橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念対談 with 山本勇樹(Quiet Corner)
構成・文/稲葉昌太(アプレミディ・レコーズ A&R)
V.A.『Merci ~ SUBURBIA meets INPARTMAINT “Cafe Apres-midi Revue”』
「Suburbia Suite」やフリー・ソウルが育んだ
90年代渋谷系世代の豊かなリスナーシップ
──橋本さんがコンピレイションCDの選曲を始められて30年が過ぎたわけですが、30年前の山本さんはどんな音楽が好きだったんですか?
山本 1993年というと僕は中学3年生で、振り返ると今年は自分の音楽リスナー歴30周年だなと勝手に思っていたんですが、橋本さんのコンパイラー人生も30周年だと知って、おおっと思って。でも同時に、それはそうだなと思ったんですよね。振り返ると橋本さんの紹介する音楽を追いかけてきたのがそのまま僕のリスナー歴と重なるので。僕が中学3年生のときに、CMで流れていたピチカート・ファイヴの「スウィート・ソウル・レヴュー」を聴いて、そのあと、コーネリアスのソロ・デビュー・シングル、ジャミロクワイのファースト・アルバム『Emergency On Planet Earth』という順番で聴いていくんですけど、どれもすぐに気に入って。なんてかっこいい音楽なんだろうと。で、彼らが60~70年代の音楽に影響を受けているということで自分も興味を持って、当時のいわゆる渋谷系っていう音楽のムーヴメントの中に自分がどっぷりと入っていったんです。
橋本 確かに1993年っていうのは、僕が編集・発行していた「Suburbia Suite」でもその夏に“1993 *summer of love* tokyo”と表紙に謳ったスペシャル・イシューを作っているんですけど、シーンが活性化してましたね。その年の2月にロンドンやパリに行ったときに思ったんですが、ウエスト・ロンドンのカリブ系の移民とかが多くてカーニヴァルやアンティーク市をやっているような地域で、渋谷や下北沢で会っていた同世代とどんどんすれ違うような状況で。東京の音楽シーンがイギリスの音楽シーンともリンクしてパッと花開いていって、それが後に渋谷系って言葉で括られたりするようになるんですが、すごく豊かなリスナーシップが育まれていた、まさに季節でいえば春から夏へという時期だったのかなと感じます。山本くんはその頃に中学3年生で春の入り口にいたんですね。
山本 はい。もちろんまだ橋本さんがお話されたようなカルチャーを理解はしていませんでしたが。
橋本 1993年の2月は、まだジャミロクワイは12インチしか出ていなかったんだけれど、ブライトンでちょっとしたイヴェントみたいなものがあって、ロンドン中のレコード屋が出店していて、当時のレア・グルーヴやアシッド・ジャズの流れにあるライヴ・アクトとして彼らが出たんですが、すでに話題沸騰でしたね。
山本 当時、僕はCDはたくさん買えないので、よくJ-WAVEをエアチェックしてました。で、ジャミロクワイとかインコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズなんかが流れると、やっぱりアシッド・ジャズやレア・グルーヴといったキーワードがどんどん出てくるので、いったいそれは何だろうと。高校生になって、若者向けの人気雑誌のカルチャー系のファッションや音楽の特集を読んだりするようになったんですけど、ある号の巻頭でフリー・ソウル特集が組まれてたんですよ。そこに書かれてた文言が、いわゆる「渋谷系~コーネリアス~レア・グルーヴ~アシッド・ジャズ好きは必聴!」みたいなキャッチで。これは今の自分が聴かなきゃダメなやつだなっていうのをそこで認識したんです。で、たまたま地元の高校に近い街のCDショップに行ったら、『Free Soul Lovers』と『Free Soul Colors』が面出しで陳列されていたんです。あ、これだ、ここに売ってると思ってお小遣いで買って。
橋本 高校に入学したての一学期とかだよね。素晴らしい高校1年生(笑)。1994年っていうとオリジナル・ラヴがすでにかなり人気が出てたからね。93年から94年になる冬に「接吻」の大ヒットがあって、その後『風の歌を聴け』が94年にオリコン1位になって。時代的には、東京ではもうそういう70年代ソウル周辺のグルーヴィーでメロウな音楽っていうのは、「フリー・ソウル」という言葉を意識しなくても、雰囲気というか空気感としては熟成されつつあった時期だったのかもね。だから高校1年生にも届いたのかな。
山本 そうですね。田島貴男さんはTVでも歌ってたり、「モグラネグラ」という深夜番組の司会とかもしてたから、「接吻」のヒットもあって、東京の外れに住んでいても、そういうのが本当に今、渋谷あたりで盛り上がっているんだなっていうのを子どもながらに感じることができましたね。あと、やっぱり『Free Soul』シリーズのアートワークがとても印象的で。ロゴとか写真とか、まず今までに見たことがない洗練されたデザインに惹かれました。
橋本 吸引力があるよね。なんかワクワクする、心躍らせてくれる感じがあったんだと思うんだよね。あのロゴと女性の写真のジャケットがCDショップに並んだときに。
山本 で、収録曲を見たら、あれだけ曲数が入ってる中で知ってるアーティストがアイズレー・ブラザーズとアース・ウィンド・アンド・ファイヤーだけなんですよ。
橋本 高校1年生らしくていいね(笑)。
山本 そのふたつのアーティストしか知らない、だけどもうそんなの関係なしに、この作品自体きっとすごいんだなって思って買って帰って、ワクワクしながらCDをセットして。オープニングのビル・ウィザースの「Lovely Day」が流れてきた瞬間は今でも覚えてます。一発目からちょっとショックを受けたというか、ちょっと言葉では説明できない感じ、幸福感というのか、ぐっと気持ちがこみ上げてくる感じですかね。それでいて渋谷系の音楽ともつながる雰囲気もあって。あと、『Free Soul Lovers』だと2曲目のアイズレー・ブラザーズの「If You Were There」について、ライナーの対談で橋本さんたちがシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」について言及していて、ちょうどリイシューされたばかりのシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』をレンタル屋で借りたりしました。コンピ全体を通しても、とにかくなんかすごいなと思って。それまでコーネリアスとかジャミロクワイを聴いてた耳があったんで、これはなんか知らないけれども本当に素敵な音楽だなと。
