名著を読む『十角館の殺人』

最近初めて『十角館の殺人』(綾辻行人)を読んだ。

1987年初版、30年以上前の作品だ。

ご存知の方も多かろうと思う。

最近ではHuluでドラマ化されたそうで(見てない)、興味をそそられた次第である。


あらすじとしては、

とある大学のミステリ研究会のメンバーが十角形の奇妙な館が建つ無人の孤島に合宿にやってくる。そこで一人また一人とメンバーが殺されていく。

といったものである。


以下、感想等

〜多分ここからもネタバレはしない(多分)〜


果たしてこれはミステリー小説だったのだろうか。

いや、もちろんミステリー小説であることに疑いはないのだけど、私のような「普段そこまで本を読んでるわけではないっす!」という人間が想像する“ミステリー”とは大分色が違った気がする。

私の中でミステリーって、犯人を示す手がかりが少しずつ隠されていて、探偵役と読み手が段々と「犯人はこいつなのでは?」と確信めいていくものだと思っていたのだけれど、この作品はそこを裏切ってきた。

一つの殺人がおきて殺害方法を推察するが、その方法はその場の誰でも一様に可能である。そんな状態が積み重なっていく。

登場人物が「何か妙だな」と首を傾げて読者に「ここがポイントですよ」と伝えてくるようなこともない。

これでは推理のしようがない、とすら思わせられる。


「重要なのは筋書きではない。枠組みなのだ。」と犯行を行う前の犯人のモノローグが作品冒頭で入る。

なんか名言っぽいが、事実犯人の犯行は常に臨機応変に実行される。

のみならず、このセリフは作品全体のことをすら言っていたのではあるまいか。


この作品は料理みたいだと思った。

物語最終盤、謎の全てが帰結する一言が登場する。

それが最大威力を持って読者に飛び込んでくる。

それまでの物語の全てがその一言を最大限彩るために存在していたかのように思える。

すごく魅了的な食材が一つあって、その良さを最大限生かそうと、完璧な下拵えをして、抜群の味付けをされて、脇を飾る材料も鮮やかに、美しい器に綺麗に盛り付けられて、メインディッシュとして出された感覚を受けた。

十角形な奇妙な館も無人の孤島も、一癖ありそうなキャラクターたちすら、物語の装飾品にすぎなかったのではあるまいか。


だから、私はこの作品を読んで、高級料理を食べたような気分になったし、あるいは上質な手品を見たような気分になったし、あるいは熟練者のカードゲームのプレイングを見たような気分になった。

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