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わたしの神様 細野晴臣さん

初めまして。みーてぃーと申します。

この企画に誘ってくれたもーちゃん、ゆーきくん、本当にありがとう。
毎回楽しみに読んでいたのですっごく嬉しかったです。

果たして何を書くべきなのか、と
お声掛けいただいてからずっと考えていたのですが、わたしの今でも好きなことの基礎になってるイギリスTalkin’ Loud等の90年代Acid Jazzなのか、イタリアの大好きIrma Recordsなどによるモンドミュージックか、はたまた日本の70~80年代歌謡か、と考えた時にやっぱりここでお話したいのはわたしの中学時代からの神様である細野晴臣氏について以外ないかも!と思い至りました。

きっと多くの方がご存知である通り、星野源さんを始めとする現在の音楽シーンにも莫大なる影響を未だに与え続ける本当に偉大な方です。
同時に、ファッションやカルチャー、お笑いにもとても造詣が深く、一切飾らないニュートラルかつ軽妙洒脱なお喋りや文章も本当に魅力的な方でもあります。
絶対的神様なんだけど、どこかに親しみを勝手に持ててしまうような飄々とした不思議なキャラクターも細野さんの数多くある魅力のひとつなのではと思っています。

あまりわたしは自分のことを話すのが得意な方ではないのですが、細野さんに纏わる個人的な思い出も含めしばしお付き合いいただけたら幸いです。

邂逅

とても突然なのですが、細野さんと出会う前、わたしは幸運にも細野さんとお電話で40分ほどお話をさせていただく機会がありました。
その際、ご本人から初めて聞かれた質問があるのですが、それは

「僕のことどうして好きになったの?」

でした。

「どこで知ったの?」でも「何で聞いたの?」でもなく
「どうして好きになったの?」ってなかなかのパワーワードだと思うんですが、

ドキドキしながら答えたのがこれでした。

「好きになったのはラジオから流れた『三時の子守唄』だったんですが、
細野さんを初めて知ったきっかけは兄が好きだった聖子ちゃんなんです。」
と。


ここで当時36歳
爆イケ細野さんをぜひ皆さんにご覧いただきたい。

・松田聖子『天国のキッス』

わたしには6つ上の兄が居て、
兄がとにかく松田聖子(以下聖子ちゃん)が大好きでよく聞かされていた。
幼少期によく放送されていた音楽番組に必ず出ていた聖子ちゃんの曲のクレジットにはいつも

“作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂

もしくは

“作詞:松本隆
作曲:細野晴臣”

の文字があったのをよく覚えていて
良い曲はこういう人たちによって作られているんだなと
幼いながらに思った記憶があります。
特に「細野晴臣」というなんとも素敵な字面には
何故か自然と心惹かれていたんだと思う。
そしてキャッチーなのに口ずさめば口ずさむほど難しくて楽しい、そんな名曲たちはいつもそばに居たのでした。

遭遇

そんな中、ある夕暮れ時に出会った

・細野晴臣『三時の子守唄』

そのやさしい歌声とシンプルなギターの音色に一瞬で恋に落ちた当時15歳のわたし。

当時は90年代で細野さんは
アンビエント等の環境音楽に傾倒されていた頃だった。
細野さんは好きだったけど当時の音楽は難解すぎて
子供だったわたしには理解できず、兎にも角にも過去の作品をどんどん聴き漁る毎日。

そしてYMOに出会う。

YMOは『Rydeen』も『Behind the mask』も好きだけど展開から何から何度聴いても心底好きだなぁと思えるのは、やはり細野さんの楽曲でした。

・YMO『Mad Pierrot』

・YMO『Cosmic Surfin’』

そしてちょうどその頃、YMOは「再生」という名目で活動を再開する。
当然当時のわたし少女は大歓喜したのでした。

2020年にリマスター版が発売されたアルバム『TECHNODON』と装丁バーバラ・クルーガー、写真ナン・ゴールディン、タイポグラフィはジェニー・ホルツァーという最高な布陣で再生についてを語るYMO BOOKは今でもわたしの大切な宝物です。

がんばって取ったチケットを手に、当時は周りにYMOを好きな友人も居なかったので一人で東京ドームに再生ライブを観に行きました。

YMO 『Hi-tech Hippies』


本当の出会い

この10数年ほど細野さんのライブへありがたくもお邪魔させていただく機会があるのですが、最高の作り手であると同時に、いつでも最高のリスナーであることを強く感じます。
とにかく古いものからびっくりするくらい最新の音楽まで聴きまくっている「永遠の音楽少年」という言葉がぴったりの御年74歳。

好奇心は猫をも殺すと言うけど細野さんのことは見逃してくれているご様子です。
近年はブギウギ等1920年代付近の音楽がお好きなようですが、もっと細野さんのことを知りたい方はご本人のインタビュー記事等を検索して読んでみてください。

さて、わたしが細野さんに恋に落ちたのち約12年の年月を経て実際の細野晴臣氏に会うことになるのですが、
長くなってしまうしあまりに個人的な思い出すぎるので
ここでは割愛致します。

最後に

前述の星野源さんにも多大な影響を与えたと言われる
1976年 横浜中華街「同發」での伝説のライブ映像の細野さんと、40年後の2016年、同日同会場にて細野さんの『北京ダック』。
イントロが秀逸すぎるこの名曲、是非聞き比べてみてください。

・Harry Hosono & Tin Pan Alley 『北京ダック』1976

・細野晴臣 「A Night in Chinatown」より『北京ダック』ほか

最後まで読んでくださった方、
本当にありがとうございました。


【追記】
友達用に作ったものですが
細野さんと細野さんに関連するミュージシャンたちによるSpotifyのプレイリストを貼っておきます。

本当の本当に最後に
細野さんに初めてお会いした際にいただいたとても普遍的だけど大事な言葉をシェアさせてください。

「生きているとね、本当に良いことってたくさんあるんだよ」

何かとつらい時期ではありますが、みんな生きて(また)必ず会いましょう!
ここまで読んでくださってありがとうございました。
今度こそほんとにおしまいです。

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