橋本 70年代の音楽なんだけど、90年代の音楽と地続きで共鳴するものだということを直感的に感じとったんだろうね。
山本 そうですね。ソウル・ミュージックって言われても、自分がそれまでイメージしていたものとは違う、もっと心地よい感じがして。続いてその前にリリースされていた『Free Soul Impressions』と『Free Soul Visions』も買って、その4枚を繰り返し聴いていました。
橋本 その時点ではその4枚しか出てないもんね。それが高校1年生に届いたってことが本当に嬉しいな。そこから山本くんはいろんな音楽を好きになって、莫大な量の音楽を聴き込んできたと思うし、途中からは共に道のりを歩んだりして、最近はむしろ助けてもらったりすることの方が多くてという感じだから(笑)。ありがたいというか本当に感慨深いですね。
山本 で、CDのブックレットで橋本さんの名前を知って、そこから橋本徹という名前を意識し始めたのがスタートでしたね。やっぱり僕にとって1994年っていうのは本当に大きくて。初めて見る人が親じゃないですけど(笑)、自分の30年を振り返るとそこからずっと続いてるというか、未だにずっと自分の中にあるものだなっていうのは改めて感じています。
「SiFT」の雑誌内雑誌「Suburban Sprawl」と
タワーレコードのフリーマガジン「bounce」の自由でモダンな誌面作り
橋本 高校2年生の頃は音楽雑誌だと「SiFT」とか読んでたんでしょ? そこがまたその年代ならではだなっていう。1995年はフォーキーの年とか言ってたんだけど、ポール・ウェラーの『Wild Wood』が93年で、『Live Wood』が94年で、『Stanley Road』が95年かな。ちょうどUKのロックもブラー対オアシスなんて話題があったりで、ブリット・ポップなんて打ち出しが目に付いた時代だよね。
山本 そうですね。ブリット・ポップが盛り上がってて、その中でポール・ウェラーがグル(導師)みたいな感じでたびたび名前が出てきてましたね。そういうのが好きで「SiFT」を読んでいたら……。
橋本 そこにも橋本徹の名前が出てきたと(笑)。
山本 はい、橋本さんの特集ページがあって(笑)。プライマル・スクリームの『Give Out But Don't Give Up』にもはまって、そういう方面からルーツ・ミュージックにも興味を持つようになって、当時そのあたりが詳しく書かれていた雑誌「SiFT」をよく読んでいたんですけど、その中にあった橋本さんのコーナーにすごい影響を受けましたね。
橋本 そう、雑誌内雑誌みたいなのをやってほしいって、その後リットーミュージックの社長になる編集長から言われたんですよね。それで「Suburban Sprawl」っていう、「Suburbia Suite」にちょっと引っかけて何ページか毎月作って。ドナルド・フェイゲンの「Maxine」の歌詞に出てきた「Suburban Sprawl」っていう言葉を敢えて使って、ロックの雑誌でサバーバン・スプロールするっていうコンセプトで、自分なりに編集ページを95年から96年にかけてやってました。やはりドナルド・フェイゲンの曲名から名づけた「New Frontier」というコラムも毎回書いたり。山本くんがすごく反応してくれてた、フォーキーを土系と草系に分けてとかね。HMVで以前トークショウをやったときに、山本くんが「SiFT」のバック・ナンバーの「Suburban Sprawl」のコピーを全部持ってきてくれて、あれには感動したな。そのとき山本くんが「高校2年生だからまだ遊びに行けなかったけど、橋本さんがこの“リンダ・ルイス幻の名盤大試聴会”でかけていたのはどんな音楽なんだろうとか想像していました」みたいな話をしていて、そのピュアな山本少年を感じるエピソードが僕の中ですごく胸を打ちましたね。
山本 「SiFT」はとにかく一言一句、隅から隅まで読み込んでましたね。「Suburban Sprawl」の対談やコラム、その中にあるキーワードとか。「Free Soul Underground」の今月のトップテンなんかも載っていて。
橋本 僕は「Straight No Chaser」に載っていたチャートとか、大学生のときに全部チェックしていたから、「SiFT」でもそういうのがあるといいなと思ったんだよね。当時の大学生だった僕はロンドンのクラブの現場には行けなかったけど、そのチャートを見て、その音楽を聴くことで、こういうのが流れてるんだと思ってたからね。
山本 僕も「SiFT」でチャートを見て、橋本さんはフリー・ソウルの現場でこういうのをかけてるんだなって。当時はサブスクとかもないから、その曲目とアーティストやジャケットを見てイメージするしかなかったんですが。
橋本 そういう曲が後にコンピCDに入ってきたりするわけだよね。それと90年代半ばって、サンプリングやカヴァーを通してヒップホップとジャズやソウルやブラジル音楽とかの結びつきを示しやすかったから、そういう記事も結構作ってたよね。ちゃんとジャケットも掲載して新譜と旧譜の結びつきみたいなのを見せたりというのを意識してました。
山本 そうですね。だからヒップホップとかクラブ・ミュージックも新旧リンクするものがいろいろ掲載されていて面白かったです。あと僕は当時、ポール・ウェラーからつながって知ったマザー・アースが大好きで、リーダーだったマット・デイトンのソロ・アルバム『Villager』が取り上げられてて。
橋本 あのアルバムは僕も大好きで、ジャケットを大きく掲載した記憶があるよ。フォーキー草系ね(笑)。あの年でいちばんくらい聴いたアルバムだったからね。先ほどの話の続きだと、『Free Soul 90s』のコンピを作った年だったっていうのも大きかったかもね、95年は。あと、『Groovy Isleys』と『Mellow Isleys』というアイズレー・ブラザーズのコンピ2枚もそうだけど、現在進行形の音楽と、フリー・ソウルで光を当てた70年代の音楽との蜜月というか、結びつきみたいなものを、わかりやすく記事にしたりDJプレイで示したりすることに、僕は関心があった時代だったのかもしれないな。
山本 その頃はもうタワーレコードのフリーマガジン「bounce」には関わっていたんですか?
