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不動産女子が過ごした20年_PM本編


2022年度宅建試験が終わりましたね。
受験生の方はもちろん、ご家族の方、上司部下教育担当他、受験生の代わりに契約・重説対応したピンチヒッターの方もみなさまお疲れさまでした!

ちなみに私が宅建を取ったのは東日本大震災よりもまだ前でした。
当時ガラケーで必死に解答速報を漁るあまり、前年度解答で答え合わせをして23点という結果を目の前にして泣いたというクソゴミエピソードの持ち主ですw
その記憶があまりに強烈すぎて、自分が実際には何点だったのかの記憶はまったくありません。
(ちなみに前年度解答だったことにはひとしきり泣いてから気づきました…)

「ガラケー」時代はまさにファンドバブル時代

この「ガラケー」
携帯電話といえばスマホしか触ったことない、って世代ももう業界にはいらっしゃるかもしれませんね。

実は、iPhoneが初めて日本で発売されたのが2008年7月11日

今の不動産市況のその前、いわゆるファンドバブルで「最高価格」を付けていたのも2008年(平成20年)で実は同じ年なんです(だから何?って言わないで)。

出典:国土交通省 https://www.mlit.go.jp/common/001226818.pdf

こうしてデータでみると今のほうが相場高いのよね…。
今の価格はもちろん高いのだけど、当時のファンドバブルの高値の「エグさ」は価格の推移にあります。
東京23区でも最高値2008年の3年前にほぼ半値、大阪に至っては3年間で倍以上の価格にまで価格が上がってしまうというまさに「バブル」の時代でした。

2008年当時、まだ(不動産業界では)幼かったガラケー持ちの私。
不完全燃焼ながらもだらだらマンデベで仕事をしていたのですが、いろいろな偶然が重なってとある交流会からご縁を頂いた、事業会社の不動産資産管理会社への転職をきっかけに収益不動産の現場に文字通り「突撃」していくことになります。

「空室一覧お持ちしましたぁ!!!」

オフィスソフトのクソダサい「クリップアート」と、拙くデコった「ワードアート」の文字が踊る「今週のキャンペーン♪」なる1枚モノの空室一覧、これがFAXで送ってしまうと文字がつぶれて見えなくなるほど細かい字にしないと載り切らないぐらいの空室件数。

市況の期待値「だけ」を基に査定されたバカみたいにクソ高い賃料では当然のことながら稼働率は上がりません。当時築2年で稼働率25%の物件のPMを引き取った会社の英断(?)をきっかけに、運悪く担当になってしまった私は、当時合言葉だった「ゼロゼロバックスリー(敷金・礼金0円AD3ヶ月)」でムリヤリ稼働率を上げて最大瞬間稼働率96%をたたき出してしまい、その結果低稼働新築物件のPM受託が加速してしまって担当する物件の空室一覧は常にパンパンでした。

この空室一覧と「推し(=決まらないのでキャンペーン厚め💛)物件」の間取り資料を印刷して、来る日も来る日も賃貸仲介さんへ突撃する日々が当時の私のルーティンだったんですよね。

※以下、閲覧注意
当時の仕事の羅列になるのでそういうのウザい人は画面そっ閉じをおススメします

ガラケー時代のPM担当のいちにち

朝10:00~16:00までは帰ってくるなと言われ、手元にある入居申込書を保証会社の審査にぶち込んでから空室一覧と物件資料出力してだいたい1日20件ぐらいの業者さんへチャリで営業に回り、賃料30万アッパーの高額物件の物件は電話で呼び出されて案内に立ち合い(会社の方針だった)、またリーシングエリアに戻って営業の繰り返し。

メンテに手がかからないとはいえ、当時担当していた物件はRC造のガチガチのデザイナーズ物件だったので「そんなことがクレームになるなんて、建ててみないとわかんないんだもーん」的な入居者さんのクレームにも駆けつけ(天高5.3mの物件はサッシが風で唸るからビス止め増やせとか(←つけてもらった)、南向けの部屋は「想像以上に暑いからエアコン壊れてしまう、一回体験しに来い」とか(←解約された))、長期空室の部屋が決まれば掃除に行って(もちろんタダ)、夕方事務所に戻ってきてから保証会社の審査に通った入居申込の対応して滞納対応して賃契作って、会社がファンドに卸す物件の市況レポートを交渉レンダー別に量産して買主からのレポートへの夜中12時半のイチャモンの電話にも対応して(翌朝9時修正分送付要求がデフォルト)、月次PMレポート作って、月イチ滞納回収に行く和歌山へは特急サザンの有料席を自腹で買って爆睡してました。

そしてくっきり覚えてるのは、一日にガラケーで取る電話の件数がだいたい30~50件ぐらいあって、知らない番号からの着信履歴は即登録しないとバンバン消えていくことと、1000件ぐらいしか登録できないので定期的に番号消さないと新規登録できなくなること。

クラウドなんて「概念」からして無いのでデータは会社PCのハードディスクにしか入ってないし、グーグルマップもないので市況レポートのために競合物件には全部写真撮りに行ってたし(もちろん相変わらず吉田地図は大活躍)、LINEなんてないから連絡は全部電話で「取らない」って選択肢はないんです。そりゃ夜中のカレー屋さんでカレー食べながら「バガボンド」読んで号泣するぐらいには「仕事=生き死に」、みたいに考えてもしゃーないwと今でも思っちゃう。

買取再販業者さんとか、いまでも多分飛び込み30件マストのところとかあると思うので、業者さん訪問件数はアリっちゃありなんですよね。でもこの時期、元付担当者として埋めた空室賃料は延べ1億(月額賃料ウン百万の物件複数→年間賃収だけで数千万、売上じゃないよ「賃料」だよ!)超えてたから、契約件数覚えてないけど金額としてもわりとインパクトある忙しさだったと思います。

PM担当にも市況のおバカテンションは伝染する

会社が「詰める」文化ではなかった&稼働率目標は達成してたので、激詰めとかのストレスはなかったのは幸いだったのですが、こういう時期って市況も相まって周囲が全員テンション高めだったのも印象的です。
23:00からのオール前提の遊びのお誘い(ほぼ踊るほうのクラブかカラオケ、たまにスナック)もガンガンありました。

昭和のバブルじゃないし、お金じゃぶじゃぶのアクイジでもなんでもないしがないPMだったからワリカンでしたけど、オールが出来たのはほんとこの年代まで。オールでおバカテンションな時ってほんと判断力鈍るので、ほとんどならない個人携帯にある日突然かかってきた元彼からの電話にもつい出ちゃったりするんですよねえ・・・

というわけで、今回は仕事メインでした!
くだんの元彼からの電話、そして再会、再会した時の衝撃的(自分にとっては)なクソセリフは3日以内(極力)にアップしたいと思います

ではまた!!!


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