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オリンピック「商業主義」の何が悪いのか

予想通り、灼熱の東京で8月に行われているオリンピックで、暑さに苦しむ選手が続出しているそうである。

これに関して「アメリカのテレビ局が8月を希望したからこうなった」、「商業主義のせいだ」と批判をしている記事をたまに見かける。

だけどはっきり言って、その何が悪いのか全く理解できない。

スポーツとは、もともと各個人や団体が、自分たち娯楽の範囲内で行っていた。でも、それを見て楽しむ人、つまり直接的であれ間接的であれ、お金を出す人がいるから、それを職業として専門に生業にする人が出てくる

この時点で商業化は始まっている。でも、このことについて批判する人はまずいないだろう。

そして、オリンピック。各スポーツの団体が、スポーツごとにイベントを開催すればいいわけだが、4年に一度、全てのスポーツを集めて、大きな大会をすることで、話題にもなるし、選手のモチベーションにもつながる。だから、各団体は、必死になってオリンピック種目への追加を要望し、追加がされた。

でも、世界中から、それだけ多くの人を集め、場所を用意して、そのイベントを実行するためには、莫大なお金が必要になる。

じゃあ、そのお金を誰が出すかと言えば、それはスポーツを見る人である。そしてそのスポーツを見る人で熱心で一番お金を出してくれる人たちが、米国にいる、ただそれだけのことである。

そして、そのスポーツを見る人たちが一番お金を出せるのが、他のスポーツ番組が少ない8月なのだ。本来、スポーツとは、それぞれ最適な実施時期があるのだと思う。

でもそもそも、オリンピックは、それを2週間に凝縮して行うものであり「すべての競技を一緒に行う」というオリンピックの実施方法からして、そもそもアスリートファーストにはなり得ないのだ。

いくらアスリートファーストと言ったって、結局は「見せ物」である。「見せ物」だから、お金を払う人がいて、だからこそ、彼ら、彼女らは、走って、投げて、飛無ことができるのだ。

暑さ対策は、できるだけのことをして、なるだけアスリートの負担にならないようにするのは当然のことである。でも、8月実施を「商業主義」と批判するのはおかしい。それであれば、そもそもオリンピック自体を否定すべきなのだ。


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