橋本 「bounce」はまだ取材を受けてた立場で、『Free Soul 90s』のときにすごくいい特集を作ってくれたんだよね。それがまさにそういうグッド・リサイクルをテーマにしたインタヴューとコラムで。その号ですごく印象的だったのはイジットのニコラ嬢とマット・デイトンの結婚式の写真が表紙で、ページをめくると『Free Soul 90s』の記事という。最高の一冊だよね。で、翌月も僕は寄稿したんだけど、ポール・ウェラーが表紙でフォーキーの特集。ほぼほぼ「SiFT」で僕がやってたこととシンクロしてて(笑)。で、モッズの特集もあったりね。
山本 モッズの特集といえば、当時シンコーミュージックからモッズのディスクガイドが出版されて、僕はそれをすごく読んでいたんですよ。で、その中で橋本さんが選盤されてて、ジョージー・フェイムの『Rhythm And Blues At The Flamingo』やスタイル・カウンシルの『Our Favourite Shop』と一緒に、デ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズを紹介していたんですよ。ディスクガイド自体は本当にモッズの定番中心に載っている中で、橋本さんの選盤がすごすぎたのを覚えていて。こういうのが本来の意味でモッズだよって、シャープに紹介されていて。
橋本 デ・ラ・ソウルの『3 Feet High And Rising』やビースティー・ボーイズの『Paul’s Boutique』とかね。あの本は確か「MODS’ BEAT」って言ったかな。大久達朗・監修で、それまでのモッズ本に比べると自由だったんですよ。それで、ステレオタイプなフーとか「さらば青春の光」だけじゃなくて、モッズ、つまりモダーンズの本来の精神っていうのはこういうものじゃないかみたいな選盤とコラムを期待してますって言われて。僕はそれを受けて、教科書通りに聴くだけじゃなくて、自分なりにモダンなこととかモダンな音楽に触れていくことが本当のモッズだよねという趣旨で書いて。山本くんがそこに反応してくれたのは、めちゃめちゃ嬉しいですね。
山本 僕はもうデ・ラ・ソウルもトライブ・コールド・クエストも知ってたんで、それを読んだときに橋本さんがこういう本でこういうのを紹介するんだっていうのが、若いながらにかっこいいと思ったのが印象的で。そういった誌面上の橋本さんの自由なセレクトだったり、愛情のこもった文章からも、CDの選曲と同じくらい影響を受けましたね。
橋本 そういうことをわかってもらえるかって本当に大きいんだよね。そんなのモッズじゃないって思う頭の固い保守的な人たちだっているわけでさ。だからそれはスタイル・カウンシル初期のポール・ウェラーから何を学ぶのか、どういうところをかっこいいと思うのかって話にも通じるよね。ファッション的に見ても、ヴェスパに乗って細身のスーツを作ってって方向だけが正解じゃなくて、綺麗な色のニットやステンカラーのコートを合わせたりとか、フレンチ・トラッドやフレンチ・アイヴィー、上品なフレンチ・カジュアル指向に行ってもいいわけで。僕にとってはそういうことがポール・ウェラーのかっこよさであり自分にとっての理想だったから、それに似た自由なことをやりたかったんだと思いますね。過去やシックスティーズを求めて疑似体験にいざなうのではなく、大胆な遊び心や反骨精神を大切にしたかったというか。
HMV渋谷に象徴されるフリー・ソウル/サバービアの隆盛と
ディスクガイドの功績によるCDショップの品揃え充実
山本 僕はフリー・ソウルのDJパーティーは未経験で、橋本さんがどういう人柄なのかはその頃は知らなかったんですけど、そういう媒体を通して、自分の中で、あ、橋本さんってこういう人なんだなって感じるようになって。橋本さんが紹介されている音楽を聴けば、自分の音楽ライフがどんどん充実していくなっていうのを、10代のうちに実感していたんだなって思います。
橋本 僕は音楽の連想ゲームをひたすらやっていたんだけど、それについてきてくれて、一緒にその好奇心を広げていけるようなリスナーだったんだと思うんだよね、若くして山本くんは。「Suburbia Suite」はどこから読んでいたの?
山本 1996年2月に出た「Suburbia Suite; Suburban Classics For Mid-90s Modern D.J.」からだから、高2くらいですね。渋谷のHMVに行くようになって、もちろんそこがメッカだっていうのはもう知っていて、店頭の入り口に「Suburbia Suite」が一面に並べてあって、その横にフリー・ソウルのコンピ・シリーズもドーンってあって。小沢健二の『LIFE』があって、その横に小坂忠の『ほうろう』があったりとか。その光景は未だに目に焼きついていますけど。
橋本 いい売り場だねぇ(笑)。ジャンルも新旧も関係なくて。その頃のHMV渋谷の1階のコーナーって、邦楽売り場なのに『Free Soul Parade』や『Free Soul Lights』が週間売り上げの1位を獲得していた時期ですね。
山本 フリー・ソウルのディスクガイド本が出ているっていうのは知ってはいたんですけど、当時はインターネットとかもなくて買う術がなくて。それをHMVの店頭で見て、あ、これだ! と思ってすぐに買って。それは本当によく読み込みましたね。それ以前の「Suburbia Suite」はやっぱり手に入らなくて。でも中古レコード屋に行くとレジの近くに置いてあるんですよ、過去のディスクガイドが。それで僕は読んでましたね。店内閲覧用のものを。
橋本 中古レコード屋もそれを読んで仕入れしてたからね。96年の初めだと完全に中古盤屋はフリー・ソウルとかサバービアってコーナーを作ってましたね。
──そして1996年の4月、山本さんは高校3年に、橋本さんはタワーレコードのフリーマガジン「bounce」の編集長になります。山本さんの90年代後半はどんな感じだったんでしょうか?
