日本学術会議任命拒否問題に関する肯定派と否定派の意外な共通点

正確には、肯定派(任命拒否は問題ないとする立場)と否定派(任命拒否は問題であるとする立場)の一部に共通点がある、というところです。

それでは、何が共通点なのでしょうか。このことを浮き彫りにするため、まず、否定派と肯定派それぞれの言い分から見てみましょう。

否定派:石川健治先生(憲法学・東京大学)

「憲法が専門の東京大学の石川健治教授は「憲法23条の学問の自由の核心は、学問の専門ごとの自主性を守っていくことであり、政治的多数決とはなじまない。学術会議は学問の自主的な発展を守るために、その防波堤として用意されたもので、その会員の人選は専門的な評価に委ねなければならない」と指摘しています。」(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201002/k10012644831000.htmlより引用)


肯定派:窪田順生氏(ノンフィクションライター)

「なぜ任命を拒否したのか」「なぜあの6人だったのか」というところは、国民としてもぜひ知りたいところなので、マスコミや野党の皆さんには頑張っていただきたいと思う。が、一方でこの騒動に乗じて、かなり無理筋というか、モンスタークレーマーの言いがかりのような攻撃を紛れ込ませる人があまりに多いのには、やや辟易とする。

 それは、「学問の自由が侵害される!」という攻撃だ。(中略)こういう話を聞くと脊髄反射で血が騒ぐという人たちの気持ちもわからないでもないが、イデオロギーを抜きにちょっと冷静に考えれば、今回の問題が「学問・思想・言論の自由」と全く関係していないのは明らかだ。
 とどのつまり、この話は6人の学者が「特別職国家公務員」に入れませんでした、ということに過ぎないからだ。菅首相が気に食わない学者を大学から追いやったとか、科研費を打ち切ったとか言うなら確かに「弾圧」だが、単に研究活動の傍らに行う「名誉職」に選ばれませんでした、というだけの話である。(https://diamond.jp/articles/-/250666より引用)


否定派と否定派の言い分は、鋭く対立しているように見えます。

しかし、ある一点では、ここでの否定派と肯定派の見解は、一致しているのです。それは、日本学術会議の新会員として推薦された方の任命を拒否することが、「学問の自由への直接的な侵害となる」かどうか、という点です。


先ほどの、石川健治先生のご見解をもう一度見てみましょう。

「憲法が専門の東京大学の石川健治教授は「憲法23条の学問の自由の核心は、学問の専門ごとの自主性を守っていくことであり、政治的多数決とはなじまない。学術会議は学問の自主的な発展を守るために、その防波堤として用意されたもので、その会員の人選は専門的な評価に委ねなければならない」と指摘しています。」(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201002/k10012644831000.htmlより引用)

ここには、おおむね3つの内容が含まれています。①憲法23条の学問の自由の核心は、学問の専門ごとの自主性を守ることである。②学術会議は学問の自主的な発展を守るために、学問の専門ごとの自主性の防波堤として用意されたものである。③②から、学術会議の人選は専門的な評価に委ねるべきである、と。

そして、①②を注意深く読むと、学術会議それ自体は学問の自由の直接の主体ではなく、それに対する任命拒否も学問の自由に対する直接的な侵害ではない、とされているわけです。


もちろん、否定派と肯定派の間には、共通点以上に埋めがたい差があります。ただ、一部でも共通点が見つかれば、そこから建設的な議論が進んでいくことも考えられますので、今後の議論に期待したいところです(なかなか難しいとは思いますが・・・)。

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