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アマチュアの特権

本日の朝ランはマイナス12℃、参加者1名。

少し前にこんなツイートをした。

私の住んでいる長野県茅野市というところは、標高が高く、冬の朝は晴れることが多いため、1月、2月になると気温がマイナス2桁まで下がることも珍しくはない。

もちろん、走るのに適したコンディションとは言えないだろう。

そんな過酷なコンディションでトレーニングしたことを、わざわざツイッターに上げることに何の意味があるのだろうか。

そんなことを自問自答することがあった。

それは、

「こんなに寒い中でも走っています」という自己顕示なのか、

「私の住んでいるところはこんなに寒いんです」という地元紹介なのか、

「寒くてトレーニングが思い通りにできません」という言い訳なのか、

どれも一理あると思ったが、しっくりとこなくて、

自分の中では、「アマチュアだから」というところに落ち着いた。

なぜか、

プロフェッショナルが、こんなことをつぶやくはずがないからである。

もし、彼らが同じことをつぶやいていたとしても、それはまた別の意味を持つことになるだろう。

「こんなに寒い中でも走っています」という意味での発信は「当然だろ」となってしまうし、「私の住んでいるところはこんなに寒いんです」という発信は「環境を変えろよ」となってしまう。
「寒くてトレーニングが思い通りにできません」なんて以ての外だ。

そういう意味では、いかに厳しいコンディションでトレーニングをしたか発信することは、アマチュアの特権のように思う。

そして、その背景にあるのは、アマチュアは生活と地続き的ということだ。

そのあたりの「生活者」視点が、1つのポイントになると思う。

「旅先でこんな厳しいコンディションの中で走りました」とは、ちょっと意味合いが違うのだ。

自分の住む地域が過酷な環境だったとしても、その地で競技を続けていくことに意味があり価値がある。

それが、マイナス12℃の中を走ってきたという情報発信の真意だ。

プロの覚悟というのは、言うまでもなく立派であるけれど、アマチュアの「好きだからやっている」「お金を払ってでもやりたいことをやる」という心意気もそれに劣らず立派ではないかと、声を大にして言いたい。

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