山本 大学に入ったら、バイト代でひたすらサバービアやフリー・ソウルで紹介されているレコードを買いまくるっていう。大学が神田にあったので、橋本さんの動向をチェックしながら、「Suburbia Suite」をいつもバッグに入れて、毎日のようにレコード屋に行っていましたね。それで2000年に出た、雑誌「relax」のサバービア特集でさらに熱が高まるという感じで。その後「ムジカ・ロコムンド」とか、他のディスクガイドも充実してきて。
橋本 1992年のサバービア以降って、ディスクガイドとか音楽書籍が出て、そこに紹介されてる音源がCDでリイシューされ、CDショップの品揃えが充実する、ということをどんどん繰り返していった感じがしますよね。2000年代前半まではそうだった気がする。それこそ最初はサントラとかソフト・ロックとかシンガー・ソングライターとかボッサとかだったのが、クラブ寄りのものも含めて、ブラジル音楽とかもそうだし、スピリチュアル・ジャズやヨーロピアン・ジャズ、ライブラリーなどもそうですが、みんなが比較的容易に手に入れられるようになったのがその時期だったのかなと思って。だから僕はそういう時期にbounceの編集長をやれたのはすごく大きくて、それまでは買えなかったようなものでもタワーレコードで手に入れてもらえるから、音楽シーンを本当に縦横無尽に、ジャンルや地域も、その新旧も含めて行き来できるみたいな、音楽の海が広大になっていって、それを誌面に展開できるようになった時代だったという印象があって。
山本 「bounce」のあとに橋本さんが編集した「relax」のサバービア特集のディスクガイドも、カルトーラで始まってファラオ・サンダースで終わるっていう。僕はあれを見たときに、広大な音楽の海を縦横無尽に行き来する、こういう自由なセンスってすごいなって感激して。こういう切り口で音楽紹介するのってとても素敵だなって思いましたね。
橋本 僕もそういうセンスに共感してくれる人が増えたらいいなっていう気持ちをかなり込めてやっていましたね。それは「MODS’ BEAT」でデ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズを選んだのと同じ発想なんだけど。
カフェ・アプレミディのコンピ・シリーズがもたらした高揚感と
音楽とライフスタイルの素敵な関係
山本 橋本さんがカフェ・アプレミディのコンピ・シリーズを始めたのが2000年ですよね。
橋本 そうですね。前年の11月に店がオープンして、春に「relax」の「Suburbia Suite 2000」特集が出て、その年の7月が最初のリリース。
山本 7月に『Cafe Apres-midi』の最初の4タイトルが出るっていう広告を「bounce」で初めて見たとき、僕にとっては最初に『Free Soul』のアートワークを見たときと同じぐらいの胸の高鳴りを感じました。
橋本 それはデザインを手がけたNANAの功績が本当に大きいね。フリー・ソウルのコンピレイションとカフェ・アプレミディのコンピレイションはジャケットが並ぶと本当に鮮やかで、店頭でも目を引いたからね。
山本 そのときは、橋本さんが何か新しいシリーズをスタートさせるんだってファンとして楽しみにしていて。「bounce」の広告に「お待たせしました!」って書いてあって、その惹句とジャケット写真の並びを見たときに、ウワッと来たんです。そこには収録曲リストも載っていて、もう「relax」の特集を読み込んでいたので、リストを見ながら、お、この曲が入るんだ、これはまだ単体CDでリリースされてないやつだっていうのを全部チェックして(笑)。そこから怒涛のように『Cafe Apres-midi』のコンピ・リリースが続きましたね。
橋本 2000年から2002年くらいまではすごかったですね。カフェ・アプレミディが社会現象のようになって。あの3年間を30年間に均してもらえたらよかったくらいで(笑)。店も行列ができて入れないし、レコード会社はほぼ全社からコンピCDのオファーが来ましたね。で、もうこれで全社終わったかな、と思ってたら最後にP-VINEからも来て、アナログ盤も出て。本当にすごく活気づいてたよね。山本くんがHMVに入社したのは何年?
山本 2001年です。
橋本 まさにカフェ・ブーム真っ只中だね。
山本 僕が入った年はレ・マスクやコルテックス、トリオ・カマラ、あとアグスティン・ペレイラ・ルセナやカンデイアスなどのリイシューが出まして、店頭で飛ぶように売れてっていうのを覚えてますね。
橋本 そういう話を聞くと、やっぱり山本くんはアプレミディ的なイメージを強く感じるな。
山本 『Cafe Apres-midi』シリーズでピエール・バルーのサラヴァ・レーベルの音源をコンパイルしたCDも、僕が入社した2001年にリリースされて。サラヴァってこんなにいい音源がたくさんあるんだと。
橋本 『Cafe Apres-midi』はオムニバスだけじゃなくて、クレプスキュールやサラヴァ、チェリー・レッド、エル、スカイ&グリフォンみたいにレーベル括りでコンパイルできたり、チェット・ベイカー、ブロッサム・ディアリー、ジョイス、エリス・レジーナ、マルコス・ヴァーリ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラみたいにアーティストものをやれたのも楽しかったですね。
山本 今度は自分が売る立場になってはいたものの、やっぱり橋本さんのリスナーそしてファンとして、毎回コンピを楽しみにしていました。
橋本 よく覚えてることがあって、あるときHMV渋谷店の最上階のジャズ・フロアがアプレミディ・グラン・クリュみたいなインテリアになったんだよね。椅子やCDラックがウッディーになって、落ち着いたトーンで統一されて。上質というか、そういうのを気持ちよく感じる時代だったよね。
山本 2002年に出た「relax」のアプレミディ・グラン・クリュ特集も相当読み込みましたからね。選盤や世界観に関しては、クワイエット・コーナーもだいぶ影響を受けていると思います。
──山本さんが渋谷店勤務だったのは2001年から2008年まででしたよね。
山本 そうですね。まさにアプレミディのコンピCDがたくさん出ている時期で。
橋本 その頃すごく意識していたのは、インテリアとか料理とか雑貨とか、そういうカフェを通して興味が広がっていったようなこと、大きく言えばライフスタイルみたいなものと、自分の好きな音楽をどう結びつけていくかみたいなところだったから、HMVの変化はついにCDショップまでお洒落になってきた(笑)って嬉しかったの覚えてますね。オーディオや試聴機も業務用じゃなくてインテリアとして素晴らしいものが置かれてて、デザインのいい雑誌とかまで置いてありました。音楽を売るだけじゃなくて、音楽が流れる、音楽と出会う素敵な空間を作るところにまで、大手のCDショップが踏み込んだのはすごく象徴的だったし。それが最終的につながっていったのが、2009年後半から翌年HMV渋谷店が閉店するまで続いた「素晴らしきメランコリーの世界」コーナーですね。僕から名乗り出て、リラックスして試聴できるアームチェアを寄付させていただいて。
