私と彼女 -一体-
彼女が捕まったあの日からずっと、私は彼女のお守りを見つめコロコロとしたり、その存在を確かめるように手で握っては開いたりを繰り返していた。
このお守りまで消えてしまったら私はどうしたらいいんだろう?
とても不安だったのだ。
泣いても泣いても、涙は流れ続け決して枯れることはなかった。
(身体の水分は全部出し切ってるはずなのに不思議だな……。)
この間ずっと、最後に一緒に居たあの日が頭の中で何度もフラッシュバックしていた。
あのとき、私のせいで……。
私がもっと警戒していれば……。
後悔の念が消えることはなかった。
「バカだなぁ……。」
ふとグルルル、とお腹が鳴る。
食欲は無く、喉は何も通らないのにお腹は空いた。
「こんなときでもお腹は減るのか。辛いなぁ……。」
このまま餓死してしまいたいのに、私の身体は生きようとしている。「あゝ無情。」と心の中で呟いた。
床に寝転がってキッチンを見つめていると、彼女がしてくれたことを思い出した。
「オムライス……。」
私は重たい体をなんとか起き上がらせて、目が腫れたままスーパーへ向かい、玉子、玉ねぎ、鶏肉、ピーマン、マッシュルームなどの食材を買った。
彼女が使ってくれた食材。
それらでオムライスを作ろうと思った。
帰ると早速調理を始める。
玉ねぎをみじん切りにしている時また涙が零れたが、悲しくて流れてきたのか、はたまた玉ねぎのせいなのかは分からなかった。
おかげで指には血の赤が滲んだ。
料理が下手な私は二時間かけてようやく彼女が作ってくれたような見た目のオムライスを完成させた。
手は勿論、絆創膏だらけになった。
一口ずつ口の中へ入れる。
……全然違う味だ。
隣で見ていたはずなのに、よくここまで違う味に作れたもんだと逆に関心する。
「やっぱり私じゃ作れないや。」
その日は現実を見るのが辛くて早めに寝た。
一週間が過ぎた頃、仕事がどうでもよくなってしまった私は、まともに手がつかず毎日ボーッとしては会社で怒られていた。
「すみません。」と謝る言葉に魂は宿っていなかった。
上司にはしっかりしてくれと言われ、同僚からは冷たい視線が浴びせられた。
会社を早退させられたある日、肩を落として歩いているとコーヒーの香りがした。
吸い込まれるようにそのカフェに入り、何も考えずにブラックコーヒーを頼んだ。
コーヒーが出来上がるまでの間、彼女との事を思い出していた。
いつもの場所で、くだらないことを話したこと、本屋さんに行ったときの恥ずかしい思い出……、
そして彼女が好きだったブラックコーヒー。
テーブルにそっと出来たてのコーヒーが置かれる。
それを少し冷ましてから飲んでみた。
でもやっぱり私には苦かった。
「相変わらずお子ちゃまだなぁ。」
ガハハと笑う彼女が見えた気がした。
「うるさいなぁ……。」
ぽつんと呟いた。
それは誰にも受け止められずに宙を舞って消えてった。
帰り道を歩いていると、彼女によく似た人とすれ違った。
びっくりした私は咄嗟にその人に声を掛けた。
「あの……!」
振り返ったその人は全く知らない人だった。
「すみません、人違いでした。」
恥ずかしさと悲しさが入り交じって下を向いて早歩きをした。
「ほんとに捕まっちゃったのかな……。」
当たり前のことを考えて歩いていたら家に辿り着いた。
外に出なさすぎて出不精になっていた私は、たまには少しでも気分転換せねばと、久しぶりに休みの日に外へ出てみた。
行き先はもちろん本屋だ。
空は晴れ、鳥は鳴いて風も気持ち良いのに私の心は全くそれらに心踊らされることはなかった。
前なら鼻歌を歌いながら歩いていたのに……。
「はぁ……。」
最近はため息しか吐いていない。
何度目かのため息を吐いていると、
「あれ?久しぶりだね、こんなとこで何してるんだい?」
声をかけてくれたのは彼女が働いていたお店の店長さんだった。
「あ、お久しぶりです。」
軽く会釈をして彼女の事を色々話した。
すると、店長さんは全て知っていたようで
「そうだなぁ……」
と言い腕を組んで話し始めた。
「あいつは……、あの子は最初から何か抱えてたんだ。表ではあんなにうるさい元気な奴だったけどね、あたしには常に孤独で闇を抱えて生きてるように見えたよ。
君と出会ってからのあの子はすごく楽しそうでね、そりゃあもうとにかく毎日毎日、今まで以上にうるさかったよ。
でもそれは、それだけはこれまでと違って偽りじゃなかった。
それだけは確かだ。」
店長さんの言葉に胸が苦しくなった。
そうだったんだ。
私は店長さんに私が悪かったんじゃないか、あの時もっと警戒していたら捕まらなかったんじゃないかとも相談した。
店長さんはタバコを吸いながら、
「そうだねぇ。今の話を聞く限り、少なくとも君と居られてあの子は救われたと思うよ。
それに、あの子のことだ。最初から全部分かっていたはずさ。あいつは変に勘が良くてね、ある程度のことは予想できていたはずだよ。どう足掻いても逃げきれないことも、君が一生懸命守りたいと思ってくれたことも。
だからあの子は君と最後の最後まで一緒に居たんじゃないかな。自分のせいとかなんとか思わなくていい。運命とは時に残酷なもんだけれど、でも安心しな。いつか時間が解決してくれるよ。」
頭を撫でてくれた。
暫く出ていなかった涙がポロポロとこぼれ落ちて止まらなくなった。
「泣くな泣くなー、私が泣かしちまったみたいじゃねぇか。」
そういうと次は軽く抱きしめられ、余計に涙が止まらなかった。
久しぶりに声を出して泣いた気がする。
私は店長さんの言葉で救われた。
――数年経った頃、私はようやくあの事件を受け入れられるようになり、本当に時間が解決してくれたような気がした。
「一華ちゃん、行ってきます!」
私は写真に向かって挨拶した。
額縁に入っている写真は少しくしゃくしゃになっていて、小さな子供達が楽しそうに遊んでいる姿が写っている。
季節はあれから何度目かの春を迎え、桜の花びらと花粉が舞う最高で最悪な時期が訪れていた。
一つクシャミをする。
今日はなんだか風が強いな。春一番はとうに吹いたのに。
私は通勤途中に不意に思い出したあの日の事件に関してネットで調べてみた。
すると、とある記事が掲載されていた。
「……え。」
*
◯◯病院の院長が殺害された事件で、いくつかの偽装工作の疑いがあったため、被害者の妻に対し取り調べを行ったところ、犯行を自白したとして最高裁は被告人の二十代女性に対し無罪を言い渡した。
*
それを読んだ私は言葉を失った。
もしこれが本当なら、私――。
その日、私はそわそわした気持ちを落ち着かせるため、いつもの様にランチの時間愛読書を読んで居た。
すると、話に没入できた丁度いい場面で
「すみません、同じ席いいですか?」と聞かれた。
本を読むのに必死だったのと、邪魔されたことに少しイラッとして適当に辺りを見回し、満席なのを確認して「はい、どうぞー。」と言った感じで軽く相席を承諾した。
暫くして向かいに座った人が本の表紙を見たのか、不意に私に向かってこう言った。
「……その本、面白いよね。」
私はハッとして顔を上げた。
「あ……。」
- 一体 - ~完~
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