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ダイエットと私

私、こう見えてヤンデレ気質だと思う。訂正、私は社会不適合者なのにヒロイン気質の面倒な奴だ。

私は無神経で人を苛立たせることばかりなのに、相手を傷つけたことに傷ついて勝手に落ち込んでしまう。私はこの弱弱しく情けない性格のために、友達も多くないし、親友と信じていた人とも疎遠になってしまうばかりだ。
この性格の良いところなんてたった一つ、どれだけ自分が落ち込んでも、無神経だから死を選ぶまでにはなれないし、翌日のご飯は美味しいし、お酒があれば笑って忘れていけるということだけだ。リセットボタンが意外と手軽に使えることだけだと思っている。
ところで、非フラジャイル的という言葉を最近手に入れたが、これは凸ノ先生の言葉。意外と自分も壊れにくかったんだぜということ。それは大変勇気になる言葉。脆いことがある種の美徳であったりもすると私は思うが、壊れなかったことにこそもっと自信を持つべきなんだ。だから、壊れない道、強くなる道を歩んでいきたい。

そんな私もダイエットしている

さて、そんな折、脈絡もなくダイエットしている話をつらつら載せるが、理由はどうであれ、あすけんの未来先生に励まされながらダイエットをしている。炭水化物を減らしつつ、タンパク質やカルシウムを増やしてバランスとろうと頑張っているし、ちょっとしたことでも運動が楽しい。何より、貧相な体つきが少しでも引き締まっていることを感じると、それだけで自分が好きになる。自分が好きになること、これがどれだけ大切か、数十年生きて、やっと気づけた。
必死に運動して汗がこぼれ息が上がる無様な姿、そのうえで思い切りシャワーを浴びて自分の身体を見つめると、ああ生きてると思う。
昔遠泳で死ぬほど泳いで、やっとこさ砂浜に戻ったとき、生きていると思った。あれと似たようなことをやれているんだなと実感。
よく「筋トレすればすべて解決」という言葉があるが、あれは若干嘘だ。筋トレじゃなくていいと思う。ともかく身体を全力で動かすことが必要だと思う。それがマラソンでも、ボクシングでも、E-Sportsでも、音楽でも、漫才でも、文藝でも、何ならセックスでもいい。ともかく全力で死ぬ気でやりこむ、それをやり切ったときに生きてると実感できる。
このときに邪魔なものは、周りの声だ。それが人の全力を邪魔することになる、冷や水を浴びせられることほど邪魔なものはない。
だから、やるぞと決めたら、今これを見ているスマホやらパソコンやらを閉じろ、そして何も入れるな、ただただ全力で向き合え、それが一番だ。そしてそれは生きていると実感するし、ついでにダイエットにもなる(多分)。

んで、ダイエットを1か月ぐらいの結果は…

ま、こんなもんよね。継続するのみ。

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