山本 はい、引き取りにうかがいました。ありがとうございます(笑)。
2000年代の総決算としてのコンピ&ディスクガイド
『Jazz Supreme』そして『Mellow Beats』
橋本 そしてアプレミディ・レコーズが始まったのが2009年ですが、山本くんは90年代後半に大学生で、僕が編集していた頃の「bounce」や、フリー・ソウルやサバービアで紹介された音源がどんどんCD化されるのを聴いていって、2000年代には今度は自分が売る側の立場になって、アプレミディのコンピレイションを聴いて、その背景に広がるフレンチやブラジリアンやジャズをお客さんに届けていったっていうのが、それまでの流れだよね。
山本 そうですね。あと忘れられないのは、やっぱり橋本さんの『Jazz Supreme』シリーズでして。僕にとってはフリー・ソウル、カフェ・アプレミディに続く第3のショッキングな出来事といいますか。売る側の立場になった2000年代前半ってクラブ・ジャズが盛り上がっていて、本当に売りまくったんですけど、正直僕の中では飽和状態で、もういいかなっていう思いもあったんですよ。でも、2004年頃にカルロス・ニーニョとかビルド・アン・アークが出てきて、あ、こういうのいいなと思っていたところに、橋本さんの『Jazz Supreme』が出てきて、うん、これだな! と思って。
橋本 僕も同じようなことをその頃すごく感じていて。クラブDJ用の曲が入っていれば何でもという感じで入手困難だったジャズ・アルバムをブートレグ含めどんどん再発して、どんどん消費させていくみたいな2000年代前半の動きには距離を置いてましたね。もう売り尽くそうってことだったんでしょうけど、さすがに食傷気味じゃないかって思って、リセットというか段落変えがしたかった。特にジャズは自分が好きな音楽だから、意趣返しという意味も含めてね。それまでもアプレミディのシリーズでMPSやConcord、Blue Noteなどの音源をコンパイルしたり、DJプレイして盛り上がるという感じではないけど、自分が好きなジャズをテイスト別に提案する作業はしてましたが、そういうジャズと、DJやクラブ・シーンと親和性のあるジャズの間にある素晴らしい音楽をまるごと提示したかったんですね。それこそモーダル的なものからスピリチュアル的なものまで。それと、2000年代ってマッドリブに代表されるようにアンダーグラウンド・ヒップホップも活気があった時代で、そういうメロウ・ビーツ~ジャジー・ヒップホップとの接点になるようなジャズを、マクロな視点で一気に統合したかったのもあって。だから自分ではコンピCDもディスクガイド本もすごく気合いが入っていました。
山本 『Cafe Apres-midi』シリーズ後半の、2002年にリリースされた『Cafe Apres-midi Lilas』ではマリオン・ブラウンの「Vista」が、『Cafe Apres-midi Cremeux』ではアレトン・サルヴァニーニの「Imagem ~ Yelris」がそれぞれ1曲目で、この辺からリスナーとしては橋本さんの選曲の風向きの変化を感じてはいたのですが。
橋本 兆しがね(笑)。だいたいいつもそうなんですけど、フリー・ソウルもシリーズ後半になってチェット・ベイカーやボブ・ドロウ、ジェーン・バーキンあたりが入ってくると、もうカフェ・アプレミディの兆しが見えてきて、『Cafe Apres-midi』シリーズも後半になってくると、次の時代を準備するテイストが混ざってくるんですよね。
山本 そういった前兆を感じてからの、満を持しての『Jazz Supreme』シリーズで、『Modal Waltz-A-Nova』と『Spiritual Love Is Everywhere』でそれぞれエリオット・スミスのワルツが収録されていたところにも痺れましたね。
橋本 またそういう反応をしてくれると、本当に嬉しいですね。なんでエリオット・スミスが入ってるんだって、お固いジャズ・ファンには怒られるはずだし。モッズ・ファンになんでデ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズなんだって怒られるみたいな(笑)。山本くんは常にその部分に反応してくれるから、提案してよかったなって本当に思えるんだよね。
山本 もちろんエリオット・スミスが入ってて本当にびっくりしたんですけど、聴いてみると全く自然ですよね。驚くけど共感できるな、やっぱりすごいなと思って。
橋本 勇み足ぎりぎりというか、勇み足なんだけど(笑)。それぐらい自由なことをやりたいというか、リスナーのストライク・ゾーンを少しでも広げたいというかね。
──その頃の橋本さんのコンピレイションCDを振り返ると、2006年に『Classique Apres-midi』シリーズの6枚があって、2007年には『Mellow Beats』シリーズが始まって、2008年から『Jazz Supreme』シリーズが始まります。山本さんは最初はファンとして、そしてHMV渋谷店の売り場に立つようになってからはよき理解者として15年間、橋本さんを追いかけてきたわけですよね。
山本 そうですね。『Jazz Supreme』シリーズが、実際に店頭で売り場作りをしていた最後の時期でした。
橋本 そして2009年の春にインパートメントでアプレミディ・レコーズをスタートするというタイミングで、本社勤務になった山本くんと僕はついに出会うんだよね。
嬉しい予感に満ちたアプレミディ・レコーズのスタートと
『音楽のある風景』~『素晴らしきメランコリーの世界』
──アプレミディ・レコーズからの最初のコンピレイションCD『音楽のある風景~春から夏へ』が2009年の3月で、以降『夏から秋へ』『秋から冬へ』『冬から春へ』と4枚のシリーズが2009年にリリースされました。
橋本 今回の『Merci ~ Cafe Apres-midi Revue』がアプレミディ・レコーズからの30作目のコンピレイションCDですけど、リリースごとに毎回、インタヴューや対談記事、僕と山本くんで半分ぐらいずつ書いた全収録曲解説とかを、HMVのウェブサイトに載せてもらったり、オリジナル特典を付けてもらったり、本当に山本くんはアプレミディ・レコーズを14年間続けてこられた立役者のひとりと言っていいですね。最初の『音楽のある風景~春から夏へ』は、新しいシリーズが始まるときめきみたいな嬉しい予感を、選曲にもアートワークにもパッケージできたかなっていう手応えがあって、自分の周りでもすごく評判がよくて。『Free Soul Impressions』とか『Cafe Apres-midi Fume』とか『Mellow Beats, Rhymes & Vibes』にも引けを取らないくらい、シリーズの顔として第1弾にふさわしい素敵な選曲になったと感じてましたね。山本くんは『音楽のある風景』シリーズが始まって、それを聴いたときってどんな印象だった? もちろん、すぐにインタヴューをオファーしてくれたくらいだから気に入ってもらえたんだと思うけど。
