97条 百物皆来処あり 〜言志四録〜

本文
目を挙(あ)ぐれば百物皆来処(ひゃくぶつみならいしょ)有り。軀殻(くかく)の父母に出ずるも、亦来処(またらいしょ)なり。
心に至りては、則ち来処何(らいしょいず)くにか在る。
余曰く、軀殻は是れ地気の精英(せいえい)にして、父母に由って之を聚(あつ)む。
心は則ち天なり。軀殻成(くかくな)って天焉(てんこれ)に寓(ぐう)し、天寓(てんぐう)して知覚生(しょう)じ、天離れて知覚泯(ほろ) びぬ。心の来処は乃(すなわ)ち太虚(たいきょ)是れのみ。

〔訳文〕
目をあげて見ると、すべての物は、皆因(よ)って来たるところがある。我々の身体が父母から出て来るのも、また因って来たるところがあるというものだ。しかし、心に至っては、その因って来たるところはどこであろうか。私はこう思う。「肉体は地気のエッセンスで、父母によってこれが集められたものである。心は天である。肉体が完成すると、天が肉体に宿るのである。天が宿るとはじめて、知覚観念が生じ、天が肉体を離れると、知覚がなくなるのである。こう見て来ると、心の因って来たるところは大空が即ちこれである」

〔語義〕○歴設―からだ。○沢―ほろぶ、 つきる。○太戯―大空。

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