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これから限界を迎える集落で、コメ農家のぼくが目指すこと。

 前回の記事、さいごにちょこっと宣伝をさせてもらったクラウドファンディングが、無事に成功して終了した。

 2月の最終日28日が締め切りで、その後なんだか宿のほうのご予約が立て込んでしまい、今週になってようやく返礼のための準備作業に入ることができた。一刻もはやく支援をいただいた方々のリストを確認して、お礼の気持ちを伝えたい……。
 今回の挑戦は、ぼくたちが2017年にこの土地で「コメ農家+農家民宿うしだ屋」を開業して以来、公私をつうじて出会い、親交を深めてきた多くの友人知人たちの支えがなければ到底達成しえなかった。みんなからの声援と期待を背に迎える、山のなかの小さなコメ農家の、独立6年目。

 過去を振り返った前回から飛んで、今回は「これから目指す未来」について書いてみたい。

限界集落の賞味期限

 この記事のトップ画像は、ぼくらの移住初年度。ぼくたち夫婦が空き家になっていた古民家を購入し、その自宅前の田んぼも地主さんからお借りして、初めて田植えを行ったときの写真だ。(ただし写真奥に映っている民家ではない。すごく絵になるこの古民家は別の方のお宅で、我が家は右手側の道路を挟んで建っている)
 突然やってきた移住者の若者夫婦が、いきなり田植えをするなんて言うもんだから、我が家の上の父ちゃんと田んぼを挟んで対岸の家の母ちゃんが心配して見にきてくれた。でもお天気は最高だし、借りてきた機械は快調だし、初めての(研修ではない)じぶんたち自身の為の農作業で夢と希望はイッパイだし、ツバメは春を謳歌するように飛び交うし……。そんな雰囲気をデジタルカメラの映像素子まで感じたのか、この写真は地元の農協のカレンダー用フォトコンテストに入賞し、そのためにぼくたち夫婦は集落内のいろんな人に声をかけてもらえて、地域に馴染む大きな”きっかけ”になってくれた大切な一枚だ。

 そうやっていままでの5年間、ぼくたちは周囲の父ちゃん母ちゃんたちから様々な面で気にかけ助けてもらいながら、どうにか商売をつづけ、集落の一員になってきた。

 しかし、若者だろうが年寄りだろうが、一年に一歳の年を取る。5年が過ぎれば70歳だった人は75歳に、75歳だった人は80歳、傘寿を迎える。
 毎日毎日、少しずつ移り変わる季節に追われるように暮らしていて、ふと顔をあげると、まわりの人々の身体が少しずつ動かなくなってきているのに気がつく。幾人かは以前ほど屋外で姿を見かけなくなり、幾人かは(ぼくらに素敵な笑顔の印象だけを残して)鬼籍に入(い)ってしまわれた。

 こういう考え方は良くないと思いつつ、この土地の昔ながらの風景や文化・暮らしに憧れて入ってきたぼくたちは、やはりどうしても、それらを楽しむことが出来るいわば「地域の賞味期限」を考えてしまう。他所からやってきたぼくたちは、ここではない場所での暮らしを知っているだけに、想像は残酷だ。
 もし仮にぼくたちがこの集落で最後の1軒になったら。あるいは何か決定的な大災害に見舞われたら……。山里集落で暮らす楽しみや語り継ぐべき歴史や文化を失ってしまったぼくたちは、それでもこの土地に残ろうと思えるだろうか?

「小規模・大人数での、にぎやかな過疎地域づくり」

 人口の平均年齢が70歳近いのこの集落を、50年後も100年後も残していたいというわけではない。もちろん百年後(ぼくは御年138歳の大長老だ)もこの景色や暮らしが残っていればそれはとても幸せなことだけど、現状を踏まえれば決して現実的とは思えない。
 でもせめて、自分の子ども達が大人になる20年後くらいは、両親が敢えて選択してやってきたこの土地と暮らしが残っていてほしいと願うくらいは良いだろう。

 そのために、ぼくがこれから事業を通じて、この土地で実現したいこと。それが「小規模・大人数でのコメ作り」と「にぎやかな過疎地域づくり」だ。

 日本国内の農業政策は、農家人口の減少を「農地の集約化=農家1軒当たりの経営規模拡大」と「規模拡大を可能にする技術開発」で補おうとしているが、近年世界では、家族経営規模の農業の価値を見直そうという時流が生まれつつある。