山本 僕の中では、それまでメジャー・レーベルで活躍していた橋本さんが、このシリーズからインパートメントと組んで、インディペンデントな音源にアプローチして、有名なアーティストが入ってるわけではありませんが、選曲においてはより深いところに行ってると思いました。でも音楽的にはむしろ開かれていて、『Cafe Apres-midi』が始まったときに近い印象がありましたね。収録曲に関しては知らない、聴いたことがないという人が多いだろうし、メジャーからインディーズになったわけなので、橋本さんまたすごいところに行ったな、とは思いましたが(笑)。
橋本 山本くんは、2000年代をジャズ・バイヤーとして過ごしてるからわかると思うんですが、僕がジャズ・ヴォーカルを中心にインディペンデントの新しい音源にあれほど詳しいとは誰も思っていなかったと思うんですよね。対外的にはそういう面は前に出ていなかったから。
山本 そうですね。僕は橋本さんがアプレミディ・セレソンのホームページで執筆していた新譜紹介とか、アプレミディ・セレソンのショップにも通ってインディーの新譜も結構置いてあるのをチェックしていたり、「usen for Cafe Apres-midi」の3周年記念で発行された「公園通りの午後」や5周年のときに出た「音楽のある風景」なども読んでいたので、今度はそういう音源をコンパイルしていくんだっていう、シリーズのスタートが楽しみで待ちきれない思いでしたけど、確かに世間的には驚かれたかもしれません。
橋本 「usen for Cafe Apres-midi」も今ほどは知られていなかっただろうしね。でもこのチャンネルのヘヴィー・ローテイション曲をCDとしてパッケージできたら、すごく素敵なものになるなっていうのが出発点だったんですよね。しかもその切り口で、3か月に1枚、季節の移ろいを描いていくっていうテーマにして。「usen for Cafe Apres-midi」の5周年のときに作った本が「音楽のある風景」っていうタイトルで、内容も含めてとても評判がよかったので、アプレミディ・レコーズからの最初のコンピレイション・シリーズのタイトルもそれにしたんですよね。
山本 こういうインディペンデントな音源だけで選曲された1枚のコンピレイションCDが、こんなに素晴らしいものになるんだって驚きがありましたね。
橋本 それは本当にA&Rの稲葉さんの功績なんですが、1曲ずつインディペンデント・レーベルに連絡してライセンスの許諾を取って、コンピレイションCDを作ることができるんだ、インターネットの時代になって、これからはそうなっていくんだなっていうね。あのときにそういう形に移行できたのは、その後を考えてもすごくありがたかったですね。2009年の時点でもうコンピレイションCDを200枚以上は作っていたわけで、やっぱりメジャー・レーベルの音源、特に旧譜ではやり尽くした感も少しあったから。
山本 『春から夏へ』の収録曲の並びで、ホセ・ゴンザレスがあってスウィートマウスがあってというのを見たときに、また『Jazz Supreme』でエリオット・スミスが入っていたときに似た嬉しい驚きがありました。
橋本 当時、稲葉さんにも言ったと思いますが、ホセ・ゴンザレスが入ることはすごく重要でしたね。『Cafe Apres-midi』が全部ブラジル音楽では意味がなかったように、『音楽のある風景』が全部サロン・ジャズではNGという意識があったので。スウィートマウスもネオアコ系譜のイメージがあるのかもしれないけど、ワルツァノヴァ的に聴けるしね。『夏から秋へ』でもそうで、クララ・ヒルやエイドリアナ・エヴァンス、あと何といってもホセ・パディーヤとかね、必ず何か異ジャンル的だけどテイスト的に流れに合う曲を入れたいんですよね。
──2009年の9月に『秋から冬へ』、12月に『冬から春へ』と4枚リリースしたわけですが、そのたびに、山本さんは充実した記事を作ってましたね。で、『秋から冬へ』のときは『公園通りの秋』っていうオフィシャルの特典CDを作って、『冬から春へ』ではそれまでに掲載した4枚分の記事を再編集という形でまとめて特典の小冊子を作ったり、CDが売れなくなってきていた時代にいろいろ工夫をしていました。
橋本 『冬から春へ』の対談記事は確か、ジョー・クラウゼルのメンタル・レメディーに始まって、アルゼンチンのアンドレス・ベエウサエルトで終わるっていうのが、これからを暗示してますねっていう稲葉さんの発言で終わった記憶があるんですが、まさにそこから『美しき音楽のある風景~素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』と『チルアウト・メロウ・ビーツ』、そして『素晴らしきメランコリーの世界~ピアノ&クラシカル・アンビエンス』『素晴らしきメランコリーの世界~ギター&フォーキー・アンビエンス』へつながっていくっていうのは、アプレミディ・レコーズのスタート当初を象徴してますね。『音楽のある風景』で、山本くんのような新しい音楽仲間も含め新たに何かやろうという雰囲気ができて、そこにアンドレス・ベエウサエルト始めHMVの「素晴らしきメランコリーの世界」の売り場から受け取ったインスピレイションを反映させていったのが2010年だったのかなっていう気がします。そしてそれを気に入ってくれたリスナーの方たちと、カルロス・アギーレ周辺を中心に、さらに2010年代にいろんなことが起きていくんですよね。メンタル・レメディーは最高だよねって、よく話して意気投合していたNujabesはその年に亡くなってしまったんだけれど。
「usen for Cafe Apres-midi」の10周年を祝うサロン・ジャズと
内省的な私小説『ブルー・モノローグ』の並列
山本 この頃のコンピレイションは、橋本さんのプライヴェイトでのリスニング選曲がそのままコンパイルされているんだなって思って聴いていました。
