心に潤いを

今、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、いろんな自粛が求められている。

そんな中で、天気がいいので走りに出かけたり、近くの公園に花を見に出かけたりしたり、自宅の庭でバーベキューをしていたところ、「どうして我慢できないのか。収束してから思いっきりやればいいのに。」と非難されたという人がいるという。

誰にでも、感染を食い止めたい気持ちはあると思う。その気持ちはよく分かる。

ただ、そう言って諫めている人を見たとき、違和感を抱くことがあった。

私たちに求められているのは、新型コロナウイルスの感染拡大に繋がる行為に対する「自粛」であり、それは感染リスクが特に高い「密閉」「密集」「密接」の「三つの密」が重なる場所への外出に対する自粛であったり、感染者が急増している首都圏、関西圏等への不要不急の出張や旅行の自粛だったと思う。

1人でジョグをしたり、桜が咲いているのを見て楽しんだり、自宅で美味しいものを食べることを自粛する必要はないはずだ。

こんなときに楽しむなんて不謹慎だとか、苦しんでいる人がいるのに配慮が足りないみたいに煽る人もいるけど、楽しいことをすることがいけないわけでもなければ、幸せを求めることがいけないわけでもない。

咲いている花はコロナの影響を受けていないわけだし、先が見えない中で、身体を動かして、身体や心を元気にすることや、自分を幸せにする努力をすることは、大事なことだと思う。

「1、2か月くらいどうして我慢できないのだ」と、躊躇なく人に押しつけられる人には、人の強さに対する過信さえ感じる。

私たちは、毎日水を飲まなければ生きていけないし、睡眠も溜めておけない。

同じように、1か月も放っておいたら枯れてしまう、その人にとっての「水」みたいなものがある。

それは、甘いものを食べることだったり、勉強することだったり、走ることだったり、本を読むことだったり、山に登ることだったり、子どもの笑顔を見ることだったり、大切の人からのメッセージだったり、人によってそれぞれ違うと思うけれど、その人にとっての心の糧や生き甲斐というものが必ずあると思う。

ケガをしたランナーが、完全に治るまで安静にしていればいいのにもかかわらず、少し状態が良くなったら無理して走ってみたり、どの範囲なら走れるのかを試したりするのも、同じ理由だと思う。

走ることで心を潤したいのだ。

毎日水を飲むように、花壇の花に水をあげるように、自分の心を潤してあげることを大事にしたい。

心は、一度にたくさん補給したとしても、しばらくすれば、ちゃんと消耗して無くなっていく。

あまり長くは溜めておけないし、先送りもできない。

そういう意味で、人の心は弱い。

人は食べなければ生きられないので、経済的支援が優先されるのは分かる。
ただ、それゆえに、人が心の糧となる楽しみや生き甲斐を摂取して生きていることを見落としがちになることを忘れてはいけない。

別に贅沢なものでも、特別なものでなくてもいいと思う。

毎日飲む「水」みたいに、身近で、手を伸ばせばそこにあるものでいい。

ちょっとした何かで、心を潤して、元気を取り戻そう。


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