 山間部の田んぼは、小さな谷や水系ごとに田んぼの団地ができるため、農地の集約には物理的な限界がある。無理に面積をこなしたところで、次に立ち塞がるのは米価の問題だ。平野部の農業法人ですらコメ単体で収支を黒にするのは大変なのに、同じ土俵で中山間地域が敵うわけがない。
 唯一勝機があるとしたら……商品の値段をじぶんで自由に設定でき、コメを直接消費者のもとに届けられる「直接販売」以外にはないと、ぼくは考えている。
(※「農産物を農産物のままで売る」シンプルな経営モデルでは、という話で、設備投資が必要になる農産加工や6次化はいったん別に置きたい。6次化については、また別に機会にあらためて)

それは「顔が見える暮らしと社会」への第一歩

 山の清水と昼夜の寒暖差で育てられる棚田のコメは美味しい。雪解け水の恩恵なくして、コメ王国新潟は無かっただろう。都会の小売店で販売されている新潟県産コシヒカリの値段を、農家が直接売り上げとして受け取ることができれば、ようやく商売としてのコメ農家の採算が見えてくる。

 ・山の田んぼは、集約しにくい。

 ・みずから末端価格(小売価格)で販売できれば、利益を出せる。

 それならじぶんの友人知人・数家族分のお米をつくって、適正な価格で買ってもらう(買い支えてもらう)ことができれば……。御殿までは建てられずとも、家計の収入のひとつの柱としては充分に戦力になる。
 しかも、1軒あたりの規模が大きくなければ農業機械のシェアもしやすく、新規就農の壁のひとつでもある ”機械や設備への初期投資” も最小限に抑えられる。コロナ禍でリモートワークの技術や理解も進んだため、足りない所得は複業で補足すればよい。そもそも雪国は昔から出稼ぎ文化があり、複数の生業を持つことは自然なお国柄だ。リモートと言わず、雪国ならではの産業(除雪やスキーリゾートなど)だって、どこも人手不足で大変なご時世だ。
 農家本人は、無理な規模拡大や多大な設備投資を迫られる心配なく、自然に近い農的暮らしを実現することができて、買い支える人・家族は、生産者の顔が見える安心安全の美味しい棚田米を日常的に食べることができる。お互いにじぶんの仕事やお金が相手を直接に支えていることが分かっているから、きっと、どこから来たのかよく分からないお金がまたどこか自分の知らないところに消えてゆくだけの生活とは、ちょっと気分も変わってくることだろう。
 大量生産・大量消費の生活から、少しずつ身の回りの物を「相手の顔が見えるもの」に変えてゆくと、暮らしの中に想いが生まれる。誰かのために生きて(働いて)いて、その誰かによって生かされて(働かせてもらって)いる感覚。
 「経済的には豊かなのに幸福度が低い」と言われている現代の日本人が、いまもっとも求めているモノの一つではないだろうか。

 話がずいぶんと大きくなってしまったけれど、要はぼくが描きたいこの地域の未来図は、それぞれの人や家庭が小さな独立農家として数町歩(※1町歩=1ha)の田んぼを耕作しながら、冬になるとある人は除雪の仕事に出たり、ある人は鉄砲をかついで猪を追ったり、ある人はせっせと糀をおこして味噌を仕込んだり、ある人は趣味のお菓子作りをちょっと仕事にしてみたり、ある家族は自宅を民宿にしてみたり……。そんな感じで、多種多様な人たちが過疎が進んでいるはずの山奥の地域で、なんだか “楽しそうに” そして ”賑やかに” コミュニティを形成している。
 そんな未来を夢見ている。

自己実現をしたい人/社会に風を起こしたい人、この指とまれ!

 今回作成したうしだ屋の求人チラシには、応募希望者に「10年後のじぶん」のイメージを訊きたい旨を記載した。
 別にどんなに突拍子もないことでも、逆に一見つまらなそうな現実的なことでも、あるいは、何のイメージをも持っていなくても、ぼくは構わない。ただ、こう書いておくことで、上に書いた「ぼくが実現したい10年後」の話を伝えたいだけなんだ。ひとが、自然に寄り添いながら、人間らしく暮らせるコミュニティを創りたい。その想いに共感してくれる人に来てほしい。

 日本に文字の無かった時代から主食でありつづけた「米」と、新潟という土地を特徴づける「雪」を活かして、ここ田麦にも ”限界” をフワッと乗り越えさせる一陣の風を吹かせてみたい。
 だれか、山里に暮らし、棚田のお米をつくりながら、ぼくらと一緒にやってみませんか?

従業員募集チラシ(両面)

 求人についてのお問い合わせは、うしだ屋のウェブサイトから。少しでも興味のある方、是非ご連絡をお待ちしております!(^^)

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