それは論理の飛躍です

東京都知事選が終わったそうで、都民のみなさまお疲れ様でした。

結果は現職の圧勝というところで、「問題はあっても任期を全うする程度の能力はある」という現職の強みを切り崩すまでには至らなかったという印象だ。


現代日本ではあんまり政治的主張をするのも憚られるので、そんな話はしない。

厳密には憚られるというよりは、どこかの過激支持層みたいなのに絡まれたくないという思いが強いのだ。

おそらくは大抵の人はそのくらいの感覚で政治の話題を避ける。

そういう意味で、全体を考えれば、政治的すぎる人間になるということは、日本を政治に物申しづらい国にするのに寄与する。


政治に関係ないところでいえば、


「それは論理の飛躍です。」とある候補者が選挙期間中、あるいはその前を通してずっと口癖のように言ってきたセリフである。

このセリフ、すごくいい。

「〇〇というセリフ(行動)は言外に△△という主張をしているようにも感じます。そのような認識でよろしいでしょうか。」というような質問をされた際に多用していた。

私としては、そういう受け止めをされた次点である程度、違うのなら違うで説明責任があるだろうと思うのだけど、「それは論理の飛躍です。」と言えば、まるで相手の受け取り方に問題があるように見せることができる。

(そういう態度が、ツイッターで言われるように「なんとなく信用できない感」を持たれる要因だろうなとは思うけれど、常に尊大な態度が自信ありげて評価できるという人もいるだろうから難しい。)


結局否定にたる理由を説明をしないで、「それは論理の飛躍です。そんなことは言っていませんよね。」などと言われると、強く否定はできないんだなと受け取ってしまうのだけどどうだろうか。

それも「それは論理の飛躍です。」って言われるのかな。無限ループに嵌まってしまったか。


なんだか名探偵に指差されて「証拠はあるのか証拠は!!」と喚き立てる犯人役みたいなセリフで三下っぽくてすごくいい。

今後私も三下ムーブのとき使っていこうと思う。


え?「お前、あの候補者のこと嫌いだろ?」、って


それは論理の飛躍ですよ。

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