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マティアス〜魔性について 

大学2年の夏、アルゼンチンの北部にある小さな村に滞在していた。

当時第二外国語でスペイン語を専攻していた私は、兼ねてから興味のあった南米にどうしても行きたかった。来たる夏休みに備え、世界各地で開催されるNGOのボランティア情報の冊子を開き、片っ端から興味のあるものをチェックしていた。
選んだのは、「アルゼンチンのアート・フェスティバルを作り、地域を盛り上げるボランティア募集」というものだった。
あいさつ程度しかできないスペイン語力で、意気込んで旅に出た。


ブエノスアイレスに到着し、バスターミナルで北部行きの長距離バスのチケットを買い、最後はどういうわけかトラックの荷台に乗って、なんとか村に到着した。

そこは広陵とした乾燥地帯。ポツンポツンと、舗装されていない道路の両脇に家や小さな商店が立っていた。
N G Oが拠点とする小さな一軒家に着くと、フランス、ベルギー、チェコなどからやって来た、自分より少し年上に見える男女が既に集まっていた。
滞在中はスペイン語か、英語で話すことになっていたが、フランス語圏の参加者が多かったために、しばしば私は話に入れず、つまらない思いをすることになる。

NGOスタッフの女性は二人いて、一人は臨月も間近か、という大きなお腹をしているアルゼンチン人の女性、一人はいやに真っ赤な口紅を塗ったブリジット・ジョーンズの女優にそっくりなイギリス人女性だった。



滞在して間も無く、私は不思議なことに気がつく。
この村には、若い女性がいない。
若い男性はいくらでもいるのだが、10~20代の女性がほとんど見当たらないのだ。
男たちは皆、見目麗しく、程なくしてヨーロッパから来た参加者の女子たちは全員が誰かと恋仲になるか、三角関係になるか、どちらにもならない場合は巻きタバコを吸って時間を潰していた。
(マリファナだったかもしれないが、そんなもの見たことことも匂ったこともない純朴な日本人に区別はつかなかった。)

毎晩のように、大音量の音楽をかけ、酒を飲み、踊り散らかす地元の男たちとヨーロッパの女。その中に一人異彩を放つ男がいた。
大きな潤んだ目に、褐色の肌、黒々とした豊かな長髪、痩せ型でちょっとお腹が出ていたが、顔の造形のとんでもない美しさと、酔っぱらいそうなくらいの濃厚な色気が、女たちの本能を直撃した。

男はマティアスと言った。

マティアスは、一人と絡み、また別のところで別の女にいい顔をして、蜂のように飛び回りながら、一応一人の女とステディな関係だという態度をとっていた。そう、ブリジット・ジョーンズである。
彼女の真っ赤な口紅は、マティアスのためだった。

世が明けるたび、女たちは興味のない風を装いつつ、「マティアスが誰々とキスした」「マティアスが・・」と彼の噂をした。

そうして二週間もの不毛な滞在が終わり、しまいには熱を出して最後のフェスティバルとやらに参加できずに終わった私は、疲労困憊でブエノスアイレスに戻った。

ヨーロッパ風の洒落た表通りを歩いていると、不意にマティアスが通りすぎた。

否、それは彼のつけていた香水の匂いだった。





今になって思うと、彼の色気とは、あの香水の匂いだったのではないかと思う。
あれは、フェロモンを凝縮して詰め込んだ、売ってはいけない違法の香水だったのではないか?
彼にあの匂いがなかったならば、同じように女たちは彼に吸い寄せられただろうか?

ちなみに、あの村に若い女性がいなかった理由は最後まで分からずじまいだった。いかにも貧しい村だったから、女の子は売りに出されたのではないか、など想像を巡らしたが、果たして。

私の手元には、当時の情報は何も残っておらず、もう村の名前すら覚えていない。

ブエノスアイレスの路上で購入し、10年越しに日本で額装した絵



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