橋本 内省的なモードで、ひとりで過ごしている時間も長かったし、夜中に起きて音楽を聴いている時間も長かったから、そういうのが反映されてるよね。でも、2011年になると「usen for Cafe Apres-midi」の10周年コンピCD『Haven’t We Met?』や、『音楽のある風景~食卓を彩るサロン・ジャズ・ヴォーカル』『音楽のある風景~寝室でくつろぐサロン・ジャズ・ヴォーカル』があって、『ムーンライト・セレナーデ・フォー・スタークロスト・ラヴァーズ』もそういう雰囲気があるけど、この年は結構サロン・ジャズなテイストで、『音楽のある風景』の四季シリーズに戻した感じですね。中でも『Haven’t We Met?』は、「usen for Cafe Apres-midi」~アプレミディ・レコーズ周辺の仲間と一緒に集まってハンドメイドのパッケージ作業をしたりとか、いい思い出がいろいろありますね。やっぱり10周年記念ってことでそれまでのベスト・オブ・ベストという感じの選曲だったし、総決算的な決定版が出せた充実感はあったかな。逆に、2010年に作った『美しき音楽のある風景~素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』『素晴らしきメランコリーの世界~ピアノ&クラシカル・アンビエンス』『素晴らしきメランコリーの世界~ギター&フォーキー・アンビエンス』的な心象が極まったのは、2012年春にリリースした『ブルー・モノローグ』でしたね。
──そこは別々の流れとして並行してあったんですね。
橋本 アンビヴァレントな感情はありましたけど、誰かと過ごす時間とか昼間とかは、耳ざわりのよいサロン・ジャズ的なテイストで、夜にひとりになって自分の内面世界と向かい合うと、メランコリーでブルーな世界へっていう感じだったんですね。でも『ブルー・モノローグ』を出せたことで、自分の気持ちにひと区切りつけられたし、精神的に救われたっていうことはとても大きかったです。これまでアプレミディ・レコーズで作った29枚の中でも、やっぱりいちばん感謝しているし、思い入れの深いコンピかもしれません。
山本 『ブルー・モノローグ』は橋本さんの作家性が強くて私小説みたいな要素が強いっていうのはもちろんあるんですけど、そうでありながらも、実は時代の空気もちゃんとまとっているんですよね。コンピレイションのサブタイトルになっているテイラー・アイグスティの『Daylight At Midnight』だったり、当時のグレッチェン・パーラトの『The Lost And Found』とか、そういうところともリンクしていて。だから個人的な内省的な作品だとしても、リスナーはしっかり聴いてくれているんでしょうね。
橋本 その時代の動きともリンクしてるのは、やっぱり普段聴いてる音楽がほとんど現在進行形の割合が高いからなのかな。でも本当に『ブルー・モノローグ』については、吟味に吟味を重ねてというか、深いレヴェルで心に響く曲だけを集めたんですよね。
豊作の2010年代と『Seaside FM 80.4』によるリスタートから
『Free Soul ~ 2010s Urban』と『Good Mellows』へ
──やはり『ブルー・モノローグ』をひとつの区切りとして、2012年の後半に向かっていった感じですか?
橋本 そうですね。2012年ってほら、フランク・オーシャンの『Channel Orange』やロバート・グラスパー・エクスペリメントの『Black Radio』があって、前年にはグレッチェン・パーラトの『The Lost And Found』をロバート・グラスパーとテイラー・アイグスティがサポートしていて、ジェイムス・ブレイクのファーストなんかもあったわけで、現在進行形のディケイドを代表するような名盤がその頃から次々にリリースされて、自分が聴く音楽も新譜の割合がぐっと高まったというか、100パーセントに近くなって。以前山本くんと柳樂光隆くんと3人で座談会をしたときにも話が出てたけど、この辺からリイシューをあまり追いかけなくなったんですね。そんな感覚が自分の作るコンピにも、アプレミディ・レコーズの作風にも影響していったんでしょうね。気持ち的にも、『ブルー・モノローグ』を作ったことで底をついたというかね、もうこれ以上落ちないところまでいってさ(笑)、そこから徐々に上がっていって、そのスタートが2012年夏にリリースした『Seaside FM 80.4』でしたね。これを出したときに、自分の気持ちが吹っきれるのを感じたというか、すごくいいものができたという手応えがあったんですね。久しぶりに抜けのよいものを作れたなっていう実感があって。
山本 そうですね。僕らも久々にグルーヴィーな橋本さんの選曲が聴けて嬉しかったっていう。
橋本 今思えば、「シーサイド」っていう意識がここから始まってるんですよね。このコンピレイションの「FM」っていう部分は、その後の『Free Soul ~ 2010s Urban』シリーズへつながっていくわけだし、「シーサイド」っていう視点は、『Good Mellows』シリーズに発展していって。僕のアプレミディ・レコーズ以外での代表的な2010年代の二大シリーズの原点というか、アイディアの源泉になってるのかなっていうのも感じます。2013年末に『Free Soul ~ 2010s Urban』、2015年春に『Good Mellows』が始まるわけだから。『Seaside FM 80.4』で久しぶりに抜けのいいグルーヴィーなコンピレイションを作れて、それこそ、友人の女性たちに正々堂々と渡せるような(笑)CDを出せたのは大きかったんでしょうね。
『Cafe Apres-midi』シリーズとHMVのアニヴァーサリー・コンピに宿る
フレッシュでエヴァーグリーンな輝き
──2015年には山本さんからご提案いただいて、HMVの25周年と『Cafe Apres-midi』コンピ・シリーズの15周年のダブル・アニヴァーサリー企画として『Cafe Apres-midi Orange』を作って、同時にユニバーサルからの『Cafe Apres-midi Fume』と『Cafe Apres-midi Olive』の15周年記念エディションもリリースされましたね。
山本 僕のわがままを聞いてくださって(笑)。
橋本 いやいや、こちらこそありがとう(笑)。やっぱり2010年代になって5年も経ってると、逆にそれまで新譜中心のコンピレイションばかり作っていたから、こういう旧譜も混ぜられるような『Cafe Apres-midi Orange』は、むしろフレッシュな気持ちで、いい感じのヴァイブスでできたなと。
山本 それまでサバービアなどで紹介されていたけど、さまざまな理由で権利所有者にたどり着けなかった音源が、インターネットが発達してコンタクトできるようになったおかげで、まとめて収録することができて、残っていたものを全部回収できたみたいな感慨がすごくありましたね。ロンドン・ジャズ・フォーのビートルズ・カヴァーとか許諾を取れたのもすごいと思いますし、フレンチのジャクリーヌ・タイエブの収録も嬉しかったなぁ。レコード屋でかれこれ20年探しても見たことなかったですから。
橋本 アプレミディ・レコーズでの稲葉さんのライセンス・ミラクルを旧譜にも当てはめたっていう。現代のテクノロジーで過去のお宝にたどり着くみたいなね(笑)。
山本 僕も関わらせてもらったこともあって、『Cafe Apres-midi Orange』にはとても思い入れが深いです。吉本宏さんにも協力してもらって、久々にムッシュ・エスプレッソのエッセイも掲載できましたし、自分の青春時代をこうしてひとつの仕事にできたことは感慨深いものがあります。
