市民ランナーの語源
「市民ランナー」とは何だろうか。
以前にもそんなようなことを書いたことがあるが、今回はちょっと違った角度から市民ランナーについて考えてみたいと思う。
「市民ランナー」とは、プロランナーや実業団ランナーではないランナーのことを指す俗語のようなものだ。
ゆえに、明確な定義があるわけではない。
ただ、市民ランナーの定義については、多くのランナーが関心を持つテーマの1つでもある。
そんな現状からも、私なりの考えを記しておきたいと思う。
さて、「市民ランナー」という言葉についていろいろ考える上では、「市民」という言葉についてどのような意味があるのか知っておく必要がある。
「市民」を国語辞典で調べてみると、次のように記されていた。
ざっくりと分類すると、
1と2は住民としての意味の市民。
市町村の「市」に住んでいるから市民ランナーというわけではないので、こちらは市民ランナーの語源ではないように思う。
3と4は西洋での階級社会の中での市民。
「シティズン」とか「バージェス (フランス語だとブルジョワ)」と言われる人たちで、いわゆる世界史で勉強した市民革命に登場する人たちである。王や貴族、領主に対する1つの階級であり、大富豪ではないもののある程度の資産や土地を持っていた人たちのことだ。
私は、この「シティズン」とか「バージェス 」を意味する「市民」こそが市民ランナーの語源なのではないかと思っている。
なぜか。
それは、王や貴族、大富豪などの特権階級に対して「市民」という階級があったように、マラソンにおいても特権階級とされる「エリートランナー」に対しての「市民ランナー」なのではないかと思うからだ。
そもそもマラソン競技は、今でこそ全国各地で都市型のマラソン大会が開催されるようになり、誰でも参加できるスポーツになったが、一昔前まではそうではなくて、福岡国際マラソン、びわ湖毎日マラソンのような標準記録を突破したエリートランナーにしか参加できないものだった。
もちろん、誰でも参加できるマラソン大会もあったとは思うが、そんなに有名ではなかったように思う。
つまり、マラソンは一部の限られた特権階級(エリートランナー)だけのものだったということだ。
それが、タイムに関係なく多くのランナーが参加できる都市型のマラソン大会が増えてきた。
エリートランナーでなくても、マラソンに参加できるようになったのだ。
それで、エリートランナー以外のランナーのことを何と呼ぼうかとなったときに誰かが「市民ランナー」と言ったのだろう。
つまり、「市民ランナー」は「非エリートランナー」ということになる。
いや、もっと言えば「市民ランナー」は「非エリートランナー」とされるべきだった。
そうすれば、「市民ランナーって何だろう」ってことにはならなかったのだ。
しかし、日本人は否定語を使うことを敬遠するところがある。
「非エリート」という言葉は相手に劣等感を与えてしまうため、イメージが良くない。
それゆえに「市民ランナー」という、いかにも日本人らしい奥ゆかしい表現になったのだろう。
市民ランナーを非エリートランナーとすれば、納得がいくことも多い。
例えば、実業団ランナーは選抜されたランナーの集団なので、当然エリートランナーであって市民ランナーではないということになる。
また、公務員ランナーや会社員ランナーの中にも、ずば抜けて速いランナーがいるが、彼らも市民ランナーではなくエリートランナーでいいだろう。何も違和感はない。
シンプルに、速ければエリートランナー、速くなければ市民ランナー。
それがタイムで勝敗を決める陸上競技らしくていいと思う。
では、具体的にどのくらいのタイムで走ればエリートランナーとされるのだろうか。
基準を決めるのは難しいかもしれないが、個人的には東京マラソンのエリートの参加基準あたりを採用すればいいと思う。
つまり、マラソンなら男子2時間21分以内、女子2時間52分以内だ。
これより速ければエリートランナー、それ以外は市民ランナー。
職業も働き方も関係ない。
とてもシンプルで公平ではないだろうか。
なお、「エリート」とは、ラテン語で神に選ばられし者という意味があるそうだ。
かつてのヨーロッパの王や貴族とは違い、ランナーはやり方次第では神に選ばれし者になれる可能性があるということだ。
市民ランナーについての考え方は人それぞれだと思うが、このようなアプローチも1つ有りなのではないだろうか。
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