見出し画像

2021.05.28

古本屋に行って購入。
明日のミュージカル  「スリル・ミー」配信を前に、ニーチェのおさらい。
⚠️「スリル・ミー」のネタバレ含みます!



今月、初めてスリル・ミーを観劇してから、作品のファンになった。3ペアどれも素晴らしかった。

観劇前にはニーチェの生涯やニーチェ哲学の大まかのことを学んでから挑んだけど、今回はちょっと違う視点から。
作品の中での「彼」がニーチェの書を読んで、どんな言葉に感化されたのか、もしかしたらニーチェの言葉に励まされたり、勇気持ったり、生きる原動力をもらったのかもしれない。
そんな「彼」を見つけることができたらいいな、と思い読み始めた。

しかし、忘れていた。
私は活字を読むと、すぐに眠たくなるということを。
25ページ読んで、気づいたら寝ていた。
いかん!と思ってまた読み進めた。
でも、また25ページ読んだら寝ていた。
2時間で読めたのはたったの50ページ。
目次一覧も含めて50ページ。
情け無さを通り越して、そんな自分が笑えた。

気分を変えて夕飯作って、食べて、サッカー日本代表戦見て。頭もスッキリとしたので、再びニーチェへ。今度は寝ずに読み進めた。でも、今日中にnoteを更新できるのだろうか。やばい。笑

読んで思ったことは、
これらはニーチェの言葉そのものではなく「編訳」であるので、あのニーチェの刺激的な言葉がわかりやすく、柔らかに表現されているなってこと。
また、ニーチェの名言の良いとこ取りされており、めちゃくちゃポジティブな本であるということ。

そういう観点から今回は学ぼうとしたけど、なんだか「彼」にはなかなか当てはまらないなぁ〜と、ちょっと残念。
家庭や社会への不満を抱えていた「彼」は、多分、ニーチェから…
今まで善だと当たり前のようにされてきたものに反対・否定するニヒリズム「神は死んだ」の宣言だとか。
弱者が強者へ抱く憎しみ妬みによって「人々は弱者を正当化しようとしている」状況を身をもって感じたこと。
「能動的ニヒリズム」の実現のために、「力への意志」を社会に示して「超人」になっていくこと。
…だとかに感銘を受けたのかな?と思っていて。
ポジティブじゃなくて、ネガティヴなところから出る力に、ものすごく共感したんじゃないかな?って思った。


そして、資本主義という社会に生きる「彼」の視点から。
「彼」の父と弟のことは、詳しく作品では描かれなていないけど(ローブのことをより調べたら、わかるかも知れないけど)。もしかしたら、弟の方が頭がよかったのかもしれない。生きることに長けていたのかもしれない。
利益追求目的の価値観では、父からしたら、兄である「彼」より、弟の方が価値ある存在だと「彼」は捉えてしまったかもしれない。
父に認められない「彼」は承認欲求が満たされなかった。そして、父・弟を憎んだ。

そんな「彼」に「今や我々は超人が生きることを欲する」というニーチェ言葉が、自分の承認欲求が満たされることを信じて、ニーチェ哲学にのめり込んだ。

「彼」の完全犯罪は「自分の道へゆけ」というニーチェの言葉に鼓舞されながら起こした、資本主義の社会に生きる「彼」の叫び、訴えだと思った。

そして、ニーチェがこれまでの哲学の概念をガラリと変えたことに「スゲー!カッケー!俺もニーチェが言ってるように超人になってやるー!」って、強者に憧れを抱いた18歳の青年だったのかも。格好がつかないから、そうは言わずに冷静沈着で、「私」の前ではカッコつけてたのかも。血の契約書についても成河さん福士さんペアが「中二病」って言われてたし。そうゆう想像すると、ちょっと「彼」が愛おしくなる。
犯罪じゃなくて、弁護士として「力への意志」を持ち続けることができていたら。そう思います。



あと、ニーチェの言葉から、「私」についても思い起こさせるものがあった。
「今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ。」
「永劫回帰」のこの言葉だが、「私」が釈放されて「彼」の写真を手に取ったラストシーンを思い出した。高校生の「彼」の写真。「私」と「彼」がいつも一緒だった、幸せだった、あの頃の写真。
「私」の回想は「待ってたよ。」という言葉で始まる。ラストシーンも同様に「待ってたよ。」で終わることから、「永劫回帰」を裏付けられてとてもグッとくる。しかも、戻るのは「私」と「彼」の1番幸せだっただろうあの時に。
「彼」と一緒に生きることをずっと願っていた「私」には、この永遠ループは良きものかもしれない。たとえ、再び深い森の中を歩むことになっても。


…長々と、まとまりのない文章になってしまったけど、また観劇することも、観劇して新たな発見することも楽しみだな😌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?