街鳴りを意識して進化・更新を続ける「usen for Cafe Apres-midi」
選曲コンピが描く物語とポジティヴィティー
橋本 続く2016年の『Music City Lovers』は「usen for Cafe Apres-midi」の15周年記念盤でしたが、10周年のときの『Haven’t We Met?』とは大きな違いがあって。『Haven’t We Met?』は「usen for Cafe Apres-midi」の趣味性や仲間意識の集大成だったと思うんですが、2010年代に入って、大型の商業施設や公共の場所とかでもチャンネルを使ってもらえるようになってきたことがひとつと、もうひとつは現在進行形の音源で僕らの選曲とも親和性が高い、いい曲がたくさん生まれていたことを反映して、10周年のときに比べて外に向いたセレクションになりましたね。
──より街鳴りを意識した選曲になっていましたね。
橋本 まさにそうです。僕の中で、街で流れる音楽っていう意識がすごく高まっていて。僕が選んだカマシ・ワシントンの「The Rhythm Changes」はその象徴なんですけれど、セレクターのみんなの選曲にも「usen for Cafe Apres-midi」のカラーや役割の変化みたいなものが投影されているのかなって感じますね。ジャケットも含めてイメージをポジティヴに更新したものができたし、5年間の成長を示せたかなって思います。
──2010年代後半以降はアニヴァーサリー・コンピが増えてきてはいるんですけど、実は懐古的ではない選曲で、今の進行形を見せるんだっていう思いが感じられますよね。
橋本 それはすごく意識してます。やっぱりコンピ・シリーズっていうのは、続いていく物語っていうか、物語の続きを見せないと。連続体・運動体として聴いてもらいたいですからね。そして『Cafe Apres-midi Bleu』は、『Cafe Apres-midi Orange』からさらに5年経って、HMVの周年とも5年ごとにタイミングが合って、またまた稲葉さんのライセンス・ミラクルが炸裂して(笑)、本当に素晴らしい曲ばかりが揃って、僕はかなり満足度が高かったですね。
山本 ちょうどコロナ禍に入った直後にリリースされたんですが、やっぱりこういうのを聴きたかったっていう声が多かったです。
橋本 あと『Cafe Apres-midi Bleu』は、僕がdublab.jpで毎月やっている、「suburbia radio」のベスト・オブ・ベストだなっていう感じだったんですよ。その精粋を集めたような選曲で。『Cafe Apres-midi Orange』以降の新譜の好きな曲を凝縮したら、こんなに素敵なコンピができちゃった、みたいな感じかな。2021年末の「usen for Cafe Apres-midi」20周年コンピ『音楽のある風景~ソー・リマインディング・ミー』もそうですけど。
山本 プレイリスト時代の真っ只中にあって、こうして魅力的なジャケットがあって、盤があって、橋本さんにベスト・オブ・ベストな選曲をしていただいて、その先にもこまやかな配慮がいろいろあって。そういったことを含めて丁寧に大切にしてるのがアプレミディ・レコーズのプロダクトですよね。
橋本 『Cafe Apres-midi Bleu』リリース時のHMVウェブサイトでの対談でも話しましたが、微妙な曲間にもこだわっているし、稲葉さんは曲ごとのヴォリューム調整にもめちゃめちゃ気をつかってくれているし、いろんな意味でプレイリストでは絶対にできないクオリティーのものを作っていると思いますね。フィジカル・メディアの良さって、ライナーがあってジャケットがあって、とかはよく言われますが、それだけじゃないさまざまなこだわりがあるんですよっていうことは伝えたいし、今回の『Merci ~ Cafe Apres-midi Revue』でも、その気持ちをとても大切に作っているわけです。
山本 そのことは何回でもお伝えしたいですね。『Cafe Apres-midi』はもう伝説的なコンピ・シリーズって言ってもいいと思いますし、それが更新されていく様を聴けるっていうのは、リスナーとしても非常に嬉しいし贅沢なことだと思います。
──アプレミディ・レコーズからリリースした過去のコンピレイションも、時が経って結構廃盤になってしまっている中で、歴代の29枚から選び抜いたベスト・セレクションになっている『Merci ~ Cafe Apres-midi Revue』は、これまでのアプレミディ・レコーズを振り返りつつも、新たな物語が紡がれた、聴く価値のあるとても充実した内容になっていますね。
橋本 やはり収録曲のすべてが輝いていて、それぞれにかけがえのない思い出もあるんですが、80分の物語としてもとても素晴らしいものになったと思います。いや本当に、すごいのできちゃったなって思いますね。特に今回はアナログ盤もリリースしたいということで、それも少し意識したセレクトになっているんですけどね。ファンの方がアナログ盤でも欲しいなって思うだろう曲がたくさん入っていて、時代もジャンルもテイストもさまざまですが、アプレミディ・レコーズのハートの部分を構成してきてくれた、僕の心に大切に刻まれた名作中の名作ばかりが収められていますので、ぜひ聴いていただけたら嬉しいです。
01. Pippo Non Lo Sa / Jazzinaria Quartet
02. All Loved Out (Ilu 'Ife (Love Drum)) / Ten City
03. So Reminding Me / Grazyna Auguscik
04. Circo Marimbondo / Pedro Bernardo
05. Nada Mais / Deni
06. Love Is Stronger Than Pride / Lincoln Briney
07. If I Fell / Nando Lauria
08. The Sun・The Moon・Our Souls (Sacred Rhythm Version) / Mental Remedy
09. Make A Rainbow / Benny Sings
10. Mangoes And Pears / Gaby Hernandez
11. Woman Of The World / Emma Noble
12. You'll Never, Never Know / Dislocation Dance
13. Sunset Red (12" Long Version) / Lucinda Sieger
14. Two Kites / Jo & Tuco
15. Lamp / haruka nakamura feat. Nujabes
16. Give Me Little More / Carlton & The Shoes
17. Valsa (Bebel) / Ithamara Koorax & Juarez Moreira