幸せな男、斎藤佑樹

 先日斎藤祐樹の引退が発表されました。斎藤は枕詞のように「早実から直接プロに行けばよかったのに」と言われる選手ですが、その言葉に違和感を持っていたので、それについて書いていきます。

 斎藤が早実に入ったのは、「中学の頃、神宮に早慶戦を観に行って、神宮でプレーすることに憧れたから」と聞きます。考えてみて欲しいのですが、中学の頃東京六大学でプレーすることに憧れた人で、実現できた人はどれぐらいいるのでしょうか?

 東京六大学は注目度とレベルは日本トップの大学リーグと聞きます。確かに一般で入って「野球が好きです」だけで野球部に入部できるか?と考えると疑問ですし、推薦で入ろうとしても、「甲子園ベスト〇」みたいな高いハードルがあると聞きます。

 一般、推薦問わず入学して野球部に入部しても、他の部員は甲子園出場経験は当たり前で、高校ジャパンに選出されて、志望届さえ出せばプロ入りできた逸材だっているでしょう。つまり、神宮でプレーできることは想像以上に難しいと思われます。

 斎藤は東京六大学では、史上6人目になる、30勝、300奪三振を達成して、神宮のスターになりました。そう、斎藤は中学生の頃に抱いた夢は叶えたのです。これだけでも斎藤は幸運だったと言えるでしょう。

 斎藤が甲子園のあと、「プロ入りは選択肢の一つ、ジャーナリストにも興味がある」と言っていました。斎藤はプロ入りより、神宮でプレーすることを重要視していたのだろうなと、今になって察しています

 かつて慶応に志村亮というエースがいました。プロ入りの意向さえ示せば、ドラ一間違いなしと言われた逸材でしたが、「野球は大学までと決めていた」とプロ入りせずに、商社に就職しました。他人から見ると、もったいない生き方ですが、志村には悔いのない生き方だったと思います。生き方とは本人が決めることであって、他人がどうこう言えるものではないのです

 最後に、JBCに所属せず、海外で戦うことを選んだボクサー山口賢一を描いたドキュメンタリー映画「破天荒ボクサー」のコピーを紹介して終わります。「ほっとけ、俺の人生や

追記、「破天荒ボクサー」は凄く見たかったのですが、鹿児島では未公開だったので、残念でした…ドキュメンタリーはDVD化されづらいし…ガーデンズシネマさん、やってくれないかなあ。

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