汚染水に関する雑感、その他
昨日、今日の話題は、圧倒的に原発の処理水の放出に関する話ばかり。特に中国が「汚染水を海に垂れ流すとは、世界に対する犯罪行為に他ならない」と、国連で激しく非難、「科学的でない」と反論したとか。マスコミの論調も、日本代表の方が正しいというか、妥当な見解で、中国の主張は政治的な無理筋の主張だみたいな感じで、一貫していて、日本の世論も右に同じという感じ。まあ、確かに、汚染処理に関する中国の反日路線は、いずれ納まる感じがしないでもない。でも日本人にとって、それで安心だ、という話ではない。そもそもの話、汚染水の原因はデブリにあるわけで、日本政府はデブリの除去に二、三十年はかかる、と言っているけど、それは無理で、事実上、半永久的に汚染処理しないと、ダメだ。なにしろ80トンくらいあって、そのうち2グラムくらいしか取り出せていないのだから。でも石棺方式ならデブリを取り出す必要はない。フクシマ原発のコンクリートの分厚い底を二千度以上もある、溶解した核燃料が溶かしてしまったことが明らかになった時、これは明瞭に覚えているのだが、記者会見に作業服を着た背の高い男性が出てきて「石棺方式にすべき」と発言したが、その直後、姿を消してしまった。そんなことを覚えていたので、改めて「石棺方式・汚染水」でググったところ、原子力損害賠償・廃炉支援機構という組織が、通称〝石棺方式〟を考慮中という報道が一部でなされたが、事実無根だとして、燃料デブリについては中期的リスクと、長期的リスクの双方を考慮した結果、通称〝石棺方式〟は中期的リスクには効果があっても、長期的リスクの低減には限界があると考え、廃炉にあたって長期的リスクを放置することは考えられないことから、通称〝石棺方式〟を検討している事実はなく、燃料デブリについては取り出すことを前提に技術的検討を行っているところです、と書いている。要するに、廃炉を前提に作業をしているので、「廃炉ではなく石棺方式を」という意見は受け入れられないという珍妙な循環論法。いや、石棺方式は今のチェルノブイリのコンクリート方式のほか、金属で覆うとか、デブリは水冷ではなく空冷方式で冷やすとか、いろいろアイデアがあるそうだから、何のアイデアもなく、ただ将来の技術的発展に期待するしかない、デブリ取り出しとはダンチの違いだ。そもそもの話、原子力損害賠償・廃炉支援機構が、石棺方式を全て、「通称〝石棺方式〟」と書いているのは、原始的な、通称〝石棺方式〟などは眼中に置かず、という差別的な、思い上がった態度が見て取れる。そんなふうに思うと、蒋介石に手を焼いた近衛首相が、蒋介石を〝眼中に置かず〟親日的なオウチョウメイ政権をつくった故事が偲ばれる。その文章を貼っておきます。
https://dd-ndf.s2.kuroco-edge.jp/files/user/pdf/news_release/pdf/20160714press.pdf
……と、まあ、こんな調子で、旧ブロブ「明日はどっちだ」を書きつづっていたわけだけど、それを十数年ぶりに読み返して、案外、面白く、とはいえ、全面的に書き直す羽目になったのだけれど、それは兎も角、「人間不平等起原論」という本にまとめました。それこそゴミ箱をひっくり返したような、雑多な記事ばかりだけど、新宿の模索舎と、中野のタコシエに置いてもらったので、機会があったら、パラパラとめくってみてください。タイトルは、もちろんジャン=ジャック・ルソーのパクリですが、僻み根性では、私、以上。でも、最近はルソーのことを知らない人も少なくないようで、ちょっとびっくり。
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