本的にパウエル議長は「データ次第、全てのFOMCがライブ」というスタンスを見せており、インフレの予想に失敗してきた経験に基づいて、予測ではなく事実に従って政策変更を適宜実施する方針を採っています。

監視する指標をいきなり変えたりするのは困りものですが、植田総裁の言う「賃上げの結果を確認したい」というのもパウエル議長と同じやり方になりますので、このやり方自体が批判される理由はありません。

一方、日銀会合の直前になるとメディアから様々な記事が発表されます。

日銀関係者がマイナス金利解除を検討しているという記事が発表されたかと思えば、数日後には現状維持が妥当という記事が出たりします。

これらのほとんどは功名やPVを狙ったものであり大体無視して構いませんが、「日銀によるリークではないか」という声も存在しています。

FRBがブラックアウト期間でも市場をコントロールするため一部メディアを利用して情報を流していることもあり、何か記事が出るたびに日銀もリークを疑われるのは仕方ありません。

事実、マイナス金利の発表直前に日経新聞がマイナス金利導入の記事を発表したという事件もありました。

ここで判断を難しいのがリークなのかそうでないのかという見分け方ですが、残念ながら「一部の特定メディアは飛ばし記事でほぼ確定」くらいしか言えません。

今マイナス金利解除を叫んでいる人の多くはこれまでも叫んでおり、解除されるその日か指標が悪化するまで叫び続けるでしょう。

インフレ率が2%を超えていることは事実ですので、「解除のタイミングが当たれば勝ち、外れても言い訳できるから損はしない」という状況にある以上、とりあえず叫んでおこうとなるのは致し方ないかと思います。

世間では日銀によるリークを咎める方も多くおられますがそもそも本当にリークなのかすら怪しい状況となっており、リークのような記事でも部分的にしか当たっていないなどメディア側の振る舞いを咎める方が良いのではないでしょうか。


日銀会合のスケジュールは12月18-19日、01月22-23日、03月18-19日、04月25-26日となっています。

また、これまで日銀は以下のように政策を修正してきました。

・04月:変更なし、金融政策のレビューを発表
・07月:YCC柔軟化として0.5%の上限超えを容認すると発表
・10月:YCC柔軟化として1.0%の上限超えを容認すると発表

この修正内容を見る限り、日銀は利上げと受け取られるであるマイナス金利撤廃には極めて慎重であり、各種指標の推移を踏まえて関係者からヘイトを稼いでいるYCCの柔軟化という道を選択してきました。

個人的な見解としては以下のような対応を取るのではないかと考えていますが、指標次第で話は簡単に変わります。

・12月:変更なし
ただ今まで通りの発言をしても、一部だけ針小棒大に取り上げマイナス金利解除への道標がどうこう言い出すメディアが出てくる可能性は高い

・01月:マイナス金利解除の可能性を示唆
春闘の事前情報などが流れてくるため、各種指標や結果が堅調であればといった条件付きで地ならしをする可能性は高い

・03月:マイナス金利を解除するのであればここの可能性が一番高い
春闘の結果を見て判断、賃上げが期待以下なら当然ながら解除は無し

・04月:この先からは指標次第
賃上げが期待以下であれば、インフレ率が大きく上昇しない限り引き締めに転じる理由がなくなる

春闘は概ね2月頃からスタートします。

事前に方針を発表する企業もいますが中小企業なども含めて判断したいところですので、全体を見通すならこの後となります。

2023年の春闘では5%程度を要求し結果は3.58%、定期昇給分を覗いても2.12%と高水準でしたが人件費の増加は確実に企業の体力を削っています。

植田総裁が黒田前総裁を超えるビッグアイドルになれるかどうか。

ここから4ヶ月ほどが正に正念場となるでしょう。


おまけ

今回マイナス金利解除の話をまとめましたが、YCCと合わせて銀行などから反対が多い政策となります。

Twitterでも国債を取引する機関投資家からは特に不評で、市場を焼き払われたこともあってかヘイトが集まっています。

目に見えやすい形で市場を抑圧している政策になりますので不評なのは仕方ありません。

政策の問題点についても色々と言いたくなる気持ちも分かります。

ただ、一方で国債はプロしかいない市場と言われていますが、米国債が5.0%までオーバーシュートし、そして砕け散ったことを考えれば結構ノリだけで動いているのも事実です。

彼らからすればボラティリティやモメンタムがあった方が稼げるという面があり、ある程度ポジショントークであることを認識する必要があります。

個人的にもマイナス金利は問題の多い政策だと考えており、インフレが安定的になればマイナス金利は撤廃すべきだと思います。

しかし、マイナス金利撤廃を訴える方は多くおられますが、インフレ率が低下したら再開すれば良いと言う方はほとんど見当たりません。

金融政策というものは時として無理を通さないといけないこともありますが、ある種の願望を押し付けるような形で決めるべきでありません。

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