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不思議な西部劇、その二。『大砂塵』

不思議な西部劇の「不思議さ」ということで言えば、こっちが本命だ。『大砂塵』というタイトルは聞いたことがあるような気がするというくらいで、見たこともないが、主人公のガンマンがギターを抱えてやってくるのだから。まるで日活の小林旭の『ギターを抱えた渡り鳥』みたいだが、後で調べたら、実際に『大砂塵』をモデルにしているらしい。
 
その『大砂塵』の原題は『ジョニー・ギター』。この映画では出てこないがペギー・リーが歌ったことで有名だ。では、なんで「大砂塵」なんてタイトルをつけたのかというと、冒頭、大砂塵が吹きつける中にヴィエンナという酒場、兼遊技場があって、そこにギターを抱えて男がやってくる。男はギターを見せながら「ジョニー・ギターだ」と言う。客は一人もいない。いるのはルーレット盤を回す男と、バーテン、そして下働きをしている下男風の男だけだ。ジョニー・ギターは「ヴィエンナ」の主人に呼ばれてやってきたんだと言う。それはヴィエンナという男勝りの女性で、この酒場のある場所に鉄道が引かれるという情報を得て、それで酒場を開くことにしたが、鉄道に反対の住人も多く、旧知の間柄で、また名うてのガンマンだったジャニー・ギター、ことジョニー・ローガンを招いたのだった。

ギターを抱えたガンマンとジョーン・クロフォード

そこにダンシング・キッドという名で知られる無法者と、その一団がやってくる。彼らは、近所の銀鉱山で働いていて、週に一回、遊びに来るのだった。そこに、先頭にエマという女性を先頭に、集団がやってくる。駅馬車が襲われ、自分の兄が殺され、金も奪われた。犯人はダンシング・キッドに違いないと言う。その集団には保安官もいて、駅馬車の御者に、犯人はダンシングキッドたちだろうと言う。御者は、逆光だったし、みんな覆面をしていたので、わからないと答えるが、エマは鉄道導入の強固な反対派で、保安官も同意見だったので、二十四時間以内に町を出て行け、と命令する。

中央の女性がエマ。悪女ではなく、どちらかというとリベラルな知性派という印象で、なんとなくイングリッドバーグマン的だと思った。バーグマンも知性的で突っ張るというイメージがある。私だけかもしれないが……それで時々心配になったりする。イタリアのビットリオ・デ・シーカと恋仲ではなかったか。ハリウッドはイタリアのネオリアリズムの全盛時代にイタリアに憧れていたのかも。『大砂塵』は1956年、つまりネオリアリズム全盛時代につくられている。

 ……というのが物語の発端で、その後のは、ヴィエンナ対エマの女性同士の戦いで、最後は、二人の決闘になってしまう。もちろん、早撃ち自慢の居合抜きの決闘ではなく、ダンシング・キッドの隠れ家を舞台に、窓越しにピストルを撃ち合う決闘だけど、決闘には違いない。

 ともかく、ギターを抱えたガンマンとか、女同士の決闘とか、驚くばかりの西部劇だが、ウィキには、フランスのヌーベルバーグの連中が熱狂的に支持した、というか楽しんだ映画で、ゴダールの映画には、『大砂塵』のことに触れたセリフがよく出てくるそうだ。もちろん、その場合は「ジョニー・ギター」をフランス語で言ったりしているのだろう。ゴダールがハリウッド好きなことは有名で、フリッツ・ラング本人が出ていたり、『軽蔑』ではジャックパランスがバルドーの相手役だった。ちなみにグレン・フォードは一時期、バルドーと噂があったのだそうだ。そんなに女性にモテそうには思えないのだけど……シェップ(『去りゆく男』の牧場主)が言うように「女心はわからん」ということか。

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