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少しだけわかる河村市長の「不可解な行動」

最近のニュースは、意見が真っ二つに別れるものが多い。

オリンピックは開催していいのかとか、出かけることは悪なのかとか。そもそもそれを報道しているメディアに対しての風当たりも強い。

そんなこんなで、今は何が正しくて、何が間違っているのか、非常に曖昧な時代で、国民の心も不安定になりがちである。

そんな中、先日の名古屋市長河村たかし氏の行動は、誰がなんと言おうと、間違いなく間違った行動で、みんなが「それはあかんやろ!」と突っ込むことができた久しぶりの事例であったと思う。

だから悪い話ではあるが、ある意味で久しぶりに国民を団結させることができたのだと思う。

ところで、もしこの河村市長の行動を擁護するとしたらどんな説明ができるだろう。選手にとってはとんでもないことであることは前提として、一つ言えるとすれば、衝動的によくわからないことをしてしまうことは誰にでもあるということかもしれない。

というのも、この行動を見ていて、思い出したことがある。

小学校の頃、遠足に行って、山道を歩いていたときのこと。車が後ろから来たので、みんなが道路の左右に分かれた待機した。でも、なぜかみんなは左側で、ぼくだけ右側だったのだ。

別に問題は何もない。右側でも車を避けることはできるのだから。でも、ぼくの中ですごく違和感があって、どうしても左側に渡りたかった。

しかし、時すでに遅し。

みんなが開けた道路の真ん中を、車はどんどんと迫ってくる。そして、車がぼくのいる場所の5mぐらい手前に来た瞬間、ぼくは走る車のすぐ前を横切って、突発的に道路を渡って左側に渡ってしまったのだ。

車は急ブレーキをかけ、おかげでぼくは無事に渡ることができた。でも、再度発信した車の運転手に「何してんねん!」と叱られ、先生にも「何してんねん!」と同じお叱りを受けた。同級生からも「何してんの」と冷たい扱いを受けたのを覚えている。

今でも、なぜあの瞬間に道路を渡ってしまったのかわからない。どうしても左側に渡りたくて、最後のチャンスだと思ったので。ただ、小学生の頃の話だし、突発的にとは言っても、まだまだ許されるレベルだとは思う。

でも、なんというか、人間は、自分でも制御できないレベルで、時々変なことをしてしまうことがあるのだと思う。

テンションが上がりすぎたり、恐怖におののいたり、そのタイミングは人によって違っている。

もちろん、だからと言って、河村市長の行動を擁護するつもりはない。でも、もう起こってしまった出来事であり、どうしようもないとは思うのだ。

彼は、市長という立場にある限り、努力すれば、きっと何人もの人と幸せにすることができるのだと思う。だから、1人の選手を傷つけてしまった償いとして、これまでの2倍も3倍も仕事に邁進して、名古屋から、理想の素晴らしい世界を実現していって欲しい。

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