小説 クリームのぜんぜん入ってないクリームパン

 買ってきたクリームパンのクリームが少ないのでがっかりしていると、
「増やしてあげようか」と妻。
「えっ?」
 すると妻の「えいっ」という気合とともにクリームパンのクリームがもりもり増えていった。
「なっ、なに?」
「わたしにはクリームパンのクリームが少なかったときにクリームを増やすことのできる超能力があるんだよ」 
 度肝を抜かれる。まさかこんな身近なところに超能力者がいたなんて。これでいつでもたっぷりクリームのクリームパンが食べ放題だぞ、と喜んだのだのも束の間、ふと思い出して、
「じゃあ今までもおれのクリームが少なかったときにも増やすことができたってこと? 増やしてくれたことって一度もなかったよね? ずっと黙ってたの?」
「せっかく増やしてあげたのに、なに」と不満顔の妻。
「いや、よくないよ、きみは本当にそうやって大切なことを黙っていることが多いんだよ。この間だってスター・ウォーズの何十万円もする等身大のフィギュアを黙って買ってさ」 
「そんなこといい出したらあなただってエヴァンゲリオンの初号機の等身大のフィギュアを買ってるじゃないの」
「等身大じゃないよ。二十分の一ぐらいだよ」
「一緒よ、家が狭いったらありゃしないわ」
「なんだって」
 それで険悪な雰囲気になってしまって、せっかくのクリームパンも台無しになってしまった。言い過ぎたかな。でも妻が大切なことを黙っているのは今に始まったことではないのだ。おれは悪くないぞ、と思いながら仲直りしないまま過ごしていた。

 それからしばらく経った。原因がわからないのだけれども、妙に体調の優れない日々が続いたので医者にかかると、
「あなたは『クリームパンのクリームが少ないと死んでしまう病』にかかっています」と医者。
「どういう病気なんですか?」
「クリームパンを買うでしょう。それで中を開けて、クリームが少なかったとしましょう」
「はい」
「すると死にます」
「そんな。治療法はないのですか」
「残念ながら。クリームの少ないパンを買わないようにするしかありません」
「そんなこと言ったって、クリームパンのクリームは機械の都合で多くなったり少なくなったりするっていうのに、無茶ですよ」
 おれは頭を抱えた。現代の医学では治療法はなく、罹患者はクリームの少ないクリームパンに当たらないよう、ロシアンルーレットのような気持ちでクリームパンを買うしかなくなってしまうというのだ。
 憔悴しながら家に帰った。家ではあれ以来仲直りをしていない妻がスター・ウォーズの等身大フィギュアを初号機と戦わせていた。
「どうしたの」
 げっそりしたおれの顔色を見て、さすがの妻も驚いたようだった。だがおれは致死性の病を患ってしまったショックから、
「なんでもないよ」と無視するように言った。妻は「あっそ」と言って再びフィギュア遊びに戻ってしまう。 
 おれはソファに座って、買ってきたクリームパンを三つ並べた。仕事帰りのクリームパンは至福の時だというのに、いまではそれがおれの息の根を止める毒になってしまったというわけだ。
 おれはクリームパンを捨ててしまおうかと思った。だがクリームパンを捨てるくらいなら死んだほうがましだ。それくらいおれはクリームパンが好きなのだ。
 それに、今のおれが死んだって、どうせ妻は悲しんだりなんかしないだろう。ローンの返済義務がなくなってラッキーってなところだ。だったら当てつけのように死んでやったらいいのではないか。そうだそうだ。
 おれは破れかぶれになってクリームパンの封を破った。外から見てもわかるくらい、がっかりする程度の量しか入ってなさそうなクリームパンの頼りない皮の感触を指でもてあそびながら、これがおれの最後のクリームパンか、と涙した。
 情けない。最後ぐらい、クリームのたっぷり詰まったパンが食べたかった。だがもう仕方がない。おしまいだ、とおれはクリームパンにかぶりつく。
 予想通り、そのクリームパンはクリームがぜんぜん入っていないパンだった。口の中ががっかりで満たされていく。畜生。こんなパン、法律で規制するべきなんだ、とおれは叫んだ。
 だがもう遅い。おれの頭の中でなにかの弾ける音がして、心臓がどくんと止まる気配がした。死だ。こんなことで死ぬのかとおれは悔しくなった。本当にこんなことで。クリームパンのクリームが全然入ってないからという理由だけで。ちくしょう。悲しいぜ。とてもとても悲しいぜ。おれは胸を押さえた。だがそれだけだった。おれの心臓が動き出すことはなかった。二度と。止まったままになってしまう。
 だがその時だ。クリームパンの中からクリームが溢れだし、おれの口の中で暴れるようにぶわっと広がった。呼応するように、止まりかけていたおれの心臓が、再び動き始めたではないか。
 はっとなって顔を上げた。すると、さっきまで等身大フィギュアで遊んでいた妻がおれの傍らに立っていて、
「それ、少なそうだったから」と気まずそうに言うのだった。
 増やしてくれたのだ。超能力で。おれのために。 
 その途端、おれは今まで張り詰めていた緊張が急にぷつんと切れてしまって、目に涙が浮かんできた。妻は慌てて、
「なになに、どうしたの」
「すまない。おれはきみに、大切なことを黙っていることを怒ったばかりだというのに、おれ自身が同じことをしてしまった」
 そう言って妻に病気のことを一から説明した。
 全部聞いた妻は呆れたようにため息をつきながら、「でもそれだったら、わたしがいれば、あなたは死ぬ心配のないままクリームパンを食べられるでしょ」
「うん」 
「じゃあこれまで通りだよ、大丈夫」と妻。なにが大丈夫なのかわからないけれども、妻がそう言ってくれたから、なんだか大丈夫なような気がした。
「わたしも勝手にダースベーダーのフィギュアを買ってごめんね」と妻。いいんだ、もう。これからは大切なことは黙っていないようにしよう、とお互いに言い合いながら、わたしたちは残ったクリームパンで御飯にすることにした。ちっとも中身の詰まっていないしょうもないクリームパンだったけれども、でも、妻のパワーで無限にクリームの増えていくクリームパンは、幸せを詰めこんだみたいなうれしいパンだった。とても甘くておいしかった。